ブルネットの髪はきっちりまとめ、シルクグリーンのブラウスを着て、どこかの居間のように見える部屋でアームチェアに腰掛ける。足を床にぴったり置き、手はひざの上にきちんと添えている。Zoomで授業をしている高校の歴史教師だと言っても納得するかもしれない。
実は彼女は、そもそもよく分かっていないのに、あがめ奉られてきたGスポットについて語っている人なのである。
彼女はMasterClassに講座をもっている。マーティン・スコセッシ(訳注=映画監督)やセリーナ・ウィリアムズ(訳注=プロテニス選手)といったえりすぐりの有名インストラクターを抱える教育プラットフォームだ。
「セックスで、重要なことは何ですか?」。エミリー・モースは、カメラに向かって穏やかに問いかける。まるで生徒たちに第1章を開いてと告げるように。
モースのビジネス、つまりセックス専門家としてのビジネスは、パンデミックの状況に合わせてデザインされたものも多い。しかし、ロックダウン(都市封鎖)措置がとられる前から、彼女は自分の仕事の大半を小さな録音室で過ごし、同じ質問に対してさまざまな答え方をしてきた。「退屈な時、自宅で何をするのか」という問いだ。
モースは「Sex With Emily(エミリーとのセックス)」というポッドキャストを主催して、一般的な質問(たとえば、どうすればトキメキを保てるか)から、ニッチな質問(たとえば、どうすれば安全にフリーセックスを楽しめるか)まで、リスナーからの質問に答えている。ラジオSiriusXMでの毎日2時間の放送、インスタグラムでフォロワー30万人以上との定期的なQ&Aライブセッションも行っている。フォロワー数は、パンデミック前の2倍に増えた。昨年4月にテレビ放送TBSのコナン・オブライエンの番組で、彼に大人のオモチャについてアドバイスをしたし、俳優ダックス・シェパードの新しいポッドキャスト「The Armchair Expert」にも加わった。
「彼女はすばらしい仕事をしていると思います」。ニューヨークに拠点を置く認定セックス療法士サリ・クーパーは、そう話している。「彼女はアレについて話すことへの躊躇(ちゅうちょ)を取り去ったんです。たいていの人は、それを冗談めかして言うかもしれませんが、親しい人には本当に突っ込んだ話はしません」
AppleやMasterClassはポッドキャストや講座のトラフィック数、ストリーミング再生数を公表していないが、モースのポッドキャストは一貫して高く評価されており、平均で4.5の星を獲得、リスナーからの質問数も大幅に増加した――と彼女は最近のインタビューで語った。彼女の講座は昨年11月の開設以来、MasterClassの「最高人気」リストに加えられ、ションダ・ライムズのテレビドラマ脚本講座やレストラン「フレンチランドリー」のシェフ、トーマス・ケラーの料理教室に次ぐ人気コースになっている。
「人びとはつながることや親密さを切望しています」と彼女は言う。「同時に、カップルはとても苦労しており、非常に多くの人たちが危険なレベルのストレスや不安を経験しています。だから、彼らはだれもが喜びを優先する準備ができているんです」
彼女の仕事は、すべてのプラットフォームを通じて、セックスの恥ずかしさを取り除くことに重点を置いている。「『Sex With Emily』は意図的な命名です。というのは、いつも『sex』という言葉を口にする必要があるので、多少なりとも恥ずかしさが取り除かれるからです」と彼女は言っている。そして、あらゆる肉体、あらゆるジェンダー・アイデンティティーに喜びを増幅させることにもなる。
彼女はいつでも、大人のオモチャの洗浄法や「オーガズム・ギャップ」の解消法など実用的なアドバイスを提供し、特定の動き方や秘訣(ひけつ)を段階的に指導してくれるのだ。
「際立っている点は、彼女がとても近づきやすいことです」とMasterClassのコンテンツ担当副社長ネキサ・クーパーは言っている。「気がつけば、私が最も内緒にしておきたいことについて彼女と話し、助けや支援を求めている自分がいた。びっくりですよ」。このMasterClassは、インストラクターを技巧の「熟練度」や個性、プロセス共有のオープン性に基づいて選別し、プラットフォームに招き入れる。だから「コンテンツはおのずと、学習や刺激、娯楽が交差するものになっていきます」とクーパーは言っている。
エミリー・モースの今日の成功は、進取の気性に富むインフルエンサーがいいタイミングで踏み切ったという話ではない。彼女は15年前にポッドキャストを始めていた。当時、ニューヨーク・タイムズはポッドキャストのことを「主にアマチュアのインターネット・オーディオ媒体」と説明していたし、そういう媒体でセックスのことやさまざまな性的関心についてオープンに話す人はあまりいなかった時代である。
彼女は、インスタグラムの設立や「インフルエンサー」という言葉が一般化するずっと前から、自分のプラットフォームを活用して製品を販売できることに気づいていた。
モースのポッドキャストの着実な伸長は、以下のことを示唆している。つまり、彼女より前に、象徴的存在のドクター・ルース(訳注=本名はルース・ウェストハイマーで、有名なドイツ系アメリカ人)をはじめ、セックスセラピストの草分けたちがずらりといて、大人のオモチャ業界が成長していて、インターネットで調べれば簡単にグーグルが答えてくれるにもかかわらず、人は相変わらずセックスについて話すのが気詰まりだということ。とりわけ、女性の快楽や性器については。
そのナゾの多くは、要するに彼女が「False Evidence Appearing Real(本物に見える偽のエビデンス)」とか、FEAR(恐怖)と呼ぶところに帰着する。「目下のところ、米国では、医学的に正確とされる性教育を義務付けている州はわずか17にとどまります」と彼女は言う。「そして、その教育はしばしば禁欲とか性感染症、あるいは妊娠に関する恐れにもとづくもので、どれも快楽についての教育ではないのです」と指摘する。
人は答えをポルノサイトに求めてきたが、それでは「The Fast and the Furious」(訳注=米国のアクション映画で、邦題は「ワイルド・スピード」)を見て車の運転を習うようなものだと彼女は言うのだ。
「情報がないだけでなく、すでに持っている情報は間違った情報です」
モースは2005年夏、サンフランシスコのアパートでポッドキャストの初回分を収録した。ミシガン大学で心理学の学士号を取得した直後だったが、その時までは、政治の分野でビデオプロデューサーとして働いていた。1995年にはウィリー・ブラウンのサンフランシスコ市長選キャンペーンを手伝い、その後、99年にはブラウンの再選を「See How They Run」と題したドキュメンタリーに仕立てた。
彼女は何人かの友人をアパートに招いてワインを少し飲みながらセックスの話を交わし、「好奇心半分、うらやましさ半分」からその様子を録画したが、そのころはまだフリーランスのビデオプロデューサーだったという。
「私はいつも好奇心が旺盛でしたが、すごく刺激的なセックスの話を聞くとうらやましく思いました」とモース。「もし誰かが『すばらしいセックスをした』と話せば、私は『待って。それって、どういう意味?』って聞きました。そうしたすばらしいセックスの経験がないのは私だけかもしれないと思って、へこみましたね」
彼女は25歳まで自慰行為をしたことがなく、35歳でポッドキャストを始める時まで女性のオーガズム(性的絶頂感)についてよく理解していなかった。何度も性的な関係を持ってきたし、厳格とか制約的といった育てられ方をしたわけではないにもかかわらず、である。母親は彼女に、聞きたいことがあれば聞きにくるようにと言ったけれど、「何を聞けばいいのか分かりませんでした。若い時は、何が分からないのかが分からないんです」。
ポッドキャストの初回は、ビキニラインの無駄毛処理を専門にするブラジル人とキャプテン・エロチカを名乗る男性の話で、モースによると、ざっと7万5千回のダウンロードがあったが、それは新しい媒体だったことを考慮すればすごい数だ。
新しいプロジェクトの資金を調達するため、彼女はローンを組んだ後、現金を稼ぐことを目的に家々の掃除をし、友人を車で送り(ウーバーができる前だったので)、モデルの単発仕事をこなした。また、「Institute for the Advanced Study of Human Sexuality(IASHS=ヒューマン・セクシュアリティー高等研究所)」の夜学に3年半通い、2012年に卒業した(IASHSはフェミニストの性科学者ベティー・ドッドソンも卒業生だが、同研究所のことを中傷する人がいなかったわけではない。16年にカリフォルニア州の私立高等教育局〈BPPE〉は教育プログラムの運営継続申請を拒否し、同研究所は18年に閉鎖された)。
モースが受けたビジネス教育は、さほどきちんとしたものではなかった。08年のことだが、ある時、彼女がお気に入りの新しい大人のオモチャの一つについてポッドキャストで話すと、翌日、その会社の人から電話があり、売り上げが急上昇したと告げられた。「そこで、私はこんなふうに答えたんです。『ああ』と。それから、『報酬をくれるの』と無造作に返しました。何を請求すればいいのかさえ知らなかったのです」と彼女は振り返る。「でも、その時、ビジネスに実際に資金を投入するためにはそうしたブランドと連携する必要があることに気づきました」
彼女には現在、We-Vibeや Magic Wand、Adam and Eveといった常連の広告主がついている。 モースの認知度が高まるにつれ、時に彼女は私生活に悩みを抱え込むことになった。男性とデートしても彼らは人に自慢したいから、あるいはとてつもなくすばらしいセックスを期待してそこへ来るだけだと分かった(彼女は、結婚したいと思ったことは一度もないと言っている)。「私がシェフなら、あなたは私のところに来るたび、私がスフレをつくることを期待しますか」と彼女は問う。「時にはあなたの夕食を電子レンジでつくるとしたら、どう思いますか?」
そしてパンデミックが起こり、多くの人にとって、セックスは二の次に追いやられた。
モースによると、リスナーの年齢は18歳から85歳で、寄せられる質問は、総じて15年前に受けたのとそう変わっていない。「毎日、オーガズムに達したふりをしていると言う人がいる。長い間ニーズが満たされていないと言う人もいるけど、彼らはそのことについて、どう話したらいいのか分からないのです」
ところが、カップルは共にロックダウンに遭い、多くの独身者はゆきずりのセックスを嫌っていて、質問の趣旨が少し変わってきた。変化に富んだセックスを取り入れるにはどうしたらいいか、疲れ切っている時、どうセックスすればいいかを知りたいのだ。
それでも、昔からの誤った通念は根強く残っている。
「挿入によってオーガズムに達するのは女性や外陰部を持つ人たちの20%にすぎない」にもかかわらず、人びとは相変わらず挿入を重視しすぎていると彼女は指摘する。性的な興奮は必ずしも身体の状態によって起こるわけではない。「脳はパワフルな性器だ」ということを忘れているのだ。人は、セックスについて話したら性生活に問題があると思われるのではと心配するが、実際には逆である。「セックスについて話せば話すほど、すてきなセックスになる」からだ。
中でも最大の誤解は、誰もがいつもすばらしいセックスをしているという思い込みで、何よりそれこそが彼女をこの分野に参入させた理由だった。「私たちのセックスや性的関心は一つのプロセス(過程)です。つまり、それは旅なのです」とモース。「テニスのレッスンのように、チェックリストを一つひとつ点検できる」ものではないのである。(抄訳)
(Austin Ramzy)©2021 The New York Times
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