成長したシャチのオスは、体重が最大で11トンにもなる。流線形をした巨体は、まるで魚雷のようだ。なかなかの策略家で、狩りをする動物としてはこの地球上で最も獰猛(どうもう)な部類に入る。襲ってくる天敵もおらず、まさに頂点に立つ存在だ。
ところが、そんな勇姿にも例外がある。少なくとも一つの群れでは、捕食の頂点に立つオスは、エサを捕り、かみ砕いてくれる母親なしに生きていけない。
シャチの母親の一部が、息子の成長後もエサを与え続けていることは、これまでも観察されていた。しかし、そのことが母親の生殖能力に多大な影響を及ぼしていることが新たに分かった――そんな研究結果が2023年2月、科学誌「カレントバイオロジー」で発表された。
シャチはイルカの仲間(訳注=鯨類の中のハクジラ類マイルカ科)に属し、その最大種でもある。世界中に広く分布するが、群れごとに分かれ、それぞれの生息領域、固有の言語(方言)を持つ。狩りの仕方も異なる。
その中で、カナダのブリティッシュコロンビア州から米国のワシントン、オレゴン両州にかけての沖合で1年のほとんどをすごす群れは、「南部定住グループ(southern resident)」として知られる。主食はキングサーモンだが、年々減り続けている。
「シャチ全体の生息状況はよい」とワシントン州フライデーハーバーにある鯨類研究センター(Center for Whale Research)の研究部長マイケル・ワイスはいう。しかし、南部定住グループに限って見ると、生息数はわずか73頭しかおらず、絶滅の恐れがある。
このグループのシャチは、生まれたときの家族とともに一生をすごす。母系社会で、リーダーとなるメスは80歳から90歳まで生きる。メスは、生涯の中年期に生殖能力を失う。シャチとごく一部のクジラの種は、人間を除けば、閉経がある唯一の哺乳類だ。
閉経とはそもそも何か。これを具体的に説明できるようにするために、専門家はリーダーのメスが自分の子供と孫の生存に力を貸す様子を観察してきた。2012年に発表された調査結果では、このグループだけでなく、隣接水域に生息する「北方定住グループ」も含めて、大人になった子孫を母親が高齢になっても養っている実態が報告された。
養われるのは、とくにオスが多かった。30歳をすぎたオスの母親が死ぬと、1年以内にそのオスが死んでしまう確率は通常より8倍も高かった。
考えられる理由の一つは、母親がエサを与えていることだ。メスがサケを追って潜ると、浮上するときは獲物を口から横にはみ出すようにくわえている、とワイスは話す。その肩越しに、待ち伏せでもするかのようにそれをもう1頭が見つめていることがよくある。たいていは、その息子だ。
「メスはグイッと頭を引いて獲物を強くかむ。すると魚の半分がちぎれ、後ろにいる子供のところに流れていく」とワイスは給餌(きゅうじ)行動の様子を描写する。それは、息子が生きている限り続く。
成長したオスは、サケを上手に追うには体が大きすぎるのかもしれない、とワイスは推測する。より小柄な母親は経験豊富で、「サケを捕るのがうまいだけではなく、見つけるのにもたけているのだろう。それが大きな要因となり、エサをうまく捕まえられないオスが命をつないでいる、と私たちは見ている」
では、とてつもなく大きくなった息子を延々と養うことは、母親にとってどれだけの負担になっているのだろうか。ワイスの研究チームは、個体調査のデータを過去40年近くさかのぼり、生殖年齢にある母親と、その家族との関係を改めて精査した。
この単純な統計資料から、驚くべき結果が浮かび上がった。息子がいる母親は、娘がいるメスや子供のいないメスと比べて、出産率が半分ほどにとどまった。「こんなに大きな影響が出るとは」とワイスが目を丸くするほどだった。
「ジグソーパズルを解くカギとなる一片が見つかったのだと思う」とジョン・フォードは評価する。カナダ太平洋岸の水産研究センターPacific Biological Stationの名誉研究員だ。
フォードによると、南北定住グループのいずれにおいても、メスは生涯で4、5頭の子を残すことが多い。一方、オスには20頭以上の子孫をもうける能力がある。だから、母親からすれば、閉経前の年齢であっても、一家の個体数を増やして繁栄するという意味では、息子の世話をする方が、娘もしくは自身の面倒を見るより大きな成果を上げる可能性があるということになる。
この選択肢は、歴史的には最善だった。しかし、それが今日でもシャチに有効だとは限らない。「この繁殖戦略は、エサが今日よりたくさんあるという条件が前提だった」とワイスは指摘する。エサを十分に得ている母親なら、それを次の世代に分け与えることで生じる(訳注=出産率の半減という)代価はここまで高くつかなかったのかもしれない。
今や南方定住グループは、二重の脅威にさらされている。一つは、エサとなるサケの減少。もう一つは、母親が息子を養うために自身の生殖能力を犠牲にして群れの数が減っていることだ。後者の方が、より危険に見える。
いずれにしても、これまでの繁殖戦略は生き残りという基本命題に答えることを求められている、とワイスは考えている。平たくいえば、「親はいつ子離れすべきか」ということだ。
「私たちが知る限り、子離れしないという現状を改めるような事例は、一つも見つかっていない。つまり、今のこの状況は、止まりそうにない」(抄訳)
(Elizabeth Preston)Ⓒ2023 The New York Times
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