国際刑事裁判所(ICC)は、オランダ・ハーグ郊外の住宅街にある。
8月に訪ねると、民間人攻撃などの戦争犯罪で起訴された中央アフリカの元軍縮相マクシム・モコム(44)の裁判が開廷中だった(その後10月、検察側は起訴を取り下げ、モコムは釈放された)。
傍聴席は、法廷を見下ろす場所に設置されている。両者の間は分厚い透明板で区切られ、ヘッドホンで審理を聴く。弁護人が被告の立場で熱弁を振るうが、証人や被害者のプライバシーにかかわる部分は非公開にされる。ヘッドホンの音声が突然途切れ、しばらく無音のまま法廷の動きを見ることになる。
傍聴席は70人ほどの学生たちで埋まっていた。地元オランダの大学から研修で来たという。
ICCは戦争犯罪を裁く法廷だが、大陸欧州各国の「付帯私訴」に似た制度を備えている。刑事裁判に伴って民事の賠償も進める手法だ。
被害者が裁判に参加する道も開かれ、法廷には検察官や弁護人だけでなく被害者代理人の席も用意される。被害者に手厚く対応するため、被害者の窓口である被害者公設代理人事務所(OPCV)、法廷での支援などを担当する被害者参加賠償局(VPRS)、救済事業などを進める被害者信託基金といった部署や組織を設けている。
検察官も被害者も、被告に罪の償いを求める点で、利益は重なる。「ただ、必ずしも両者の立場が同じとは限りません」とOPCV代表のパオリーナ・マッシッダさん(54)は説明する。
例えば、検察側は犯罪のうちの典型的な例について起訴するが、被害者としての支援対象はその例にとどまらず、広い範囲の人々を救済の対象とする。そうしないと、社会の再生に結びつかないからだ。
ICCでの被害者部門の充実は、人々の戦争観の変化を反映している。
第2次大戦後にニュルンベルク裁判、東京裁判が開廷した際、国際社会の関心は戦争を起こした責任に集中していた。両法廷は、ドイツや日本が他国を侵略したことへの罪を問うのが、最大の目的だった。
しかし戦後、人命尊重や人権重視の理念が定着した。戦争を巡るルールも次第に整えられ、非人道的行為や民間人殺傷といった広義の戦争犯罪を罰することが、国際法廷の主眼となった。同時に、被害者への支援を求める声も高まった。
冷戦終結後に設けられた旧ユーゴスラビア国際犯罪法廷とルワンダ国際犯罪法廷では、被害者支援制度の導入が検討された。ただ、手間と費用がかかることから、時期尚早として見送られた。こうして長年の懸案となった被害者部門の設置は、ICCが設立されることで実現した。
「侵略責任」から「被害者救済」への流れは、ロシア・ウクライナ戦争を巡る国際世論にも表れている。昨年2月の開戦当初は、ロシアの侵略行為を非難する声が強かったが、最近は次第に、占領地でロシア軍が手を染めた犯罪行為に対する批判が高まった。
もっとも、被害者重視の姿勢について、疑問の声がないわけではない。とりわけ、被告の弁護を担当する部局は負担増を漏らす。従来のように対検察だけでなく、被害者部門とも向き合わなければならないからだ。
ICCの被害者部門も検察局も数十人規模のスタッフを持つのに対し、被告を支援する弁護人公設代理人事務所(OPCD)は職員が6人だけ。OPCD代表のグザヴィエジャン・ケイタさん(64)は「検察局や被害者部門に比べてあまりに体制が薄く、均衡を求めている。『被告は悪者』との偏見も根強いが、推定無罪の原則に基づいて活動したい」と話す。