イラン北東部、トルクメニスタンとの国境に近い広大なトルクメン・サハラにポツリと佇むハリッド・ナビという名の霊廟。大学のクラスメートであるイラン人の友人と7年ぶりに再会し、首都テヘランから一緒に車を走らせた。久々の休暇だ。翌日、偶然にたどり着いたのがこの霊廟だった。そこで見かけた女性たちのカラフルな衣装に魅せられて、私たちは車を降りた。
雄大な景色が広がる霊廟の周りには、人間の性器を形取った1~5メートルほどの600もの石像が無造作に置かれていた。1980年代に発見されるまで、この地域はイラン国内でもほとんど知られていなかったという。
この霊廟や石像を建てたのは誰か。
友人によると、長く遊牧生活を送ってきたトルクメン人だとか、1000年以上前にインドや中央アジアからやってきた人々だとか、聞く相手によって説明はまちまちらしい。霊廟の名はムハンマドが誕生する前、イエメン出身のキリスト教徒ハリッド・ナビに由来するという説もあり、非常にミステリアスな場所だと友人は話していた。
この地域に暮らすトルクメン人は「トルキャマン」と呼ばれている。もともとシルクロードの十字路として東西の文化や技術の影響を受け、独自の美術や生活様式を築いてきた。
この日は春の訪れを祝う「ノウルーズ」の日。イランを中心に中央アジア、中東、アフリカの地域でよく見られるお祭りだ。
ペルシャ語でノウは「新しい」、ルーズは「日」を意味する。太陽が春分点を通過する瞬間に始まる、1年の最初の日「正月」のことだ。
地元の人々は持参した薄い生地の絨毯を芝生に敷き、その上でチャイやお菓子を楽しんでいる。近くでは男性たちが火をおこして串刺しにした羊肉を焼き、子どもたちはその周りを走り回っていた。
この山のふもとには第一次世界大戦の戦禍から逃れてきたトルクメン人たちによって作られた集落がいくつもある。その一つの小さな村がゲチスー(「山羊が飲む水」という意味)。約1200人が畜産業や農業で生計を立てている。
私と友人はこの村の家に3日間泊めてもらうことになった。
朝4時から羊飼いの少年と一緒に羊の放牧に出かけることから一日は始まる。それから女性たちが伝統衣装を織る作業や、野菜、米、羊肉を混ぜ合わせた伝統料理を作るのを手伝い、私は久々の休暇を満喫した。
家畜の肥料と土を混ぜて建てた家の中には、鮮やかな赤が際立つ女性たち手作りの精巧なトルクメン絨毯が敷かれていた。 近所にはノウルーズを祝うため銀の装飾品や髪飾りを母親に付けてもらう少女の姿もあった。
イランの山奥の小さな村で、トルクメン人の伝統が地元の女性たちの手で確かに引き継がれているのを実感し、私はシャッターを切り続けた。