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革命の英雄が、なぜ批判と中傷の的に 民主化運動の発火点、チュニジアを歩いた

World Now
チュニスのブルギバ通りに立つブロガー、リーナ・ベンムヘンニ
チュニスのブルギバ通りに立つブロガー、リーナ・ベンムヘンニ

「アラブの春」は何だったのか

7年前、中東を激震させた「アラブの春」とは何だったのか。民主化を目指した国々の多くでは今、自由な言論も人権も、当時よりさらに抑圧されている。イスラムと西洋の価値観がせめぎ合い、新しい社会への生みの苦しみが続く。「始まりの地」チュニジアを訪ねた。

革命の英雄が一転、批判と中傷の的

「ここで、彼は自分に火を放ったんだ」。地中海を望む北アフリカ・チュニジアのシディブジド。首都チュニスから車で3時間以上かかる小さな街に、7年前に世界に衝撃を与えた「アラブの春」の始まりの地がある。26歳の平凡な青果商、ムハンマド・ブーアジージーが焼身自殺を遂げた現場だ。仕事仲間だったという男性(49)が指さす道路を、「英雄」になったムハンマドの巨大モニュメントが見下ろしていた。

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シディブジドの街を焼身自殺したムハンマド・ブーアジージーの巨大なモニュメントが見下ろしていた

2010年12月、街中の路上で野菜を売っていたムハンマドは突然、役所の調査官に許可証を見せろと言われた。ないと分かると賄賂を求められ、荷台などの道具を取り上げられた。抗議に行くも当局に門前払いされ、県庁舎を出るや路上で体に火を放った。親戚が撮影した写真や動画がSNSで広がると、長年、行政に不満を抱いてきた人たちがデモを起こし、それが全国、さらに世界中に拡散――。23年間続いたベンアリ政権は焼身自殺から1カ月後にあっけなく倒れ、民主化運動は中東各地に広がり、次々に革命を引き起こすことになる。

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ムハンマド・ブーアジージーが体に火を放った県庁前の路上を指さす、仕事仲間だった男性=チュニジア・シディブジド

貧しい家で育ち、母ときょうだいを養うために高校中退で青果商になったムハンマドだったが、欧米メディアには「失業して青果商をしていた大学卒の青年」として描かれた。「『殉教者』として世界の舞台に引っ張り上げられた」と彼の親戚は言う。一方で、世間の目は冷たかった。ムハンマドの死後に遺族がチュニス郊外の街に引っ越すと「見舞金として政権側から2万ディナール(当時約110万円)を受け取った」などとうわさされた。記者が訪ねた時には、母らはカナダに移住した後だったが、近所の人たちは「革命後に物価が急騰して生活が苦しくなった。すべてあの革命のせい、ムハンマドのせいだ」とぶちまけた。

若き女性ブロガーの苦悩

英雄と持ち上げられ、混乱の元凶とののしられ――。「アラブの春」の始まりの地にして、今もって独裁政権に揺り戻されていない「唯一の成功例」チュニジアの、7年たった現在地がここだ。「アラブの春」とは一体なんだったのだろうか。記者には会いたい人がいた。チュニジアの民主化に対する貢献が評価され、当時、若きノーベル平和賞候補として注目されていた女性ブロガー、リーナ・ベンムヘンニ(35)だ。

チュニスのホテルに姿を現したリーナを見て、私は驚いた。世界中で報道されていた頃に目にしていた姿とくらべ、痩せて顔色も悪かった。革命当時、27歳だったリーナは大学で英語を教えながら、得意の英語や仏語を駆使してベンアリ政権を批判するブログを書いていた。焼身自殺をSNSで知るやいなや、友人とともに何が起きているのか調べて「シディブジドは燃えている」と発信。警察に監視されて自由に動けないジャーナリストに代わり、現場に足を運んで事態を刻々と伝えた。発信は世界中から注目され、デモが波及するきっかけになった。

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チュニジアの首都チュニスの目抜き通り、ブルギバ通り。時計塔のある広場は「ジャスミン革命」の成就を記念して「1月14日広場」と名付けられている

「革命が成就して、とてもうれしかったけど、その後はひどかった」。ノーベル賞候補だった当時のことを聞くと、リーナは思い出したくもないというように首を振った。世界中のメディアから取材を求められる一方、ネットでは「殺してやる」と脅迫を受けた。「歓喜の後で、人々がとても攻撃的になった理由が分からなかった」。ベンアリ政権に弾圧されていたイスラム主義者は、民主的な選挙で選ばれた新政権のもとで存在感を高め、過激派も表に出始めた。ピアスなどのファッションまでもが中傷の的になる中で、当時のリーナは「受賞したら私は殺される」と感じ「選ばれないことを願っていた」。

賞は15年、リーナ自身ではないが、チュニジアの民主化に尽力した4団体の「国民対話カルテット」に贈られた。だが、目の前には「平和賞」にはほど遠い現実があった。若者の失業率は一時期は43%に跳ね上がり、その後も36%前後と、3割程度だった革命前より悪化した。不満を吸い取るように3000人もの若者が過激派組織「イスラム国」(IS)に参加。イスラム主義政党を批判する野党党首の暗殺が相次ぎ、リーナも「狙われている」と言われて身辺警護の下で息苦しい日々を送るようになった。

平和賞のメダル、テロ被害の博物館に

受賞発表の7カ月前、チュニスのバルドー博物館で観光客を狙った襲撃事件が起き、日本人を含む22人が犠牲になった。今も銃痕の残る館内に平和賞のメダルが展示されていることが、「アラブの春」をめぐる内外の「落差」を象徴しているようにも思える。元ISの若者の弁護を担当してきた弁護士ラフィーク・ガキ(40)は、こうした状況についてイスラム的価値観を重んじる立場から「メディアや一部の政治家らは『チュニジアには望ましい民主主義がない』と主張する。だが、国民の大多数は保守的で、彼らが押しつけようとするリベラリズムを望んではいない」と説明する。

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2015年に観光客を狙った襲撃事件が起きたチュニスのバルドー博物館では、いまだに展示ケースなどに銃痕が残っていた
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チュニスのバルドー博物館には、2015年に「国民対話カルテット」が受賞したノーベル平和賞が展示してあった

リーナはいま持病が悪化し、通院しないと普通に生活できないほどだ。それでも発信や執筆を続ける。刑務所の中で若者が過激派に取り込まれるのを防ごうとSNSで市民に本の提供を呼びかけ、集まった3万冊で25の刑務所に図書館をつくった。「私は希望を持たないわけにはいかない。今を変えようとする人たちと、市民社会があるから」。Tシャツの胸にはWi-Fiとピザのイラスト。「ネットといくらかの食べ物。それさえあれば、私は大丈夫」。意味を聞くと、こんな言葉が返ってきた。