フランス北部シャルルビル・メジエールで市営墓地の世話人をしているベルナール・コラン(Bernard Colin)が、前任者から仕事を引き継いだのは27年前だった。引き継ぎに当たって、前任者はいくつか助言をした。「心配するな、アルチュール・ランボオの墓で悩まされるなんてことはない。誰も来やしないよ」。とんでもない、予想外れの助言だった。
齢(よわい)60のコランは、今も毎週2、3通の手紙を受け取っている。遠く韓国や日本からも届く。いずれも「酔っぱらいの舟」(訳注=日本語訳には他に「酔いどれ船」「酩酊(めいてい)船」などがある)や「地獄の季節」といった傑作を書き残し、1891年に死んだ詩人ランボオ宛てだ。こうした手紙は、ランボオの生地であるシャルルビル・メジエール(訳注=当時はシャルルビル。1960年代になってメジエールなどと合併した)にある彼の墓に、詩や汽車の切符と共に残されている。
濃緑の葉がびっしり重なり合った2本の針葉樹が立つ墓地の、その陰に隠れるように恋人たちが夢中でむつみ合っている光景も、コランは目にしてきた。
「彼らの子は」とコランは言った。「きっとアルチュールという名前が付けられるだろう」
フランスでは、長い間ランボオは高校の必須カリキュラムになっている。とはいえ、どうしてランボオは、コランの言う「詩人界のジム・モリソン(訳注=60年代に活躍した米国のロックスター、詩人。ドラッグや酒におぼれ、パリに移住。27歳で死去)」になったのか?
まるでパリの有名なペール・ラシェーズ墓地にあるジム・モリソンの墓に毎日観光客が訪れるように、北部フランスの目立たない街にある小さな墓地はランボオファンの「聖地」になった。
「アルチュール、ここにたどり着くにはとても苦しかった。でも、少なくとも、私はここにいます」。シルビアというイタリアからの巡礼者は備え付けのノートに英語でつづった。
彼女は「以前、私はここに来ることがあなたに近づく唯一の道だと思っていた」と記し、「でも今、それは真実ではないと分かりました。あなたはすでにこの私の心の中にいるのです。あなたのことはずっと前から分かっていたし、あなたはいつも私の人生の明かりでした。聞きたいことがいっぱいあるし、あなたが私に語ってくれることもまだまだあります。どうか、私に明かりをともし続けてください。愛している」としたためた。
ランボオの評価は、時代が変わり世の中の道徳観が変化するとともに、上がったり下がったりしてきた。うつろい易い文学的な評価基準によっても翻弄(ほんろう)されてきた。
ランボオは伝統的な価値観への反逆と同性愛ゆえに、長い間見向きもされなかった。ランボオと彼の詩が受け入れられたのはカウンターカルチャー(反体制文化)が広まった1960年代だった。
最近は、彼の生き方――フォン(Phong)の署名のある手紙の言葉にあるように「結果を絶対に恐れることなく」「君が選んだ道を自由気ままに」――が崇拝されている。それは必ずしも彼の詩を通じてではない。
つい最近、シャルルビル・メジエール市役所の階段に1人で座っていたFlorian Gaudet(22)に聞いたところ、彼は「僕が興味があるのは、本当のところ彼の詩ではなく、彼の生き方だ」と言った。「世間の人びとは彼を拒否し、彼は孤独で不幸だった。僕はそれが分かる」とも言った。
市内の商売人たちはそうした「ランボオ現象」に気づいていた。ランボオのファンたちはここで「アルチュール・ランボオ」の名の入ったプレートやマグカップを買えるし、「ランボオのテリーヌ(訳注=肉などをすりつぶして陶器に入れ、蒸し焼きにしたもの)」や「ランボオのコンフィ(訳注=砂糖・蒸留酒・酢などに漬けた果物や野菜、肉を脂肪に漬けたものなど)」、それに「アルチュールの蜂蜜」の瓶詰も買える。
それを買ったら、ランボオファンは「アルチュールのビンテージ」という地ビールや「アルチュール」のサイダー、ジュース、レモネード、コーラと、好きな飲み物で食べ、かつ飲む。
パリに行けば、「ベストウェスタンホテル・リテレール・アルチュール・ランボオ」に投宿することもできる。ビュッフェ式の朝食は無料で付き、Wi-Fiも無制限、各部屋には「額に入ったランボオの詩に若干の説明」がついている。
ランボオという詩人の現在のイメージは、彼の生涯における最新の解釈に過ぎない、と語ったのは仏グルノーブル大学のランボオ研究家Adrien Cavallaroだった。 Cavallaroによると、ランボオの死後、半世紀にわたって語り継がれた彼の不朽の物語は、彼がカトリック信仰を再発見した中で、詩作を「青年の罪」として断ち切ったことだった。しかしそれはランボオの家族によって作り上げられたもので、長い間保守的な人びとに支持されてきた、という。
「今日のランボオのイメージとはまったく逆だった」とCavallaro。 アルチュール・ランボオは1854年、ベルギー国境に近い地方都市シャルルビルに生まれた。彼が軽蔑してやまなかった故郷であると同時に、最後まで捨てきれなかった街でもある。文学的な仕事はわずか5年、次々と傑作を生み出したが、20代初めに突然詩作をきっぱりと投げ出した。
「地獄の季節」は「かつては、もし俺の記憶が確かならば、俺の生活は宴(うたげ)であった、誰の心も開き、酒という酒はことごとく流れ出た宴であった」(訳注=岩波文庫、小林秀雄訳)という一文で始まり、「ある夜、俺は『美』を膝(ひざ)の上に座らせた。――苦々しい奴(やつ)だと思った。――俺は思いっきり毒づいてやった」(同)と続く。
しかし、彼の作品にはパリに逃げ出した際の出来事が影を落としている。年上の詩人ポールマリー・ベルレーヌとの同性愛は特筆される出来事で、ベルレーヌは妻と子まで捨て、やがてランボオが離れようとすると、彼を拳銃で撃った――致命傷ではなかったが。
ベルレーヌが撃ったとされる拳銃は、2016年にオークションにかけられ、シャルルビル・メジエール市政府が買い取ろうと20万ユーロ(1ユーロ=118円換算で2360万円)の予算を組んだが、匿名の入札人が45万ユーロ(同5310万円)で落札した。
「残念ながら、今は誰かが個人所有している」と市長のBoris Ravignonは言った。
詩作を絶って以降、ランボオ神話には世界各地を放浪し続けた足跡が加わるだけだった。今はインドネシアになっているジャワ島に、当時のオランダ植民地の雇われ兵となって渡り、エチオピアとイエメンで探検家や商人として数年間働いた。ランボオは、やがて左足の切断と生命まで奪うことになるがんに侵され、フランスに戻った。
マルセイユの病院で、耐え難い死の苦しみの中、37歳で逝った。最後をみとったのは彼の妹だけだった。
ランボオは最後の20年間、シャルルビルを捨て去ろうと、各地を放浪して過ごした。最後の日々も、彼はエチオピアに何とか戻れるよう妹に必死で頼み込んだ。しかし、遺体は出生の地に連れ戻された。
「ランボオの母の要望でした」と語ったのはシャルルビル・メジエールにあるアルチュール・ランボオ記念館館長のLucille Pennelだった。
ランボオは16歳の時、恩師に宛てた手紙の中で、シャルルビルを「非常に愚劣だ」と書き記した。その後、何度か出奔を試みたが失敗し、彼は「おぞましい」とまで同市のことをさげすんで呼んだ。そして一つの詩「音楽について」で、シャルルビルのブルジョア(有産階級)たちを痛烈に皮肉った。
ランボオとシャルルビルの感情はお互いさまだった。パリにおける彼の言動がうわさとなってシャルルビルに広がり、死んでから長年にわたり、彼の詩は、生まれ故郷でタブーとされたのだった。
「私が学校に通っていた頃、ランボオは人気がなかった」。最近ある日の午後、詩人の墓に立ち寄ったBrigitte Rozoy(71)はそう語った。
すでに引退しているが数学者だったRozoyは、両親がランボオの詩――たとえば、10代の少年が少女に恋をし、17歳にもなればまじめ一方ではいられないよとささやく、といった詩――は子どもたちに悪影響を与えると心配していた、と言った。
それでも、教師の中にはランボオの詩をこっそり忍ばせて授業をしていた人もいた、とRozoy。詩人の「反逆精神が私にささやきかけた」ことを思い返しながら、そう明かした。
故郷シャルルビル・メジエールで、アルチュール・ランボオ記念館が開館するのは1969年まで待たなければならなかった。
館長のPennelは「長い間、ここの人々はシャルルビルに最悪の言葉を吐き続けたあの子(ランボオ)のイメージにわだかまりを持っていた。彼をたたえる理由が一つもなかった」と振り返った。「しかし、彼が語った数々のむごたらしいことを、私たちは乗り越えました」
ランボオが世界的な名声を博し、同市の伝統的な産業経済が落ち込みつつある中、故郷は今、彼を観光産業の大きな柱として全面的に受け入れている。
記念館はここ数年の間に改修された。巨大な壁画が街の隅々に飾られ、彼の詩が展示されている。
その皮肉は一人のランボオファンの中で失われていなかった。
2、3年前の冬、ランボオの墓を訪れたPaulineは「親愛なるあなたへ」と、ノートにこんなことを書き残していた。「私はついにシャルルビルにたどり着きました。あなたが憎んでいたと思われる所です。この21世紀では、あなたは栄誉をたたえられている。あなたはそのことを知らなければいけません。どこにいてもあなたのことを耳にします。あなたの詩はあなたの国のシンボルで、学校の授業でも、私たちが習うのはあなたの詩です」(抄訳)
(Norimitsu Onishi)©2019 The New York Times
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