【前の記事を読む】 歴史をさかのぼれば見えてくる 「なぜいま中東は無秩序なのか」池内恵氏の眼
【国末憲人】 GLOBEは、9月号で中東をテーマに取り上げました。その特集「中東の新しい地図」の内容を、私の体験も踏まえてご紹介したいと思います。私自身は、中東での駐在経験はありません。パリに2度特派員として駐在したのですが、ただその間に9.11テロやイラク戦争があったこともあり、比較的長く中東で出張取材をしていました。
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■中東のいま① 変化するライフスタイルと自己表現
GLOBEの中東特集号では、いくつか描きたかったことがあります。一つは、中東で変化するライフスタイル、特に自己表現の拡大です。この変化が、本当のものなのか、見かけだけのものなのかは、まだわかりません。それでも、実際に行ってみると、いくつかの変化がうかがえる。そういう記者の報告です。
次のものは、イランに入った記者が撮った写真です。イランに取材に行くのはなかなか難しいのですが、今回交渉してビザが出ました。行ってみると、イランの女性はみんな、髪を隠すヒジャブをしているのですが、よく見ると髪の毛がかなり出てきている。最近では髪を全く隠さない人もいるらしいですが、それが一つのトレンドになっている。一種の自己表現ですね。
次の写真はGLOBEの表紙に使った写真と同じ場所なのですが、ここでも女性の一人が髪の毛をかなり出しています。少し見えにくいですが、スマホで自撮りもしている。イランでは今、自撮りがブームになっていて、みんなスマホで撮って、SNSでコミュニケーションを図っている。インスタで情報を発信し、また情報を受け取っている。イランは情報統制がかなり厳しい国ですが、こうした動きは出ています。
イランと覇権を争うサウジアラビアでも変化が起きています。サウジアラビアはビザが手に入らず取材にいけなかったのですが、メールなどで連絡を取って中で起きている様子を探りました。そこでは、女性の車の運転が認められるなど、やはり社会の変化が起きている。一方で、女性の権利拡大を目指す活動家が死刑判決を受けたりと、決して一方通行で開かれているわけではなく、行ったり来たり、揺り戻しもあるということだと思います。
また、サウジアラビアでもインスタが随分流行っていて、自ら発信している。これもライフスタイルの変化だと思います。
■中東のいま② 民主化
次は、民主化です。民主化がいったいどうなっているのか。チュニジア、エジプト、バーレーンなどに記者が行きました。
まずチュニジアです。チュニジアでは2010年から11年にかけてジャスミン革命が起き、ベンアリ独裁政権を倒した。「アラブの春」の一番最初の動きです。「アラブの春」の中では最も、あるいは唯一成功した例だと言われています。現在も、曲がりなりに民主的な体制になっていて、関係者がノーベル平和賞を受賞したりもしています。
実際に記者が行ってみて会ったこの方は、民主化の時に随分活躍したブロガーなんですが、彼女が言うには「民主化が成就してうれしいのだけれど、その後はひどい」と。つまり、うまくいっているようでも、うまくいっていない。なかなかなかなか社会が追いつかない。ヨーロッパから見ると「もっと民主化すればいいじゃないか」というのだけれど、では民主主義自体がチュニジアの社会に合っているのかどうか。民主主義ではない何かが必要ではないか。そういう面も考える必要がある。思うようにはいかないのです。
それから、エジプトの例です。エジプトでは2011年に民主化運動が始まって、ムバラク独裁政権が倒れて、その後にイスラム主義の「ムスリム同胞団」の政権になったのだけど、2013年にクーデターが起きて、また軍事政権に戻った。元の木阿弥になってしまったわけです。
この写真はカイロ中心部のタハリール広場ですが、ここでデモが起きました。
そこが今どうなっているかというと、ITセンターができて、いろんな企業が入っている。左の赤いシャツを着たムハンマドさんが言うのは、「革命で僕たちが求めたことは少しずつ実現されている」と。みんな豊かになって、経済発展しているんだ、というのですね。
これはチュニジアと逆で、エジプトは失敗したと言われているのだけれど、その中で少し変化が起きている。そういうことだと思います。
■中東のいま③ パワーシフト
三つ目は、ブラウン先生や池内先生の話にもありましたが、パワーシフトが起きていることです。既存の秩序が崩れて、新しい秩序がなかなか生まれない、という状態です。特に、アメリカがこれまで大きなプレゼンスを示していたのに、引っ込んでしまって、重石が取れて、イランやサウジアラビアが台頭して、しかし、これらの国は全体を見渡す余裕などなくて、自分のことしか考えていない。それが実態かと思います。
次は、レバノン南部で記者が撮影した写真ですが、イランの影響下にあるヒズボラが力を増していて、イランの影響力も強まっています。この写真に映っているの、戦闘で亡くなった人を弔うために、その肖像写真を道路際に並べているところです。
こうした秩序の変化の中で、最も忘れられているのがパレスチナ紛争だろうと思います。この紛争は以前、中東の紛争の象徴として扱われたのですが、イラクが混乱するわ、「イスラム国」が台頭するわで、パレスチナ問題が次第に語られなくなっている。この方はパレスチナ自治区の学生さんですが、「パレスチナ問題は国際的に取るに足らない問題になってしまった」と言っています。
この地域には以前私も取材にいったことがあります。次は、私が2002年3月にパレスチナ自治区ガザで取った写真です。これは盲学校なのですが、日本の援助で改修されました。ところが、紛争でイスラエル軍の空爆を受けて壊されてしまった。そこに取材に行ったわけです。ここで話を聴いていたら、新しい空爆が始まってしまって大変な目に遭いました。ミサイルがどんどん撃ち込まれて、生きた心地がしなかったものです。この紛争は現在も続いているのですが、それが次第に語られなくなっているのです。
パワーシフトのもとを探ると、2003年のイラク戦争に行き着きます。ここからアメリカが変な形で中東にかかわるようになって、というよりもとからアメリカのプレゼンスはあったわけですが、かかわり方が変わってきて、現在まで混乱が続いているのだといえると思います。
イラク戦争に、私は前後5回取材に行ったのですが、次の写真は戦争直後に行った時のものです。バグダッドで、米軍の空爆で住宅が粉々に破壊されて、中にいた住人は全員死亡した。その現場で話を聴いたときの写真です。
また、次はバグダッドの国立図書館です。イラク戦争後の混乱で略奪に遭い、火をつけられました。
次は、これも戦争後の取材ですが、彼はフセイン大統領の公式肖像画家だった人です。見つけ出して、取材に行って、「これまで大統領の肖像を描いていたのだけど、政権がなくなって、注文もなくなって、収入がなくなった」という話を聴きました。この写真に写っている絵は彼が最後に描いた絵なんだそうですが、売るところがない。というわけで、私が50ドルで買って、持って帰って今、押し入れのどこかにあると思うんですが(笑)。
■中東のいま④ テロ
もう一つ、今回は特集であまり描けなかったのは、テロや「イスラム国」(IS)に関することです。
イスラム過激派によるテロはここ何年か、欧州やアメリカで相次いでいます。バングラデシュやアルジェリアのテロでは、多くの日本人も犠牲になりました。次の写真は、2015年11月にパリで起きた同時多発テロのものです。このテロでは130人が亡くなりました。
私は偶然、テロの次の日にパリに行く出張予定があり、現場を見ることになったのです。この写真はカフェですが、ISで訓練を受けたテロリストが襲い、何人か亡くなりました。弾痕が残っています。犯人グループの中心はモロッコ系ベルギー人のアブデルアミド・アバウドでした。彼はベルギーに生まれ、割と裕福な生活をしていたのですが、強盗などをするようになった人物です。感化され、シリアに渡って訓練を受け、ヨーロッパに戻ってきてテロを起こしたわけです。
つまり、中東は中東だけで収まらなくて、外の世界とつながっている、ということだと思います。
最後に、ちょっとした思い出も込めて一つのお話をしたいのですが、イラク北部の街モスルに、ヌーリの塔という建物があります。高さは55メートルあって、12世紀、日本では平安時代後期に立てられました。これは、見ての通り少し傾いています。有名なピサの斜塔になぞらえて「モスルの斜塔」と呼ばれることもあります。
この塔の存在を、私は少年時代から知っていました。世界のいろんな国を紹介するシリーズで、朝日新聞社から出ていた「朝日旅の百科」に、この塔の写真が載っていたからです。1980年に発行されたのですが、当時私は高校生で、父親が買って家に置いていたのを見たのです。そうすると、この塔の写真があった。
「イラクにモスルという街があって、そこに塔が立っていて、傾いている」と。なぜ傾いているか。その本には「同じ方向から毎日風が吹いているから傾いた」と書いてあったんですね(笑)。私は当時田舎の高校生で、外国人も見たことがなければ、外国に行ったこともありませんでした。だから単純に「すごいな、そんな風の強い街があるんだ」と信じたものです。
その後、現地に行く機会がありました。2003年2月のことです。2003年3月に起きたイラク戦争の前の月です。バグダッドにいたら、モスルでフセイン政権が軍事パレードをするというので、取材に行ったのです。傾いた塔の写真を覚えていたものですから、その時に塔の下まで行きました。すると、やはり傾いているのです。傾いているのだけれど、風など全然吹いていない。近所の人に尋ねたら、「つくった時に煉瓦を積んだらこうなったんだ」という。
モスルにはこの塔以外に小さな塔もたくさんあるのですが、それが全部傾いているので、たぶん雑に積んだから傾くんだろう、と自分で結論を下しました。
それからずっと後の2018年、東京国立博物館で「アラビアの道―サウジアラビア王国の至宝」展が開かれたので見に行ったら、いくつか壺があって、壺もやはり傾いている(笑)。サウジはイラクの隣の国なので、このあたりのデフォルトは傾くものなのだろうと思った次第です。
さて、ヌーリの塔ですが、これは2017年6月12日に私の同僚が撮影した写真です。モスルの街で、やはり塔は傾いて立っていますね。
それから9日後の6月21日にとうとう、おそらくISによって壊されてしまったのです。この辺りはISが一番最後まで掌握していた地域で、ISの指導者バグダディが拠点として、激しい戦闘の場となりました。
これは、単なる塔の物語、文化財の問題にとどまりません。戦争にもルールがあったのですが、それが次第に壊れてきている。先ほどの先生方の話の中にもあった秩序の崩壊だと思います。
もちろん、どんな戦争でも文化財の破壊や残虐行為はあるわけですが、現代の特徴は、その映像が瞬時に世界に広がってしまうことです。一つの国で起きたことが世界的になる。秩序の崩壊も世界に広がる。それが現代なのだと思います。
以上は私のプレゼンでした。これから討論に入りたいと思います。(続く)
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