これは、トルコのエルドアン政権と戦う面々の物語だ。……といっても、人間の話ではない。18日公開のトルコ映画『猫が教えてくれたこと』(原題: Kedi)(2016年)は、イスタンブールのそこかしこで気ままに暮らす猫たちと、猫なしでは生きられないトルコの人たちとの日常を描いている。実はこの猫たち、あわや自由を奪われそうになったらしい。来日したジェイダ・トルン監督にインタビューした。
トルン監督と、東京・新宿の猫カフェ「きゃりこ」で待ち合わせた。撮影の仙波理記者とともに早めに着いて猫たちに近づき、気を引こうとしてみたが、ほとんどスルーされる始末。写真を撮りたい、あわよくば撫でたい!というこちらの勝手な思いを見透かされてしまっただろうか。
ところがトルン監督が到着、一緒に席に座ると、猫たちが何匹も寄ってきた。もちろん、トルン監督めがけて。むむむ、敗北感……。でも、それも当然。トルン監督の猫歴は筋金入りだもの。
イスタンブールで生まれ育ったトルン監督にとって、猫は「とても特別な存在」だ。6歳くらいの頃に出あった猫とものすごく仲良くなったのがきっかけだという。「彼女は私を友だちとして選び、私の人生にかかわり、とても特別な間柄となった。私もたくさんの子猫を産んだ彼女を助け、彼女から多くを学んだ」
トルン監督は11歳で一家でイスタンブールを去り、ヨルダンのアンマンやロンドン、ニューヨークなどを経て今はロサンゼルスで暮らす。常に猫を求め、友人の猫たちの世話もしているが、英米では街角で猫に出あうことがなく、寂しい思いをしてきたという。実際、欧米の大都市では野良猫も野良犬もほとんど見かけない。動物福祉のため、あるいは衛生上の懸念から多くは動物保護施設に収容されているためだが、イスタンブールでは清潔そうな猫たちが、人間が住む家の中や街のあちこちを自由に行き交い、気ままに暮らしている。古代エジプトから今のトルコに渡り、欧州に広がったとされる猫は、イスラム教の預言者ムハンマドの逸話にもたびたび登場。トルコの猫はペットでもない、「野良猫」とも言えない形で、人間といわば対等の関係を築いている。「イスタンブールを歩くと誰しも、猫がついてくる経験をする。結果的に、猫なしの暮らしは考えられなくなる」とトルン監督は言う。
『猫が教えてくれたこと』はそんなイスタンブールの猫たちが主役だ。高級レストランのオーナーと関係を築き、客の邪魔にならないよう紳士的に食事をいただく美食家デュマン、ブティック店主を支援者として子猫に食べ物を運ぶ母猫サリ、工場地帯で労働者たちのアイドルとなっているベンギュ……。撮影クルーは地面に這いつくばって、猫目線で彼らの日常を撮り上げた。
最近はテロやIS(イスラム国)などの動向を中心に報じられがちなトルコ。だからこそ、「違った観点で見てほしかった。トルコがいかに人間と猫の関係を独自のやり方で築いているか、世界にも知ってほしい」とトルン監督は言う。
米国で今年2月、たった1館で上映されるや話題を呼び、130館へと拡大。英語以外の映画がヒットしづらいと言われる米国で、外国語ドキュメンタリー歴代3位の興行収入を記録した。でも、あれ? 米国って愛犬家大国だったはずでは。
「今はそれほどでもないですよ。犬より猫を飼う世帯も増えている」とトルン監督。しかも、米国では男性の観客が目立ったという。「伝統的には男性は犬を好むものとされ、猫は女性と関係づけられてきた。その境目が消えつつあるのでは」
日本もペットフード協会によると、長らくペット市場で首位を走り続けた犬の飼育数が減り、猫が追い上げて2016年はほぼ拮抗。今年は猫が追い抜くのではと言われている。インスタグラムなどでも競うように猫画像がアップされ、ツイッターも猫を売りにするアカウントは人気だ。
世界的な猫ブームを、トルン監督はこう分析する。「犬は目的をもって働く動物。私たちも、何か役割を与えなくては、と考えがち。ひとりでには育たない犬を飼うのは、責任も大きい。一方、猫はとても自立している。より野生的で独立心が強く、自分のことは自分でできる」
とはいえ、結局はペットとしてのブームだ。「欧米では猫は飼うなら家の中にとどめなければならず、去勢手術も必要。いろんな意味で猫を殺してしまっている。猫の理想の暮らしは、外も中も行き来すること。家で人間と過ごすのも好きだけれど、外で自立した暮らしを送るのも本当に好き。人間の私たちとそう違いはない」
でも今でこそ猫が主役の映画も増えたが、歴史的に猫は、犬より扱いが悪いことが多かった。「猫はよく、自分勝手で意地悪な悪役として描かれてきた。猫も犬と同じように、義理堅いのに。特に黒猫は魔女と結びつけられ、過去に多く殺された。だから純粋な黒猫は今、稀にしか見られない。猫は愛でられては嫌われる繰り返し。不公平じゃない?」
なぜ猫は不吉な象徴として扱われがちだったのだろう。「ひとつには、猫はコントロールできないから。人はコントロールできないものを恐れて劣等感を感じがち。恐れる対象は、抑え込もうとしがちでしょう?」
猫をネガティブにみる習慣がなかったトルコも、「最近は黒猫を不吉とする見方も出てきた。でもこれはごく最近広まった迷信。欧州から入ってきたものだと思う」と、今作の撮影にあたってトルコと猫の関係を研究したトルン監督は語った。
さらにトルコでは、エルドアン大統領が首相だった2012年、路上の猫や犬を「公園」に収容する法案が検討された。「動物福祉のため」という名目だが、英誌エコノミストなどによると、イスタンブールの人たちや動物保護団体は大規模デモで抗議。結局は取り下げられたというが、欧州連合(EU)加盟交渉を続けてきたトルコには、「欧米並み」の路上環境を作ろうという流れもあるようで、路上猫を愛する人たちとの攻防が続いているという。
トルン監督は言う。「トルコは他国にならおうとしたりせず、独自性を大事にすべき。違いを大切にしてゆかなければならない。猫はその象徴。この映画が多様性を認める助けになればと思う」