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結婚、家族・飲酒の問題、離婚、そして和解へ ある米国人カップルの人生から学ぶ教訓

ニューヨークタイムズ 世界の話題 更新日: 公開日:
いまでは「まるで兄と妹のよう」にお互いを思いやる
タミーとキースは、交際中に家族の悲劇を乗り越えたカップルだったが、厳しい経済状況と飲酒問題を克服できず、破局した。それがいまでは、「まるで兄と妹のよう」にお互いを思いやる=Martin Nicolausson/©The New York Times

タミー・タイス・サタリーとキース・サタリーは米コネティカット州ミルフォードで育ち、タミーがまだ高校生だった1991年に出会った。二人は問題のある家庭環境にあらがいつつ心を通わせた。その後、予期せぬ妊娠をきっかけにアラスカで同居を始め、再び故郷に戻った。

ともに過ごした15年間、二人はそれぞれの実家の悲劇を乗り越えた。しかし、厳しい経済事情とキースの過度な飲酒という問題を抱え、結婚生活はついに崩れ去った。二人ともお互いに、関係を維持するための対話力が欠けていたことを認めている。

二人の出会いから離婚後の関係、新しい形の家族再生を追い、そこから得られる教訓を考えてみよう。

■結婚していた期間

2001年9月22日から2013年10月11日

■結婚年齢

タミー27歳、キース30歳

■現在の年齢

タミー49歳、キース52歳

■職業

タミーは20年間、幼児期特別支援教育の教師をしていたが、現在は諸宗教牧師になり、コネティカット州シーモアのシーモア会衆派教会で臨時の牧師の任にある。

キースは、エネルギー分野のガス・システムオペレーター。

■子ども

息子27歳、娘20歳

■二人はどこで育ったのか?

二人ともミルフォードの出身だ。それぞれ家族に難病患者がいて、同様にそれぞれの両親は結局、離婚している。タミーの母親は後にレズビアンであることを明かした。タミーは現在、育った実家に住んでいる。キースはニューヨーク州ポート・ジェファーソン・ステーションで暮らしている。

■どこで出会ったのか?

二人は1991年、友人とそり遊びをしていた時に出会った。タミーは高校生で、キースは大学生だった。子どもの時、二人はミルフォードの別々の学校に通っていたが、共通の友だちを通じてお互いのことを知っていた。

キースの弟と妹は珍しい血液の疾患を抱えており、それが地元の新聞に載った。タミーは、その地元紙を定期購読していた。だから、キースと出会った時、彼のことをよく知っている感じがした。

家族の難病が、二人の結びつきを深めた。タミーの父親はホジキンリンパ腫(訳注=白血球中のリンパ球ががん化する悪性リンパ腫の一種)を抱えており、心臓発作にも見舞われた。

母親は長年にわたって多発性硬化症を患い、2018年にこの病で亡くなった。キースとタミーが出会った時、キースの弟はすでに死去しており、キースは妹に骨髄を提供したばかりだった。

タミーは、「私ならキースを助けてあげられるし、彼にとって特別な存在になれると思った」と振り返り、彼は「わくわくさせてくれて、カリスマ性がある人」だったと付け加えた。

キースにとって、タミーは美しくて賢く、スタイルも魅惑的だった。

「タミーには、ウェンズデー・アダムス(訳注=米ホラーコメディー「アダムス・ファミリー」に出てくる個性的な存在感を放つキャラクター)のような雰囲気があり、漆黒の髪で、革ジャンに黄色の靴ひもがついたドクターマーチン(訳注=英国の靴とブーツのブランド)をはいていた」と彼は言う。「一緒に話をするのは信じられないくらい気楽だった」

■関係が真剣になったのはいつから?

タミーは高校卒業後、マサチューセッツ州ニュートンセンターのマウント・アイダ・カレッジに通った。キースはアラスカ州アンカレジに移住して給仕をし、その後は叔父と一緒に自動車の修理工場を経営した。

二人は3年間、くっついたり離れたりしていた。別れたのは、彼の深酒のためだった。1994年に故郷を訪ねた時、二人はよりを戻した。

タミーは可能な限りアラスカまで彼に会いに行き、ある時、妊娠した。タミーは1996年1月、卒業まであと1学期を残して大学を中退し、キースと一緒に暮らすためアラスカに移った。その年の5月、息子を出産した。

「妊娠したのは、大学を卒業した後の空虚な生活から逃れるための手段だったのではないかと時々、思う」。タミーはそう振り返る。

■一緒に暮らし始めたころは、どうだったのか?

二人とも、断続的に問題を抱えながらも、うまくやっていたと言っている。家計はきつかった。キースは、家事をもっと手伝わなければ、と思う一方で、もっと働かなければならないというプレッシャーも感じていたと言う。

彼は定期的に禁酒するようになり、禁酒中は生活がよりうまくいっていた。「自分がアルコール依存症であることはわかっていたけど、やめる準備ができていなかった」とキースは振り返る。

二人ともアラスカを探索するのが大好きだった。夏はキャンプを、冬はクロスカントリー・スキーを楽しんだ。スキーでは、特注のそりに息子を乗せて引っ張った。

アイディタロッド(訳注=アンカレジとノームの間で競われる世界最長の犬ぞりレース。年によって若干コースが異なり、約1600キロほどを走る)に参加したり、砂金採りやアラスカの野生動物探索をしたりした。「いっぱい楽しんだ」とタミーは言い、キースも同意した。

■トラブルの最初の兆候は?

タミーの両親はますます介護が必要になったため、2001年、二人はミルフォードに戻り、タミーの実家に住み、ついに結婚した。2003年に第2子となる娘が生まれたが、親として、また介護者としての義務や、経済的な重圧、キースの飲酒問題で、夫婦の関係はすでに崩れ始めていた。

「キースの飲酒は大きな問題だったが、私が彼に自由を与えないことも重荷に感じていたようだ」とタミーは言う。「彼が私の望むことを分かってくれることに期待していたが、それが何なのか、どう伝えたらいいのか、私自身よく分かっていなかった」

キースは、「酒を飲むのをやめなきゃいけなかったし、人生を立て直してくれる人を必要としていたけれど、私は不自由を押し付けるタミーに憤慨していたのだ」と言う。「彼女にとっては、板挟み状態だった」

キースの祖母と父親は2009年までに他界し、妹は病気で、息子は問題行動に走り始めた。こうした重荷で、結婚生活は破綻(はたん)したと二人は言う。

■結婚生活を続ける努力をしたのか?

二人は夫婦カウンセリングだけでなく個別のセラピー(心理療法)も受けたが、もっと早く始めるべきだったと後悔している。

ついに2009年の後半、キースは「アルコホーリクス・アノニマス」(訳注=「匿名のアルコール依存症者」を意味し、断酒を目指す相互援助の集まり。略称「AA」)に参加し、酒を断った。「でもそのころには、にっちもさっちもいかなくなっていた」と彼は言う。

■どちらから離別を求めたのか?

おびえながらも、タミーの方から切り出した。「お互いに、もう終わったことはわかっていた」とキース。

2010年に彼が家を出た。

■子どもたちの反応は?

娘は大丈夫だったと二人は言うが、娘は自分の気持ちを両親に明かさなかった。息子の問題行動は続いていた。いまでは娘も息子も成人し、元気にやっている。彼らは両親に、結婚生活に終止符が打たれて良かったと話している。

■もっと早く別れるべきだったのか?

「私たちは、不幸に慣れてしまった」とキースは言う。「次に進むべき時を知るのは、いつだって難しい。できることなら、もっと早く兆候に気づいて、もっと早く、友好的に別れられれば良かったと思っている」

タミーも同意し、こう言い添えた。「でも、そうしていたら私は現在の自分にはなれなかったかもしれない」

■経済的に、どうやりくりしたのか?

タミーは、二人がタミーの父親から買い取った実家に住んでいたが、苦労した。彼女はその時までに大学の学位を取り、特別支援教育の教師として働いていた。キースによると、彼も経済的に追い詰められており、家族のためにクレジットカードの多額な借金を抱えていた。

タミーとキースは当時、おカネのことについて、どう話せばいいのかわからなかったそうだ。

タミーは、「おカネは、私たちにとっていつも火種だった。結婚していたほとんどの間、私はパートタイムでしか働かなかったし、まったく働かなかった時期もあったから」と振り返る。

「タミーは家計のことをまるで理解していない、と私は感じていた」とキースは言う。

■どうやって先に進んだのか?

二人は、それぞれセラピーを続けた。

タミーは離婚後、デートをする相手はいたが、いまは独り身だ。彼女は2015年、神学校での研修を受け始め、2018年にはコネティカット州ウェストハートフォードにあるセントジョセフ大学大学院で教育学の大学院課程を修了。牧師になり、現在はセラピストになるための勉強をしている。

彼女はまた、社会正義の問題やホームレス、LGBTQの問題を中心にした多くのコミュニティーグループでも活動している。

一方のキースは、アルコホーリクス・アノニマスのスポンサー(訳注=依存症からの回復を助ける、リハビリの先導役。通常は先に回復した元依存症患者が務める)との協働が人生を変えた。「自分の行動の多くが恐怖感に根差していたことがわかり、鬱積(うっせき)した怒りの多くを取り除くことができた」と言う。

■現在は、どんな生活をしているのか?

時間の経過とともに、二人はお互いの関係を修復した。キースは幸せだと話し、少数の忠実な友人のグループがあって、仕事も順調だと言っていた。キースとタミーは祝日や、時には長期休暇を一緒に過ごしている。

タミーは、「キースはほぼ35年にわたって私の人生に関わってきて、私にとって最も大切な人たちをすべて知っている」と言い、「彼は私のことを本当にわかってくれていて、よく理解してくれている」と続けた。

「私たちはお互いに、これからもずっと愛情を持ちあうつもりだけど、いまの私たちの愛は兄と妹のような愛だ」と彼女は付け加えた。

タミーは、キースのことを「ex-husband(元夫)」ではなく「former husband(前夫)」という言葉で表現する(訳注=formerの方がexより、ていねいな表現になる)。「それは、他人が私たちの関係を受けとめる時、大きな違いをもたらすから」と言うのだ。

「私たちはファミリーだ」とキース。「私がタミーを必要とする時、彼女はそこにいてくれるし、その逆もまたしかりだ」

■結婚についての二人のアドバイスは何か?

「勇気を出して話し合い、正直になり、自分の弱さをさらけ出し、良い時も悪い時もお互いにひと息つこう」とタミー。

「絆を保ち、怒りを鎮める時間をつくるか、外に助けを求めよう。問題が起きている時にそれに対処しないと、問題はさらに大きくなる」とキースは助言する。(抄訳)

(Louise Rafkin)©2023 The New York Times

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