昨年、兄が、中国出身の女性と結婚しました。
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日本に来て数年が経つ義姉は、兄とも、私たち家族とも、日本語で話します。だからでしょう、いい意味で、「中国人」という感覚は、私たち家族にはあまりありません。
少し片言だったり、食べたことのない料理や食材があったり。彼女が日本で育ったわけではないことを思い出す瞬間はあります。でも、美的感覚や、笑うツボが同じだからか、むしろ他の「日本人」よりも私たちに近い人間だと思ってきたのです。
こういうのを国際結婚と言うんだっけ、そんな大げさな言い方もおかしいな、と思うくらいに、彼女は私たち家族の一員としてなじんでいました。
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けれど、今年挙げた結婚式でのこと。
新婚の二人は、それぞれの友人を結婚式に招き、義姉の母親も、中国から日本へやって来ました。一度、両家顔合わせをオンラインで行ったことがあり、その時は、兄と義姉とが交代で通訳をしてくれていました。
でも、結婚式の主役は彼らです。忙しい主役たちが、常に私たちのそばにいられるわけもありません。結婚式は、二人の配慮で日本語と中国語両方を使って行われました。けれど、結婚式や披露宴が終わった後、招かれた友人たちは帰宅の途につき、主役たちは着替えるためにどこかへ消えてしまいました。
残されたのは、日本語しか話せない私の両親と、中国語しか話せない義姉のお母さん。せめて、両言語が分かる兄や義姉の友人たちがいてくれたらよかったのです。でも、誰もいませんでした。
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そんな時、お互いに言葉が通じないために、ちょっとしたハプニングがありました。「兄か義姉がいなければ、会話ができないんだった」と、パーティー用の小さなバッグの中に文明の利器が入っていることも忘れ、私はうろたえました。
何とか話がしたくても、私の口から出るのは日本語か英語だけ。でも、どちらも分からない彼女にすれば、意味がないのです。言葉の壁を、ひしひしと感じました。超えられない壁が、見えない壁が、私たちの間には立っていると思いました。
結局その場は、身ぶり手ぶりで何とか乗り切りました。けれど、家族の着替えが終わっても、兄と義姉はなかなか戻ってきません。日本人ばかりの空間で、義姉のお母さんは、心細いだろうと思いました。その時やっと、私はスマホの存在を思い出しました。翻訳アプリを使おうと思ったのです。
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でも、自分のスマホに、どうやって中国語を打ち込めばいいかすら分かりません。義姉のお母さんにはスマホに向かって喋ってもらうことにして、お互いの言語に翻訳することにしました。
初めは、結婚式の前に義姉のお母さんが訪れた日本の観光地の話をしていました。ちょっと一息をついた時、彼女が言いました。「我们都有共同的愿望,想要互相交谈(お互いに、お互いと話したい気持ちがあるのは同じですね)」
この何分かの奮闘を思って、私は思わず微笑みました。たとえ言葉が通じなくても、通訳してくれる人がいなくても、ずっと同じことを考えていたのだと分かったからです。
何となく、世界は遠くにあるもののように感じていました。国際結婚も、何だか壮大なもののように思っていました。日本語で意思疎通のできる義姉はともかく、義姉のお母さんのことは遠い存在のように感じていたのです。
でも、私たちは同じ世界にいるのです。たまたま生まれた場所が離れているだけで、話す言葉が異なるだけで、本当は、同じ心を持っていたと気がつきました。翻訳アプリがなければ、見えない壁は依然存在していたでしょう。でも、心には最初から壁はなかったと分かったのです。
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義姉のお母さんが日本観光をしていた時、私の兄や義姉たちは、お母さんが迷子にならないかと心配していたといいます。私が、「私も母が迷子になることを、よく心配しています」と伝えると、義姉のお母さんは、「我很高兴我们发现了一些共同点(共通点が見つかって嬉しいです)」と笑いました。
本当に、どこまでも同じ気持ちでした。
【筆者プロフィール】
ペンネーム:元町ひばり
半径5メートルの国際問題に親近感
【講評】兄が中国人の女性と結婚し、その挙式当日に起きた「ハプニング」から「世界」とのつながりを感じたエピソードは、読み手にとってもイメージしやすく、「半径5メートル以内」の国際問題として身近に感じられました。中国語が話せる兄や義理の姉が退席してしまい、筆者は義姉の母親とのコミュニケーションに苦労するのですが、それがかえってお互いの「距離」を縮める結果になったようです。この世界はまだまだ優しく、希望が持てるのだという読後感でした。(GLOBE+編集長・関根和弘)