無理が通れば道理が引っ込む。ウクライナに侵攻したロシアの狙いは、つまりはそこにあったのであろう。
パワーでねじ伏せれば、いずれ世界は追認する。弱き者は黙って従えばいい。そのように他国を威嚇し、攻撃しつつ開き直る態度は、程度の差こそあれロシア以外の大国や地域大国にも、時にうかがえる。ICCの活動を支え、戦争犯罪を追及しようとする営みは、このように力任せの論理で踏みにじられた「道理」を回復させる一歩に他ならない。
戦犯裁く機運、冷戦後に加速
東西の力の均衡が前提だった冷戦時代と違って、ルールに基づく世界の秩序を曲がりなりにも築いてきたのが、冷戦後の三十余年だった。戦争犯罪を裁く取り組みも、冷戦期の停滞を抜けだし、1990年代には旧ユーゴ国際犯罪法廷、ルワンダ国際犯罪法廷が生まれ、2000年代にICCが実現した。
世界の多くの人々は無用の暴力を憎み、それを振るう人を処罰してほしいと願う。ICCの活動は、そのような市民の常識的な感覚に支えられていた。
近年の技術の発展と普及が、その歩みを後押しする。市民が受けた被害の映像が、現場からSNSで直接発信され、各国の人々の手元に届く。遠い地に暮らす人々の感情を生々しい映像が揺さぶり、対応を求める世論となって、政治を動かす。
イスラエルとパレスチナの紛争で、双方の被害の映像が国際社会の激しい反応を招いたのも、現象の一例だ。ICCのかかわりを求める声が上がり、検察官がガザの検問所を訪れるなどICC側も応える姿勢を見せる。
最大の拠出国、日本に期待する声も
「道理」を求める声は、国際社会の大海の中でまだ、小さな流れに過ぎない。ICCの影響力は限られ、活動はしばしば批判や妨害に直面する。楽観的ではいられない一方で、多くの被害者がその試みに希望を寄せているのも確かである。
「ルールに基づく国際秩序」の擁護を責務と位置づけてきた日本は、この流れを拡大させ、定着させる役目を担うべきだろう。米国も中国も参加しないICCで日本は最大の分担金拠出国であり、そのイニシアチブを期待する声はICC内部にも強い。