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歴史をさかのぼれば見えてくる 「なぜいま中東は無秩序なのか」池内恵氏の眼

朝日地球会議2018 更新日: 公開日:
池内恵氏=2018年9月24日、岡田晃奈氏撮影

【前の記事を読む】アメリカの覇権が終わり、地域大国の時代に 激変する中東のいまはこう読む

【池内恵】 池内でございます。今日はこんなにたくさんの方々にお集まりいただき、ありがとうございます。しかも、今回は私が個人的に過去10年ほどにわたって何度も教えを請うてきたブラウン先生を日本にお迎えし、同じパネルでお話することができました。私自身漠然と望んでいたことですけど、現実になるとはあまり思っておりませんでしたので、大変嬉しく思っております。

■議論にネクタイは……

ちょっとだけブラウン先生との思い出をお話させていただきます。私は2009年にワシントンDCの「ウッドロー・ウィルソン・センター」で客員研究員をさせていいただきまして、その時にジョージ・ワシントン大学で長く教えていらっしゃるブラウン先生も同じセンターへ来て研究されていました。そこで、いろいろ教えてもらったのです。その後も年に一度アメリカで中東学会がある度に、先生とお話をするのが、私の楽しみになりました。

先生は、いろんな学生たちが周りに集まってくる人で、非常にいいアドバイスを下さるんですね。ちょうど一つのアドバイスを思い出しますと、ある時先生のホームグラウンドのジョージ・ワシントン大学で大きな会議があったんです。ワシントンにいる研究者や官僚、外交官が集まるんですが、そこでブラウン先生がメインスピーカーでいらして、このような演壇に立って、「ネクタイをしている人はほとんどいないな」と言うのです。「自分もネクタイをしていない。これは素晴らしい。研究者というのは、ネクタイが必要ないときに一番真剣に話をするんだ」とおっしゃられたんですね。

今日先生はスーツとネクタイをしておられる、ということで(笑)、これは真剣にお話をしないということではなく、日本で初めて会う皆さんのために礼儀正しく服を着て選んでくださったのだと思っております。

今日の先生のお話には、現在の中東の状況を構造的に、あるいは理論的に見ていくために必要な概念がほとんど全部入っていたと思います。その上で、私はもう少し歴史をさかのぼってみたいと思います。そこから、現在何が起こっているのかを考えてみるアプローチを取ってみたいと思います。

■なぜ秩序が見えないのか

まず、3冊の本を紹介します。3冊は全て私の本ですが、最初は「イスラーム国の衝撃」という本です。この本は、2015120日に出ました。この120日という日付は、日本にとって非常に重要です。ただアメリカの人はこの日付をほとんど認識いたしません。日本にとってだけ重要なんですね。偶然私の本が出版された2015120日に、シリアの日本人人質事件が明らかになりました。人質はそれ以前から取られていたのですが、この日にちょうど、「イスラム国」を名乗る犯行グループが日本に対して人質の映像を示し、殺害予告をしたのです。その瞬間に、それまで国際問題であったので日本でそれほど関心を呼んでいなかった「イスラム国」問題が国内問題になったのです。

池内恵著『イスラーム国の衝撃』(文春新書)

20146月から、「イスラム国」はイラクとシリアの広い領域を支配しました。それ以来、私たちは中東の問題を見る時、「イスラム国」を中心に考えるようになっていました。また、それぞれ立場が違う中東の様々な勢力も、「イスラム国」に対処する点では共通の意志があった。つまり、「イスラム国」に対抗するというある種の共通の秩序、見かけだけの一時的な秩序ができたのです。それは本当の中東の秩序ではないのだけれども、過去4年間ぐらいだけは、あたかも何か秩序があるかのように見えたのです。

イスラム国には二つの側面があります。その一つは「理念」です。その理念は恐らく今も、世界中のイスラム教徒の頭の中に生きています。ですので、今後また影響を持つかもしれません。一方で、領域支配をする政治的な主体国家、擬似的な国家としての「イスラム国」の側面は、各国が対抗することで今のところほぼ消滅している。そうすると、私たちが見る際の視点としても、現地の様々な立場の勢力としても、「イスラム国」という何か共通の相手がなくなってしまった。この何かがなくなることによって、秩序が見えにくくなっている。これが現在ではないかと思います。

■100年の秩序、崩壊する

では、現在の秩序、あるいは現在の無秩序を、どのように見たらいいのか。それについて、私は二つの視点を最近出しています。

一つは、100年前にさかのぼります。100年前の歴史の背景を考える。そういう視点です。それがこの「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」という本です。これを2年前に出版いたしました。サイクス・ピコ協定というのは、2年前の2016年からさかのぼること100年前の1916年に生まれたイギリスとフランスの秘密協定です。非常に有名な、また評判の悪い協定です。

池内恵著『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)

この協定後、1923年までの間にサイクス=ピコ協定を含め三つの代表的な協定や条約が生まれました。セーブル条約やローザンヌ条約です。イギリスやフランスを中心としたヨーロッパの大国主導のこれら国際的な取り決めによって、中東に秩序が外から持ち込まれました。その秩序の下で、一つひとつの国は国民国家を形成していこうとしました。こうして、国民国家、主権国家による国際秩序がつくられていったのです。その国際秩序に対して、中東諸国の人たちは不満を抱きながらも、過去100年にわたって自分自身を適応させようとしてきました。つまり、私たちはこれまで100年間、サイクス=ピコ協定など100年前の仕組みを使って中東の秩序をつくってきたのです。

「アラブの春」以後の7年間の混乱によって、この秩序が壊れかけています。国家を支える枠組みが弱くなっているだけでなく、理念自体も批判にさらされている。「イスラム国」が出てきたように、「主権国家、国民国家だけが全てではない」と考える人も中東では多くなっているのです。過半数に達したとは思いませんが、それによって、今の100年前にできた体制を内側から支持する力が弱まっているのかもしれません。

そうすると、では次にどのような秩序をつくるかが問題になる。そこがまだ、少なくとも中東の内側からは見えてきていません。

■「宗派」の正体

三つ目の本は「シーア派とスンニ派」という本です。この本は、その新しい秩序を模索する過程で表れているものを探ったものです。

池内恵著『シーア派とスンニ派』(新潮選書)

ブラウン先生は先ほど、「かつてはイデオロギーが中東の政治を動かしてきたけれども、今はアイデンティティーになって、それぞれの帰属意識で人々がまとまる、そういう現象を中心に動くようになった」というお話をされましたが、私も同意します。最も有力なアイデンティティーとして、シーア派やスンニ派の宗派主義が強まった。それをこの本で指摘しました。

もちろん、中東は複雑で、宗派で何でも決まっているというわけではありません。特に、「シーア派とスンニ派で教義が違うから価値観が違うんだ、だから争っている」ということでは、恐らくないのだと思います。一方で、人々は宗教や宗教法に基づいて家族とか相続とかを巡る基本的な日々の生活を秩序立てています。それは、国民国家の法が100年前に中東に持ち込まれてなおも有効です。加えて、国によっては国家の関与が弱まっているから、国家とは何か異なるアイデンティティーや帰属意識を人々が求めている。そのような時に、宗派は非常に有効なのです。さらに、その有効性に気づいた様々な政治的主体が、巧みに宗派を使って人々を動員する。

いくら私たちが外から「やめなさい」「そういうのは、本当のイスラムではない」とか言っても、有効さ故に彼らは使い続けると思うのです。だから、今後近い将来は宗派主義が政治的な対立軸をつくる。敵と味方が宗派によって分かれる。そういう動きが続くと思います。

ただ、何もかも宗派が中心になって政治がなされるのではなく、それ以外の様々なアイデンティティーも強くなるでしょう。例えば、部族がアイデンティティーのよりどころになっているところもあります。リビアやイエメンなどはそうです。エジプトでも、地方では部族でまとまって中央政府に対抗する。ごく限られた地域のこととはいえ、そのような動きが以前よりも強まっています。クルド人は、これまで近代の100年の中で民族主義への希望が満たされなかったのですが、今このように様々な国家が弱くなっているという条件の下で目標が達成できるかもしれません。だから、クルド人の民族主義も強くなっています。

このように、一方で「イスラム国」や宗派、部族、これまで国を得なかった民族など、様々なアイデンティティーのよりどころに人々が集まっている。それによって、様々な非国家主体が台頭してきているのです。

■「歴史の終わり」と「文明の衝突」

締めくくりに、現在私たちが長い歴史の中でどのような状況に置かれているのか、その中で中東は今どのような段階にいるのか、について考えてみます。そこでは、私自身のちょっとした仮説を提示したい。それは「フクヤマ・ハンチントン問題」と呼ぶべきものです。これは私が考えたものですが、ただ多くの専門家はこの問題をぼんやりと頭の片隅には置いていると思います。

「フクヤマ・ハンチントン問題」とは、冷戦後の世界秩序が何を軸として展開していくのかという、非常に漠然とした、しかし重要なテーマです。これについて、冷戦が終わって5年ぐらいの間に二つの対立する有力な説が出ました。

それが一つは、日系アメリカ人のフランシス・フクヤマが提示した理論です。フクヤマの理論は「歴史の終わり」というものです。最初に短い論文を1989年に出して、92年には本の形で出しました。最初の論文の時には「歴史の終わり?」と「はてな」マークがついてたんですね。歴史の終わりは何ですか、と。これが本になった時には「はてな」が取れて、もっと堂々とした論になったのです。

フランシス・フクヤマ氏=ランハム裕子撮影

これに対抗する説は、サミュエル・ハンチントンが1993年、同じように「はてな」をつけて論文の形で問いかけた「文明の衝突?」です。これも大きな議論を呼び覚まし、その反論や反論に対する反論も含めて新たな本にしたのが1996年の「文明の衝突」です。この時にやはり、「はてな」マークが取れていました。

フクヤマとハンチントンは、互いに対立する理論を示しています。

フクヤマは、リベラル・デモクラシー、自由民主主義が普遍的なものとして世界に広まっていく、と予言しました。それに対し、ハンチントンは「いやいや、世界は文明によって衝突する」と論じました。冷戦が終わって今や25年以上経ちますが、その間に「どちらが正しいのか」が議論されてきました。

中東は、その議論の試金石です。フクヤマなりハンチントンなりの理論が中東で証明されれば、世界全体に普遍的に証明されたことになる。そのように欧米と中東を中心に世界を考えることは、私たちのように東アジアにいると違和感を抱くかも知れませんが、近代の国際秩序が欧米と中東の間でつくられてきたことも事実です。もしどちらかの理論が中東で実証されれば、それが世界の普遍的な規範や構造として妥当となると思います。

サミュエル・ハンチントン氏=川津陽一撮影

さて、冷戦から25年以上を経てどちらが正しかったか。

■民主化への期待は生まれたが

簡単にこの間の中東を振り返ってみますと、フクヤマさんの「歴史が終わった」というセオリーはどれだけ正しかったでしょうか。例えば1990年代だと、確かにアメリカが唯一の超大国であると、中東の人々も完全に認めていました。アメリカが最大限の力と意思をもって民主主義を推進しました。それに合わせて、アメリカ側と中東側との間には、特にエリートの間ですけどグローバルな繋がりができていきました。これは確かです。アメリカと中東の中間層やエリート階層の間では「リベラル・デモクラシー、自由民主主義を中東にも受け入れるんだ」という認識が受け入れられました。

朝日地球会議に登壇した池内恵氏=2018年9月24日、東京都千代田区、岡田晃奈氏撮影

このことを、私たちは思い出しておくべきなのです。この「民主化圧力」が最高潮に達した時期は2004年のブッシュ大統領の再選です。前年の2003年にイラク戦争があり、大きな反対もありました。しかし、2004年の大統領選挙でブッシュ氏は再選された。これを中東の人はどうみたか。「ブッシュが再選された。つまり、民主化圧力があと4年間は続く」と思ったのです。しかも、アメリカはすでにイラクのサダム・フセイン政権を軍事的に打倒していました。だから、場合によっては再度軍事力を使って中東の非民主的な政権を次々に打倒して民主的な体制を外からつくるのではないか。そのような予想や期待も中東の国の間に高まりました。

そして2005214日、親欧米派、ヨーロッパやアメリカに近いレバノンのハリーリ前首相が暗殺されました。その責任は、シリアの反米勢力だと言われました。ここで、より一層の民主化圧力が正当性を持って強まるのでは、といった期待が持たれました。

ところが、その後起きたのは強い巻き返しです。親欧米勢力はむしろ、どんどん後退していくことになったのです。ほんの一時期、2011年の「アラブの春」の際にチュニジアやエジプトでのデモによって独裁政権が打倒され、その後さまざまなデモが広がって、再び「やはりフクヤマは正しかった」と思った人がたくさんいました。しかし、その時喜んだ人々も、その後の7年の間に失望することになりました。

■衝突したのは文明の内部

では、ハンチントンが正しかったのでしょうか。確かに2001年の911事件、その後アメリカが主導したグローバルな対テロ戦争は、その後の17年間の国際政治で最も重要な要素となりました。ですから、「文明の衝突」という側面があったのは否定できない。ですので、部分的にハンチントンが正しかったとはいえます。ただ、その「文明の衝突」を作り出したのはイスラム世界なのかというと、イスラム世界にも原因はあるが、アメリカ側の反応にも原因があります。過剰な反応に文明の衝突の側面をつくり出す原因があったことも確かです。さらに、「アラブの春」の2011年以後を見ますとハンチントンが正しかったかもしれないけれど、一方で間違ってもいた。

なぜかといいますと、イスラム世界が一つの文明ではなくなったからです。つまり、イスラム世界が一つの文明として政治的にアメリカに欧米に対抗するのでなく、むしろイスラム世界の内部が分裂してしまった。いわば、「文明の内側の衝突」がより重要な要素になってきたのです。その中で、特に宗派主義の対立は、人々を政治的に動員するための最も有効な手段となっていると思われます。

 

【国末憲人】 ありがとうございました。既存の秩序が崩壊しても、新しい秩序が生まれていない。だから中東がどこへ向かうかも見えてこない。これは、中東に限らず世界中で起きている現象ではないでしょうか。あちこちでいろんな秩序が崩壊しているのが、現代なのかもしれません。(続く)

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