選挙のやり方を見れば、その国の民主主義がどのくらい機能しているかわかるように思える。権力は放っておくと、自分に都合のいい選挙制度をつくる。わかりづらい複雑な制度にして改革政党を排除しようとしたタイが良い例だ。
半面、巨大国家でできるだけ多くの人が投票できるよう奮闘するインドや、投票を義務とし、できるだけ民意を反映しようと複雑な順位付け投票を導入しているオーストラリアは今のところ優等生かもしれない。
州によって制度の違う米国は、選挙を通じた民主主義が機能するかどうか、せめぎ合いのさなかのようにみえる。
南部ジョージア州では2021年、投票日に投票所で並んで待っている有権者に飲み水を提供することを禁止する条項を盛り込んだ法律ができた。日本だと想像しにくいかもしれないが、私は2016年の米大統領選でこんな光景を見た。
投票日を中部ユタ州で迎えたが、投票所で有権者が長い行列をつくっていた。投票まで1時間以上かかるという。日本だったら、というか少なくとも自分だったら投票をあきらめて帰ってしまうだろうと思った。だがそこでは、NPOの人たちが並ぶ人たちにピザや水を差し入れて、「がんばって投票して」「あきらめないで」と励ましていた。
ジョージア州のブライアン・ケンプ知事(共和党)は2018年、選挙実務の責任者である州務長官から知事選に出馬した。民主党の対立候補に辛勝したが、この時の選挙では何万人もの有権者登録を保留にし、理由をつけて期日前投票を受け付けなかった。その多くが民主党を支持する傾向の強いマイノリティーだったという。そうやって勝った知事は、選挙制限の立法を続けている。
投票率が高い中西部ミネソタ州や北西部オレゴン州は、そのための制度を整える工夫や努力をしているし、民も必死で支えている。ミネソタ州のセントルイス郡で選挙実務の責任者を務めるナンシー・ニルセンさんは「私たちの郡では投票所では待ってもせいぜい10分か15分程度」と胸を張っていた。しかし、選挙制限の立法をしていない州のほうが少数派だ。
日本はどうか。2018年、参院選選挙区の合区「対策」のため、与党・自民党は比例区に特定枠を導入して定数を増やす公選法改正案を提出し、成立した。合区で議員を出せなくなった県の候補者を救済するためだった。議論が始まった時には定数を増やすという話は全くなかった。野党は「党利党略のご都合主義」と批判、党内からも「国民から理解を得られない」という声が上がるほどだった。
権力の側だけではない。民から選挙を荒らすような動きが出ている。
今年の都知事選では、ポスター掲示場に候補者と関係のないものが貼られた。衆院東京15区の補選では、他の候補者の演説を妨害した陣営もいた。選挙活動の法規制をすべきだという声も聞こえてくる。
しかし、規制は諸刃の剣だ。警察が選挙演説へのヤジを排除したこともあった。権力が好き勝手をせず、また有権者が自分で自分の手足を縛らないように、常に監視し、自覚しなければならない。「有権者が望めば制度は変えられるし、制度によって民主主義も機能するかどうか決まる」(大山礼子・駒沢大学名誉教授)のだから。