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トルコ大統領にたてついたサッカー界の英雄は今

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「暗い時代が永遠に続くわけがない」とシュキュル=Jason Henry/The New York Times。強権の大統領エルドアンと対立し、2015年秋に米国に渡った
「暗い時代が永遠に続くわけがない」とシュキュル=Jason Henry/The New York Times。強権の大統領エルドアンと対立し、2015年秋に米国に渡った

ここは米カリフォルニア州のパロアルト。「Tuts Bakery & Cafe(タッツ・ベーカリー・アンド・カフェ)」で、汚れたカップや皿を持って店内を歩く快活な男性が誰なのか、気づく客はほとんどいない。
店に入ってきた客は、ガラスケースに形よく並べたスイーツにみとれたり、壁にかけられた大きな黒板をみつめたりしている。その黒板には、男性の手によるきれいな文字でメニューが書かれている。レジに歩み寄り、カフェラテか紅茶、あるいはアボカドのタルティーヌやトルコの伝統料理の「メネメン」(訳注=ピーマンやトマトをたっぷり使ったスクランブルエッグで、主に朝食用)を注文する。お昼時なら、パニーニ(訳注=香辛料たっぷりのソーセージやじゃがいも、チーズなどをはさんだサンドイッチ)かもしれない。

その男性こそハカン・シュキュル、46歳。トルコでは最も有名なサッカー選手の一人だった。ワールドカップのヒーローで、欧州のトップリーグでプレーしたこともある。その名声を背景に政界に進出、トルコ国会の議員に選出された。

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カリフォルニアのマウンテンビューで、余暇にサッカーを楽しむシュクル=Jason Henry/©2018 The New York Times。トルコ代表時代はエースストライカーで、「ボスポラスの雄牛」の異名でならしたレジェンドだ


ハカン・シュキュルが今なぜ、ここパロアルトにいるのか。祖国に戻る日が来るのか。祖国は再び民主化し、彼をもう一度迎え入れてくれるのか。
「トルコはぼくの国だ。ぼくは国民を愛している。たとえ人びとが、統制下にあるメディアを通じて、ぼくに対するゆがめられたイメージを持ったとしても」とシュキュルは言う。
彼がトルコを離れたのは2015年のこと。かつては友人で政治的盟友でもあった大統領エルドアンの権威主義体制打倒を狙ったクーデター未遂事件の1年前だった。この事件では、推定250人が死亡し、ジャーナリストや学者、政敵ら計6万人以上が投獄された。エルドアンは強権で軍を掌握し、法廷、メディア、そして最近はインターネットも統制下に入れた。
シュキュルも、妻と3人の子どもたちも、クーデター騒動が起きる前に国情の悪化を察して国外に逃れたが、彼の政治的な絆や名声、資産が標的になった。シュキュルには逮捕状が出されたし、父親は1年近く投獄された。有名人だった彼の家々、ビジネス、銀行口座などはすべてエルドアン政権に差し押さえられた。

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米カリフォルニア州のパロアルトでカフェを営むハカン・シュキュル=Jason Henry/©2018 The New York Times。彼が、トルコのプロサッカー史上、最も有名なプレーヤーの一人だったことを知る客はほとんどいない


トルコ国内では、シュキュルは米国に逃げ、隠れていると報道されていたが、トルコの国営メディアが彼の正確な居場所を報じたのは昨年の秋になってからだった。その時、パロアルトでひそかに撮影したとみられる彼の写真とビデオも公開された。
トルコにいる友人たちは彼に、エルドアンと政府への支持を公に表明しさえすれば、国に戻れると内々に伝えた。
「彼らが言うようにしてゲームをすれば、快適な暮らしができるだろうし、閣僚にもなれるだろう」とシュキュル。「でも、ぼくはコーヒーを売っているのさ」
彼はほほ笑んでみせた。真っ暗な冬の後には、いつも明るい夏が来るというノルウェーの天候を口にした。最も著名なトルコ人亡命者はいすから立ち上がり、笑顔でテーブルの上を片付け始めた。トルコにいたころの彼は、いつも多くのファンに囲まれていた。ここでは今、誰も彼を気にとめない。
トルコ代表チームのエースストライカーとして、シュクルは同チーム歴代最多の51得点を記録。とりわけ有名なのが、02年W杯日韓大会の3位決定戦で韓国と対戦した時、試合開始からわずか11秒後に決めたゴールだ。
この他にもシュキュルは、UEFA(欧州サッカー連盟)チャンピオンズリーグやトルコ最上位リーグ「スュペル・リグ」などでプレーし、計数百ものゴールを稼いだ。彼はまずスュペル・リグのブルサスポル(訳注=トルコ北西部の都市ブルサを本拠地とするクラブチーム)からプロ選手生活をスタートし、ついで最大都市イスタンブールの名門ガラタサライで長年にわたってピッチに立ち、計300試合以上に出場、8回のリーグタイトル獲得に貢献した。イタリアのリーグ「セリエA」ではトリノやインテル・ミラノでも活躍する。
「Kral(クラル)」(訳注=トルコ語で王様の意味)と呼ばれ、「ボスポラスの雄牛」の異名で知られた彼は、08年に引退した。ボスポラスとは、欧州とアジアを分ける形で位置するトルコのボスポラス海峡を指す。
引退後、しばらくは評論家としてテレビに出演していたが、その後、政界に転じ、11年にエルドアンが率いる与党「公正発展党(AKP)」から選挙に出て当選。シュキュルはまた、米ペンシルベニア州を拠点に20年近く亡命生活を送っているトルコの聖職者フェトフッラー・ギュレンの弟子でもあった。ギュレンが長年にわたり主導してきた「Hizmet(ヒズメット=奉仕)運動」は、穏健なイスラムの教えに基づく民主主義と教育や文化の開放性を唱える市民運動で、トルコ社会の各方面への浸透を図ってきた。
エルドアンも、かつては盟友で、トルコの欧州連合(EU)加盟に向けて動いてもいた。ところが徐々に、自分の権力基盤を脅かす者に対して警戒の目を向けるようになっていく。ギュレン支持が警察や司法機関にまで広がっていることを疑い、13年にはそうした機関の予備学校のネットワークを閉鎖した。シュキュルは、エルドアンが率いる政党を離脱。エルドアンがニュースメディアなど脅威とみなす勢力への締め付けを強化するに従って、トルコ社会に緊張と敵意が広がった。敵対者たちは沈黙させられ、次々に身柄を拘束されていく。そうしたなかで、知名度と影響力を誇るシュキュルは最も著名な「新たな敵」の一人となった。
「国会議員を辞めた後は、ビジネスでも行政当局と対峙(たいじ)することになった」とシュキュル。「何をするにも問題に直面した。限界を感じたので、少しタイムをとろうと思った。頭を冷やせば、次のチャンスを見いだせるかもしれない」
シュキュルは15年秋、友人がいる米カリフォルニア州のパロアルトを訪ねた。そこは有名なスタンフォード大学に近く、ハイテク産業のハブ(中枢)でもあり、世界各地から多彩な人材が集まってくる。
「気候はいいし、暮らしもいい」
カリフォルニアで1カ月ほど過ごしたが、この間、トルコの情勢は悪化するばかりだった。シュキュルは友人が16年開店を目指していた「ベーカリー&カフェ」の株を買い、投資家ビザを取得して妻のベイダと3人の子どもを呼び寄せた。

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「暗い時代が永遠に続くわけがない」とシュキュル=Jason Henry/The New York Times。強権の大統領エルドアンと対立し、2015年秋に米国に渡った


その数カ月後、祖国でクーデター未遂事件が起きたのだ。ペンシルベニアから、ギュレンがクーデターを指図したとの疑いが向けられた(ギュレン本人は当時、ニューヨーク・タイムズのオピニオン面で疑惑を否定)。ギュレンとの関係ゆえに、シュキュルにも疑いがかけられた。しかし、彼も関与を否定している。
シュキュルは今、移民として、家族のためにも自身のアメリカンドリームを実現したいと願っている。現在のビザは20年まで有効だが、グリーンカード(永住ビザ)を申請した。そしていつかは、トルコでやりたかったスポーツアカデミー(スポーツを専門とする教育機関)をここアメリカで開設したいと思っている。(抄訳)

(John Branch) © 2018 The New York Times

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