ロシア軍の「戦争犯罪」追及するウクライナ人 広がる国際刑事裁判所(ICC)への訴え
そもそも侵略戦争自体が許されるものではないが、戦争をするうえで守るべき最低限のルールにも反しているとの考えからだ。ウクライナで戦争犯罪の追及を進める国際刑事裁判所(ICC)の活動を追った。
南部ミコライウ州の農村ノボペトリウカは、後者の一例だ。ロシア軍に殺害された住民の遺族が、その罪の裁きを国際刑事裁判所(ICC)に求めている。
小麦畑とヒマワリ畑に囲まれた人口約1200人のこの村の周辺では、昨年2月のロシア軍侵攻の数日後から、ロシア軍車両が頻繁に行き交うようになった。ロシアは村から十数キロしか離れていない隣のヘルソン州を早々と制圧。ミコライウ州への浸透を図っていた。
村の女性マリーナ・カサパさん(31)によると、ロシア軍は村の入り口に架かる小さな橋のたもとに陣地を構えた。住民は外に出られなくなり、事実上の占領状態となった。
マリーナさんの母バレンティーナさん(53)は、この村の村長を務めている。昨年3月19日、母はロシア軍からの呼び出しを受けた。夫のウォロディミルさん(当時52)と一緒に橋のたもとに向かうと、予想に反してロシア兵は礼儀正しく親切に見えた。「おとなしくしていれば村を攻撃はしない。略奪をすることもない」と説明したという。
その話を父母から伝え聞いて、マリーナさんは少しほっとした。19日はマリーナさんの娘の誕生日で、父母や義理の家族を招いてささやかなお祝いをした。
状況が一変したのは翌20日。この陣地に対してウクライナ軍が攻撃を仕掛けたのだ。ロシア軍はその場に装備を残したまま、姿を消した。村人たちはてっきり、それを撤退だと思い込んだ。残された装備や武器を、めいめいが勝手に家に持ち帰った。
しかし、ロシア軍はすぐに戻ってきた。21日午前6時ごろ、激怒した兵士が母の家を訪ねてきた。「どうして装備に手を出したのか」と問い詰める。「午前10時までにすべてをもとに戻せ」。ロシア兵はそう言い渡した。
母は早速各戸を回り、装備を返却するよう村民を説得した。大部分は応じたが、村民の一人が「自分では持って行きたくない」と渋った。「では、私が代わりに持って行こう」と父が言った。母は引きとめたが父は聞き入れず、装備を手にロシア軍の陣地に向かった。母が父を見たのは、それが最後だった。
消息を絶った父の遺体が村の近くの用水路で見つかったのは、11月にロシア軍が撤退したさらに後、行方不明から1年近くを経た今年2月1日だった。父とともにロシア軍に一時拘束された村民の証言だと、父は歯を削られたり爪をはがされたりの拷問を受けていたという。
そのころ、ICCを巡るニュースが流れているのを、マリーナさんは目にしていた。キーウ郊外のブチャで起きた虐殺で、被害者の遺族がロシア軍の犯罪行為を訴えているという。ICCは刑事裁判所だが、被害者の参加が広く認められており、遺族代理人が法廷で証言したり、被害の賠償を受けたり、といった民事裁判の要素が採り入れられている。
マリーナさんは、ブチャの裁判を担当する弁護士オレクシー・ヤシュネツキーさん(45)にたどり着いた。さらに、その協力者でサンマリノ在住の国際弁護士アキーレ・カンパーニャさん(44)とも連絡を取り、この夏ICCに被害者の立場で裁判に参加する申請を出した。
申請書は、住民の詳細な証言記録や遺体の検視報告書などを伴っている。ICCの被害者参加賠償局に保管され、裁判が始まる日を待つことになる。
マリーナさんの活動に懐疑的な村人は少なくないという。「犯人が捕まるわけない」「時間ばかりかかる」。しかし、マリーナさんにくじける様子はない。
「10年かかっても、いつか裁きが訪れると信じています。この裁判は、父のためだけではない。ウクライナの被害者みんなのためのものだと思うからです」
カンパーニャさんは、国際法廷での活動経験が豊富な弁護士だ。サンマリノに生まれ育ち、地元で弁護士事務所を開業。偶然同じビルにウクライナ人ビジネスマンが事務所を構えており、その交流から初級ウクライナ語を身につけていた。
ロシア軍の侵攻後、弁護士としての貢献方法を探り、つてをたどって知り合ったヤシュネツキーさんと連携しつつ、ロシア軍の占領被害者の声を国際法廷に届ける活動を企画。虐殺が起きたブチャや、ミサイル被害が甚だしい中西部の街ジトーミルを中心に取り組みを始めた。
マリーナさんの訴えを受けたのは、対象範囲を徐々にウクライナ南部に広げようとしていたときだった。「極めて悲惨な例で、その無念をぜひ晴らしたい」とカンパーニャさんは話す。
カンパーニャさんはすでに、マリーナさんの例を含め58件のICC裁判参加申請をまとめた。その一例は、両親をロシア軍に殺されたブチャ在住の女性テチャーナ・ナウモヴァさん(39)の申請だ。
彼女の証言とICCへの申請書によると、ロシア軍がブチャを占領してしばらく、テチャーナさんは父セルヒー・シドレンコさん(当時65)、母リディアさん(当時62)らと、家の地下蔵に隠れていた。しかし、電気もガスも止まって生活が難しい。彼女は、夫や子どもとともに昨年3月5日、砲弾が飛び交う中を市外に避難した。父母はそのまま家に残った。近所の足の不自由な年配者の世話をしなければ、と考えてのことだった。
テチャーナさんは避難先から父母に連絡を取り続けたが、携帯の電波は弱く、しばしば途切れた。最後の会話は3月22日。母リディアさんは死期を悟ってか、3分ほど泣き続けた。
父母が殺害されたのはその日のことだと彼女は信じる。日めくりカレンダーがその日までめくられてとまっていたからだ。父母の遺体は、町外れの大木の下で切断され、焼かれていた。
マリーナさんやテチャーナさんはICCの裁判参加を目指しているが、カンパーニャさんは、ICCとは異なる国際法廷での戦争犯罪の追及も試みている。
ブチャでテチャーナさんの近所に暮らすイリーナ・ガブリリュクさん(48)は、ロシア軍に殺害された夫セルゲイさん(当時47)と弟ロマンさん(当時43)について、その責任を問う裁判を欧州人権裁判所(フランス・ストラスブール)に昨夏起こした。欧州人権裁は欧州評議会(CE)が欧州人権条約に基づいて運営。ICCが個人の罪を問うのに対して、この裁判所は国家の責任を問う。ロシアはCEから昨年3月に除名されたが、脱退後も半年間は管轄権が残るため、提訴が可能となった。
また、マリーナさんやテチャーナさんが被害者の立場で裁判にかかわろうとするのに対し、その前段階にあたる戦争犯罪の捜査に協力しようとする人々もいる。
キーウ在住の弁護士ユーリ・ビロウスさん(35)は、被害者の証言を動画に収録し、ICC検察局に送る活動に取り組んでいる。
戦争犯罪の追及は、根気を必要とする営みだ。特にウクライナの場合、責任者の多くはロシアで国家に守られ、拘束の見通しは立たない。
ただ、長期的には様々な可能性が考えられると、ビロウスさんは語る。ロシアの体制が将来変わるかもしれない。責任者がウクライナで捕虜となる確率もゼロではない。対ロ制裁をめぐる駆け引きからロシア側が譲歩する可能性も考えられる。何より、裁判にかかわり、踏みにじられた法と秩序を取り戻そうと努めること自体が、被害者や遺族にとって大きな励みとなる。
ヤシュネツキーさんは、証言が記録として残ることの重要性も指摘する。「出来事を一つの家族の悲劇にとどめず、裁判に訴えることによって歴史に残し、世界と次世代に伝えることが重要です」