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家にまつわる記憶や物語、そして秘密 韓国の作家がフランス、スイスを舞台にたどる

Bestsellers 世界の書店から 更新日: 公開日:
ペク・ヒソンの『光が導くところへ』
ペク・ヒソンの『光が導くところへ』=関口聡撮影

ノーベル文学賞発表後、ハン・ガンの作品がベストセラーを席巻した。本書『光が導くところへ』は10月第1週まで2位だった。

フランスのジャン・ヌーベル建築事務所で働きながら、古色蒼然(そうぜん)たる趣を持つ家を見つけるたびに、郵便受けに手紙を入れて回ったというペク・ヒソン。「あなたの家にまつわる物語を聞かせてください」と。ときには返信をもらい、その家に招待された。長い時間をかけてパリの古宅を探索した建築家が、その体験を元に、この小説を書いた。

建築事務所で働く主人公ルミエールはある日、不動産業者を介して、パリ中心部のシテ島の古びた邸宅を紹介される。スイスの療養病院に入院中の家主は、何十年も人の住んだ気配のないその家を、信じられないほどの安価で、「建築家に譲りたい」という。ルミエールは家主に会うため、夜行列車に飛び乗った。

ルツェルンにある病院は、家主の父が設計したものだった。元々は、廃虚と化した中世の修道院の建物。壊れたところを元通りに復元するのではなく、ガラスと鉄材で欠損部分を覆い、石造りの空間と見事に結合させた。

真っ暗な部屋に差し込む一筋の光の先に、外の景色が逆さまに映し出された。カメラオブスキュラという写真の原理だ。天井付近には鏡がはめこまれ、日差しを反射させて薄暗い部屋の奥深くまで照らす。内側にいながら、外の自然を肌で感じることのできる空間。建物の中まで鳥のさえずりを届ける空気の通路もある。

夕日が反射して、見事な光の饗宴(きょうえん)を繰り広げる病院で、患者たちは幸せな歓声を上げる。細部まで考え尽くされた設計手腕に、ルミエールはすっかり魅了された。

その病院のどこかに、父が息子に宛てた秘密のメッセージが隠されているという。衰弱し失明した家主は、自分の代わりにそれを探してくれる建築家の来訪を待っていた。ルミエールは真っ暗な図書館から、家主の父の日記を見つけ出し、シテ島の邸宅を譲り受ける。しかしそこには、さらなる秘密が隠されていた。

邸宅に残る、不可解な痕跡。随所に刻印された謎を、若き建築家はどう解き明かしていくのか。家主はなぜその邸宅を、売り払おうとするのか。

重厚な空気を貫く日差しのぬくもりに、記憶と空間を結びつけ、愛する人の思い出をよみがえらせようと苦悩した建築家の心を見たルミエール。時空を超えて、建築家同士の連帯感が生まれる。そしてルミエールは悟る。この家は、父が息子に残した愛の証しだったと。

「世の中は、目に見えるものだけがすべてではない」

著者は現在韓国で、「記憶の宿る建築」をモチーフとする空間を作り出しているという。

今のソウルでは、8割近くの人がマンションやアパートなど、集合住宅で暮らすと聞く。四角く区切られ、均質化されたコンクリートの空間は、半世紀もすれば劣化して、「全とっかえ」の再開発が行われるのが常だ。そのとき新築マンションの付加価値は上がるが、住民たちの暮らしの痕跡は、すべて消えてなくなってしまう。

マンション暮らしの読者はこの小説を、自分とは関係のない遠い国のファンタジーとして読むのだろうか。それとも「自分も思い出が引き継がれる家に住んでみたい」と、憧れるのだろうか。

かつて評論家の多木浩二は『生きられた家 経験と象徴』で、「家はまさに多様な時間の結果である。家そのものが記憶である」と言った。立地や広さだけでは、決して測ることのできない家の価値。それはまさに、蓄積された物語にあることを、この小説は教えてくれる。(敬称略)

韓国のベストセラー

2024年10月第2週 教保文庫(小説)

『』内の書名は邦題(出版社)

  1. 소년이 온다  『少年が来る』(クオン)

    한강  ハン・ガン

    民主化を求める市民と戒厳軍が衝突した光州事件を描いた。

  2. 작별하지 않는다  『別れを告げない』(白水社)

    한강  ハン・ガン

    韓国現代史の闇、済州島の4.3事件を描いた問題作。

  3. 채식주의자  『菜食主義者』(クオン)

    한강  ハン・ガン

    菜食主義の女性を通して見た、韓国社会の生きづらさ。

  4. 희랍어 시간  『ギリシャ語の時間』(晶文社)

    한강  ハン・ガン

    母を失い、夫と離婚し、息子の養育権を奪われた女性の喪失感。

  5. 흰  『すべての、白いものたちの』(河出書房新社)

    한강  ハン・ガン

    産着、骨、雪……、決して汚されてはならない物たちの物語。

  6. 디 에센셜 ジ・エッセンシャル

    한강  ハン・ガン 

    ハン・ガンの長・短編小説、エッセイ、詩のエキスを集めて編んだ。

  7. 모순  矛盾

    양귀자  ヤン・クィジャ

    1998年に出版された小説。母と叔母の矛盾に満ちた人生の物語。

  8. 빛이 이끄는 곳으로  光が導くところへ

    백희성  ペク・ヒソン

    前週までは2位だったが、ノーベル文学賞の発表と同時に順位が下がった。

  9. 이중 하나는 거짓말  このうち一つは嘘

    김애란  キム・エラン

    互いの嘘と秘密と悲しみが、3人の高校生を結びつけていく物語。

  10. 영원한 천국  永遠の天国

    정유정  チョン・ユジョン

    ミステリースリラーの女王の最新作。人間の最後の欲望とは。