前回 黒人として生きるとは⑪「死刑執行の直前まで6回行った 黒人男性が見た『地獄』の刑務所」はこちらから
デリックさんが死刑宣告を受け、ルーカスビル刑務所に入所してから15年が経過した。その間、何度か再審請求を試みたが却下された。死刑が近づく度、執行の直前に何らかの理由で延期になるといったことが何度か繰り返され、命拾いをした。そんなデリックさんが、新しい弁護士を雇ったことにより、事態は新たな展開を迎える。
15年後に暴かれた事実
新たな弁護士チームの手で15年前に起きた事件の再調査が徹底的に行われると、今まで明るみに出ていなかった数々の新事実が浮上した。デリックさんを主犯と名指しした男性の証言に基づいて始められた裁判だったが、実は他にも事件の目撃者が複数、存在していたのだ。その一人は、「現場から逃げた二人の男性のうち、一人は身長約170センチで、もう一人は183センチほどだった」と警察に証言していた。2メートル近くもある長身のデリックさんと、目撃者が描写した犯人像は明らかに一致していなかった。警察から複数の顔写真を見せられた目撃者が「あなたが見た犯人はこの中にいますか?」と聞かれた際、デリックさんの写真が選ばれることは一度もなかった。
さらに、「背の低い方の男性が凶器と見られる金属パイプを手に握っていた」という目撃者情報も寄せられていた。デリックさんを名指しした男性は「デリックさんは殴る蹴るの暴行を加えて被害者を死なせた」と言い、金属パイプについて言及したことは一度もなかった。法廷では凶器について議論すらされなかったという。「15年前の私は、自分の無罪を証明する35個もの証拠を警察が隠していたなんて、知る由もなかった」とデリックさんは言う。
冤罪を生む要因とは
「冤罪の元死刑囚が有罪判決を受けた要因を調査すると、警察や検察官などによる違法行為や職権濫用によるものが圧倒的に多く、その次に多かったのが偽証だった。これらの要因は特に殺人事件に多く見られ、1970年代以降の冤罪死刑囚のほぼ8割が、公務員の職権濫用や虚偽の証言などにより不正に有罪判決を受けていた」。ミシガン州立大学で全米の冤罪被害者のデータを蓄積し研究するバーバラ・オブライエン教授は、こう説明する。
オブライエン教授らが今年まとめた全米の冤罪被害者に関するレポートによると、2019年に無実を晴らした人は、元死刑囚3人を含めて計143人いた。このうち、半数を超える76人は殺人罪で有罪判決を受けており、その要因としては、死刑の可能性を示唆され脅されることによって被告本人が事実無根の罪を認めたケースや、目撃者が虚偽の証言をしたことにより有罪となったケースが圧倒的に多かった。全体の143人中101人が、このような偽証により有罪判決を受けていたという結果が報告された。
続いて、警察や検察官の不正行為によって有罪を受けた冤罪被害者は、143人中93人で、昨年度の冤罪被害者全体の3分の2に値する。不正行為の中でも一番多いのは、無実を証明する証拠の隠蔽で、これも殺人容疑の被告に最も起こりやすいという。警察や検察による何らかの不正行為により、殺人の有罪判決を受けた冤罪被害者は76人中57人にも及んだ。
この統計結果を見ると、デリックさんの有罪は、警察による証拠隠蔽と、目撃者が自分の刑を軽くするために行った偽証という典型的な二つの要因が重なり合ったケースといえる。
「最高の日」が「最悪」に暗転
弁護士チームによって暴かれた数々の証拠に基づいて再審が請求されたのは2000年の春だった。デリックさんはチームを、自分を救った「天使たち」と呼ぶ。だが、完全に無実が証明されるまで、さらに5年を要した。途中で、検察側から「罪を認めこの書類に署名さえすれば刑務所から出られる」と言われたこともあった。家族は「すぐにでも署名して家に戻ってきて」と懇願した。でもそれは、「殺人者」というレッテルを背負い生きていくことを意味した。周囲は「これで出所のチャンスを逃すなんて頭がどうかしている」とデリックさんを責めたが、デリックさんは周囲の反対を押し切ってでも、完全に汚名を晴らすまで戦うことを決意した。「だって殺人など犯していないのだから」
5年後、「天使たち」がまだ死刑監房にいたデリックさんを訪れ、告訴が全て取り消されたという知らせを告げた。その場にいた全員が涙を流し、喜びを分かち合った。看守までもが、ともに泣いてくれた。「世界で一番素晴らしいことが自分の目の前で起きているようだった」とデリックさんは当時を振り返る。それからは、「まるでクリスマスを待つ子供のように、ワクワクした気持ちで毎日を迎えた」という。「あの時の喜びを瓶に詰めて売ることができたら、私は今頃億万長者になっていただろう」
遂に無実が証明されたデリックさんが刑務所を出たのは、2005年10月25日。24歳で死刑囚となり、「187382」という囚人番号で呼ばれ始めたのは、ちょうど20年前の同日、1985年10月25日のことだった。出所したデリックさんはすでに44歳になっていた。
ところがデリックさんにとっての「人生最高の日」は「人生最悪の日」へ急転する。いつも死刑監房で語り合った親友のウィリアムさんが死刑になるという知らせを突然、聞かされたからだ。周囲は、出所するデリックさんに配慮し、ウィリアムさんの死刑執行について伏せていたのだった。この日、ウィリアムさんは薬物注射による死刑で世を去った。デリックさんが別れを告げる機会もなかった。
「暗殺部隊」による連行
デリックさんの20年に渡る投獄生活の間、ルーカスビル刑務所では18回の死刑が執行された。死刑監房の仲間が処刑場に連れて行かれる様子を何度も目撃した。デリックさんが投獄された当時まだ18、19才だった若者たちが、死刑監房で成人しては次々殺されていった。受刑者が抵抗する場合に備え、死刑執行時はきまって「暗殺部隊」というあだ名の体の大きな看守らがやってきた。「俺は無実だ!」と叫び抵抗する死刑囚が、「暗殺部隊」によって繰り返し暴行を受け、ぐったりした様子で引きずられて行ったこともあったという。「死刑の前にすでに殺されたようなものだった。でも、何もしてあげることができなかった」と息をつまらせながら語るデリックさんは、仲間の無実を頑なに信じていた。誰かが処刑されるたびに「地獄を彷徨っているかのような感覚」に陥ったという。
1970年代以降、米国で死刑が執行された人の数は1522名。デリックさんは、死刑は「殺人」だと主張する。「死刑により亡くなった一人一人の死亡証明書の死因欄には『Homicide(殺人)』と明記されるからだ。つまり、死刑は『州に認可された殺人』だ」。
170個の過ち
「私のストーリーの結末は他の人たちとは違った。なぜならば、私は『合法なリンチ』に屈せず、生き延びることができたから」。自分のサバイバルを「奇跡」と呼ぶデリックさんは、現在、似たような境遇にいる仲間を助けることに全力を尽くしている。
デリックさんはいま、全米の冤罪被害者の元死刑囚が社会復帰するのを支援する非営利団体「ウィットネス・トゥー・イノセンス」(無実への証人)で、ソーシャルワーカーと冤罪被害者の間に入って手助けをする活動をしている。ソーシャルワーカーのカラ・コバルビッチさんは、「元死刑囚とのコミュニケーションにおいて、同じ経験をした冤罪被害者のデリックさんにしか理解できないことが多々ある」という。それは、「たとえ資格を持ったソーシャルワーカーでも、死と隣り合わせだった死刑囚としての経験がないから」だ。デリックさんは、自分が健全で、このような仕事ができるということも「奇跡」だという。それは、死刑囚として、心を病んでしまった人や、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ人を大勢見てきたからだ。
デリックさんは、集会やセミナーで自分の経験を人に話すことで、死刑や冤罪に関して知ってもらい、司法制度改革の必要性を訴え、そして、愛と思いやりの大切さを広める活動を活発に行っている。そのためなら、違う州にも違う国にも飛んでいくという。さらに、現在死刑が迫っている、無実の可能性がある死刑囚やその家族と連絡を取ってサポートしたり、各州の州知事の事務所へ自ら出向き、死刑を遅らせるよう知事に訴えたりもしている。
何年にどこで誰が死刑を執行されたなどという情報がスラスラと出てくるデリックさんは、まるで頭にコンピューターでも搭載されているかのよう。しかし、デリックさんは一人一人の死刑囚をデータとして扱っている訳では決してない。「これまで56人の友達を死刑で失った」というデリックさんは、ルーカスビル刑務所時代から死刑が執行された友達一人一人の情報を頭に全て蓄積している。
「私はナンバー119!」と言うデリックさんは、全米で死刑囚から無罪となった119番目の冤罪被害者だ。これまで無罪が確定した元死刑囚の冤罪被害者は、デリックさんを含め170人いる。「現在投獄されている2600人以上の死刑囚の中にも冤罪被害者が含まれている」と信じるデリックさんは、「170という冤罪被害者の数は、このシステムが170回過ちを犯したということだ。そしてこの170の過ちは死刑を行っては行けない理由が170あるということを意味する」と訴える。なぜならば、「たった一つの理由であっても、無実の人の命を絶ってはならないからだ。刑務所からは出所できるが、お墓から解放されることはできない」
「リンチ」に終止符を
デリックさんは仲間のために「拳から血が流れるまで、戦い続ける」と語る。目標はただ一つ―――「合法か違法かを問わず、『リンチ』に終止符を打つこと」。一方で、死刑囚として「地獄」のような経験をしたデリックさんが、誰かを恨んだことはないという。「誰にでも間違いはあるから」と優しい声で語るデリックさん。その奥底には、とてつもない力を秘めているかのようだった。
去年、冤罪被害者との大きな会議でフロリダを訪れたデリックさんは、フロリダの海や気候がたちまち気に入った。いま、「恋に落ちた」というフロリダで、愛犬ラッキーとともに暮している。冤罪被害者のための活動に追われる日々だが、こう付け加えるのも忘れなかった。「人生は、楽しまなければね」