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夫婦はビジネスでもパートナーになれるのか 離婚後も相手を家族と呼ぶカップルの場合

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
エミリーとマシュー・ハイランドは、ビジネスが拡大するにつれて結婚生活は破綻した
エミリーとマシュー・ハイランドは結婚後、ニューヨーク市に移り住み、ブルックリンのクリントンヒル地区でピザ・レストランを始めた。ところが、事業がストレスとなり、ビジネスが拡大するにつれて結婚生活は破綻(はたん)した=Lucas Burtin/©The New York Times

エミリーとマシュー・ハイランドは2001年9月、大学在学中に出会った。ちょうど米同時多発テロ事件の直後で、2人は米ニューヨーク・マンハッタン南部の世界貿易センタービル(訳注=米同時多発テロの標的の一つになったツインタワービルで、2棟とも崩壊した)近くに家族が住んでいるという共通点があり、親しくなった。

結婚後、2人はニューヨーク市に移り、ブルックリンのクリントンヒル地区でピザ・レストランを開いた。ところが、事業を成長させるストレスが重なり、ビジネスが拡大するにつれて結婚生活は破綻(はたん)した。

■結婚期間

2007年10月4日から2019年10月17日まで。

■結婚時の年齢

エミリーは25歳、マシューは26歳で、現在はそれぞれ42歳と43歳。

■現在の職業

エミリーはニューメキシコ州サンタフェに住み、詩人兼ヨガ教師。マシューはテキサス州オースティン在住で、レストランのオーナーシェフ。2人はニューヨークのレストラン事業を引き続き共同経営している。

■子ども

2人の間に子どもはいない。マシューは2番目の妻との間に息子と娘がいる。

■どこで育ったか

マシューはニューヨーク・ブルックリンのベイリッジやコネティカット州グリニッジで育った。彼が寄宿学校に在籍していた17歳の時、両親が離婚。一方、エミリーはニュージャージー州リッジウッドで育つ。2020年に母親が亡くなるまで、両親は結婚生活を送った。

■出会いのきっかけ

2人はロードアイランド州ブリストルにあるロジャー・ウィリアムズ大学に通った。エミリーは創作文筆学と社会学を学び、マシューはコンピューターサイエンスを専攻。2人は2004年に卒業した。

■お互い、どう思っていたのか

2人とも、関係は気楽で楽しかったと言っている。「マット(訳注=マシューの愛称)は頭が良くてユーモアがあり、とても個性的だった」とエミリーは言い、「私のことを、とてもよく気遣ってくれた」と振り返った。

マシューは、「私たちは似たように育ち、エミリーは私にとって、地に足をつけさせてくれる存在だった」と話し、「彼女は素晴らしい発想をし、とても現実的だった。彼女と一緒にいることで、私はもっと冒険ができた」と付け加えた。

■なぜ結婚したのか

2人は7年間付き合い、マンハッタンで一緒に暮らした。エミリーは2006年にブルックリン大学で詩のMFA(芸術学修士)を取得。一方のマシューは2004年に料理学校を卒業し、料理人として働いていた。エミリーはブルックリン大学で修士号取得を目指して英語教育の勉強をしていた間、学校で教師をした。2人とも、そろそろ腰を据えるべき時期だと感じていた。

「結婚するのが自然だと感じた」とエミリー。「つきあっていたら、そうなるでしょう」と続けた。

マシューは「次のステップだった」と言っていた。

■結婚生活の初期

2人はニューヨークのグルメ探訪を楽しんだ。ぜいたくなディナーのために節約することもあったが、いつもは1ドルのギョーザやおいしいアイスクリームを食べていた。

■幸せだったか

2人はとても幸せだったと言っている。ちょっとした口論はあっても、簡単に仲直りした。

■トラブルの最初の兆候

結婚して4年が経ち、2人の生活が異なる方向に進み始めた。夫はピザのシェフで、妻はヨガのインストラクターになるための訓練を受けていた。2人は自由な時間を、別々に過ごすようになった。

2013年、2人はクリントンヒル地区にレストランを開くチャンスを得た。彼らはその店を「エミリー」と名付けた。マシューが調理を担当し、エミリーが運営を引き受けた。2年後、ブルックリンのウィリアムズバーグに「エミー・スクエアード」という別のレストランをオープンし、さらに、投資を得てマンハッタンのウェストビレッジに「ピザ・ラブズ・エミリー」という店も開いた。

ビジネスは成功したのだが、2人の関係は崩れつつあった。エミリーは男性の友人と多くの時間を過ごすようになっていたが、後から振り返ってみると、それはプラトニックな浮気だったと彼女は言った。ビジネスに対する訴訟があり、2014年にはエミリーの母親ががんと診断された。

2人とも打ちのめされた。「私はエミリーをレストランビジネスに無理やり引き込んでしまったが、彼女はその運営に向いていなかったのだと私は思っている」。そうマシューは言い、エミリーも同意する。

■問題解決に向けて努力したのか

彼らはセラピー(心理療法)を受け始めたが、うまくいかなかった。エミリーは「絶望のどん底」だったと振り返った。マシューは距離を置きたかったが、エミリーはそれを許すことができなかった。2人一緒にセラピーを受けるのをやめ、それぞれ別々に療法士のもとに通うようになった。

■誰が離婚を切り出したのか

2017年の夏、マシューの方から切り出した。エミリーは仕事の後、友人と夜遅くまで外出するようになったが、マシューとはそういうことを絶対に一緒にしたくなかった。彼女は婚外の交際を認め合う関係にしようと提案したが、それは彼を怒らせた。「ある日、目を覚ますと家を出た」とマシュー。「もう終わりだと感じた」

エミリーは、レストランビジネスへの影響を心配したが、そのころにはマシューはどうにでもなれと思っていた。「離婚がレストラン事業におよぼす影響を心配するのをやめにした」と彼は言っていた。

■最終的な別れ

マシューはエミリーに手紙を書き、家を去ってきょうだいのもとに身を寄せた。短い期間、マシューとエミリーは一緒に働いたが、長続きしなかった。2017年8月、マシューはレストランを退き、2人はそれぞれ初めて一人暮らしをするようになった。

「私は、彼女と共有した暮らしを失うのが怖かった」とマシュー。「どこに進むべきかわかっていたけど、それは簡単ではなかった」と彼は続けた。

その年の9月、エミリーはマシューの子どもを宿していることに気づき、妊娠を中絶するという難しい決断をした。

■負い目を感じたのか

マシューはそうでもなかったが、エミリーは感じた。2人は「Emily:The Cookbook(エミリー:ザ・クックブック)」という料理本を出版したばかりだった。それは、2人のラブストーリーの追憶であり、エミリーには「不誠実」に思えたと言う。恥ずかしさや後ろめたさを感じたと彼女は言い添えた。

■経済的にはどうだったのか

2人はすべてを平等に分け合ったが、離婚の決着がつくまで時間がかかった。最初に開いたレストランをどちらが買い取るか合意できなかったため、共同所有のままでいることにした。2人には、そのレストランを運営するマネジャーがおり、他のレストランに関しても物言わぬ事業パートナーであり続けている。

■どのようにして立ち直ったのか

2人は2018年、経営するレストランの前で大口論になり、激怒したエミリーはリュックサックでマシューを殴りつけ、逮捕された(マシューは後日、この件の訴えを取り下げた)。その後の数年間、2人はお互いに怒りを抱えていた。

エミリーは逮捕された後、ニューメキシコ州のアビキウで「グリーフ・リトリート(悲しみからの立ち直り)」という会に参加し、再び詩を書き始めた。2018年の晩夏、エミリーは現在の夫と出会って2022年に再婚、一緒にサンタフェに移り住んだ。

一方、マシューは2019年、共通の友人を通じて現在の妻と知り合った。2021年、2人は結婚、オースティンに引っ越し、中華レストランを経営している。

■それぞれ何を変えたかったのか

「もっと上手なコミュニケーションの取り方を身に付けたかった」とエミリーは言う。「私たちは、長い間、ふつふつと煮えたぎって、ついに爆発した」と彼女は振り返った。

「10代のころの自分と、30代になった自分は同じではない」とマシューは言っていた。

2人とも、もっと違う形で、そしてあまり犠牲をはらわずに離婚できたはずだと言っている。マシューは「もっと安上がりにできたはずだ」と言うのだ。

■振り返って、他の人へのアドバイス

2人は、相手が誰であれ、一緒にビジネスを始めるのは慎重にすべきだと言っている。「共有する夢は、変わることがある」とマシュー。

「何かを一緒に運営することにはロマンチックな響きがあるかもしれない。しかし、ビジネス上の事務的なことは、結婚生活とは分けるべきだ」とエミリーは言う。

■現在の暮らし

エミリーとマシューは、ビジネスパートナーとして週に数回言葉を交わしている。2人の間の友人関係は良好だと言う。エミリーは、マシューの子どもたちに会う予定を立てている。マシューはエミリーの執筆活動を応援しており、彼女が最近出版した詩集「Divorced Business Partners:A Love Story(離婚したビジネスパートナー:愛の物語)」のことを誇りに思っている。

「エミリーは家族。私たちはすべてについて、何でも話す」とマシューは言っている。

エミリーは、「私たちが築いた人生を後悔していない」と言う。「そこから、とても多くのことを学んだし、その反対側へと進んだことも幸せだと思う。マットは、彼がやるべきことをやっており、私も私でやるべきことをしている」(抄訳、敬称略)

(Louise Rafkin)©2024 The New York Times

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