『アーモンド』(ソン・ウォンピョン著、矢島暁子訳)は2020年の本屋大賞翻訳小説部門で1位に輝き、注目を集めた。タイトルは、感情を司る脳の部位である偏桃体の形がアーモンドに似ていることに由来する。主人公のユンジェはこの偏桃体が小さく、怒りや恐怖といった感情をうまく感じることができない。そんなユンジェを祖母は「かわいい怪物」と呼んだ。高校生になったユンジェは、もうひとりの怪物、ゴニと出会う。暴力的なゴニはユンジェを痛めつけるが、ユンジェは痛がらない。正反対の互いの存在がそれぞれ成長のきっかけとなる。
原作者のソン・ウォンピョンは映画監督でもある。だからだろう。映像化や舞台化がしっくりくる。今回の舞台の脚本には小説『アーモンド』日本語版の言葉がほぼそのまま使われている。板垣さんは「地の文がモノローグとしてそのまま使える小説というのは珍しい」と言う。
舞台化を提案した板垣さんが最初に『アーモンド』を手に取ったのは、表紙のイラストに惹かれてだった。原作の韓国語版も同じで、無表情の若い男の顔だ。高校生のユンジェだろう。
板垣さんは「小説を読んだ時、『自分のことだ』と思った」と言う。それは、ユンジェだけでなく、ゴニも含めてだった。「ユンジェとゴニは対極のようで、どちらも僕らの話だと思う。感じすぎる我々であり、それゆえ目をそらそうとする。世の中ではとってもひどいことが起きているんだけども、果たして自分はそこに手を差し伸べているかと言えば、生活に追われて感じないふりをして生きている」と話す。
その話を聞いて頭をよぎったのは、昨年12月に大阪・北新地のビルで起きた放火事件だった。現場にいた25人が犠牲になり、犯人も死亡した事件は、『アーモンド』でユンジェの母と祖母が巻き込まれた無差別殺傷事件と重なるようだ。ユンジェはこの大惨事も無表情で見つめていた。
1月には大学入学共通テストの初日、試験会場になった東京大学の前で受験生らが刺される事件、さらに医師を銃で殺害した埼玉県ふじみ野市の立てこもりなど、社会を揺るがす事件が相次いでいる。他人の痛みに鈍感になっているのではなかろうか。それは犯人だけではなく、犯人の「孤独」という痛みに周りが鈍感だったのかもしれない、というのが『アーモンド』に込められたメッセージだ。
「現代の問題をちゃんと書いている」。これが板垣さんが舞台化したいと思った最大の理由だ。板垣さんは自分自身を「エンタメ社会派」と言い、エンタメであり、現代の問題に言及する作品を目指している。『アーモンド』を読んだ時にエンタメ社会派の血が騒いだという。
一方、宋さんは「日本の作品が社会問題を描く時、悲しみは描いているんだけど、痛みは描いていない印象がある。刺された時、刺された痛みは描かずに痛かったことの悲しみだけを描いている」と指摘する。1980年の民主化闘争、光州事件を描いたハン・ガンの小説『少年がくる』を読んだ時、心が痛むのとは違う、身体的な痛みを感じてびっくりしたのを思い出した。確かに『アーモンド』も痛みに関する描写が多い。
韓国出身の宋さんは自身の経験から、「少なくとも韓国人男性は徴兵制があることで加害者と被害者を経験している」と言う。良い、悪いは別にして、その影響はあるのかもしれない。「どんなに優しい人でも軍隊に入ったら銃を持つし、僕らの世代では1回くらいは部下に暴力を振るったことがある人が多い」。暴力を受ける方も振るう方も経験しているということだ。
板垣さんはその話を受け、「韓国は激しい運動を経て民主化を実現したが、日本は敗戦により民主化が進んだという違いがある」と指摘する。板垣さんは光州事件を描いた『タクシー運転手 約束は海を越えて』や1987年の6月民主抗争を描いた『1987、ある闘いの真実』などの韓国映画も見ている。「韓国の作品は痛みをストレートに描いているからこそ、自分の痛いところに刺さり、見過ごしていたことを自覚し始める」
小説『アーモンド』は日韓で比較的幅広い世代に読まれており、舞台も「ヤング・アダルト シリーズ第1弾」と銘打つ。宋さんは「家族や友達と見に来て、主人公たちのような思春期の中高生や大人が一緒に語り合うきっかけになるとうれしい」と話す。
ユンジェとゴニを交代で演じるのは、長江崚行と眞嶋秀斗。ヒロインのドラは佐藤彩香が演じる。詳細は舞台『アーモンド』の公式ホームページで。