アントニオ・ヌウォゾさん(ワシントン、大学スタッフアシスタント、29歳)
「生まれる前、刑務所にいた」
アントニオさんは一度大きなため息をつき、覚悟を決めたかのように語り始めた。
アントニオさんを妊娠中だった母親は麻薬で逮捕され、刑務所の出入りを繰り返していた。ちょうどこの頃、ロサンゼルスで黒人のロドニー・キングさんが複数の白人警官から激しい暴行を受け重傷を負った。1991年3月、アントニオさんが生まれる9日前だった。
「幼少期は重苦しい思い出で埋め尽くされている」と言うアントニオさんは、首都ワシントンの南東にある貧困地域、アナコスティアの出身。実の父親は知らない。母親は再婚するも、麻薬に溺れる生活は続いた。
80年代から90年代にかけ、ワシントンでは麻薬中毒が「伝染病」と言われるほどに蔓延していた。母親はリビングで倒れ、生きているのか死んでいるのかもわからないまま数日間が過ぎることもよくあった。それでも外に助けを求めれば、児童保護監察員がやってきて家族が引き裂かれてしまう。自分が5歳下と8歳下の二人の妹を育てたようなものだと語るアントニオさんの「サバイバル」は、生まれる前からすでに始まっていた。
ガスや電気代が払えず、電気が切られ、ろうそくで過ごしたこともあった。「ここは、ホワイトハウスの目と鼻の先、米国の首都ワシントンなんだ。このようなことがアメリカ合衆国で起きているんだ。信じられるかい?」と声をあげる。南東区はホワイトハウスから車で10分ほどの距離にあるが、あまりにひどい経済的な格差から「国の中にある別の国」と呼ばれる。
アントニオさんが10歳のハロウィーンのこと。母親が、この辺りではあまりキャンディーをもらえないから「白人の区域」へ行こうと言い出す。当時「白人の区域」が存在することすら知らなかったアントニオさんは、母親の突然の提案に驚き、妹たちと顔を見合わせる。アナコスティア川を越え、多くの白人が住むワシントン北西部まで行ったアントニオさんの家族は、その日たくさんのキャンディーを手に帰宅した。ハロウィーンのキャンディーという些細なことから、自分が何かを手に入れたいのなら、なんとかしてこの「罠」から抜け出さなければならないということを学んだ。
学校が支援してくれようとしたが、なかなかうまくいかず、そのうち生活環境は悪化した。守ってくれるはずの学校や家庭に失望した。自分を守ってくれる存在を外に求め、ギャング・グループに入ったのはわずか13歳の時だった。悪いこともしたが、幼い二人の妹のことを考えると、麻薬に手を染めることだけは拒んだ。やがて「罠」の中で同じ光景を見続けることに疲れる。そんな時、ボクシングに出会った。「ブラック・パンサー」(1960年代後半から1970年代にかけて米国で黒人解放闘争を展開した急進的な政治組織)のオリジナル・メンバーだった有名なボクサーは、自分の人生にどう向き合うかを教えてくれた。自分が何かをしなければ変わらない。「願う」だけでは足りないと初めて気づかされた。この「罠」の外にある光景を想像しながら、抜け出すために闘った。ボクシングの闘いが自分を前に押し出してくれた。
コミュニティーカレッジに通っていた2010年のことだった。真冬のある日、19歳のアントニオさんは学校からの帰宅途中、突然道端で白人警官に止められる。「この近所の店で強盗があった」という理由で、犯人ではないかと疑われた。「そのコートの中に何を隠しているんだ」と言われ、コートを脱がされる。寒さで体がブルブル震えていたが、警官はさらに衣服を脱ぐよう強制した。極寒の中、道の真ん中でまるで犯人のように扱われたアントニオさんは、疑われたことよりも、潔白が証明された自分に対し、一言も謝らずに、目を合わせることもなくその場を去った警官の態度に驚いた。
すぐに母親に電話した。すると母親は、まるで当たり前のことのように「刑務所に行きたくなければ警察には近づくな。それ以外にできることはない」と言っただけだった。「これが日常的なことなのか?」。衝撃を受けた。
がむしゃらに働き、様々な分野を学んだ。今はカポエイラ(ブラジルのマーシャル・アート)を子供たちに教え、洋服のデザインもする。昼は大学で働きながら情報管理を勉強している。「ワシントンの貧困地域で育った僕が、ロンドンのファッションショーに招かれるなんて信じられるかい?」と生き生きとした声で話すアントニオさんは、「でもね……」と続けた。自分の知識や技術をさらけ出してはいけない。2つの顔、3つの顔を持って生きていかなければならない。時にハッピーな振りをして、自分の意見を隠し中立性を保たなければならない。なぜならば、自分が他の人よりも優れているということをわずかでも表に出せば、すぐさま「ターゲット」になるからだ。それがこの国で黒人として生きるために必要なことだ。アントニオさんは、フランスの文学者、ラ・ロシュフーコーの言葉を引用し ―――「才覚を隠すには、卓越した才覚が必要だ」と語った。
ロドニー・キングさんの事件直後に生まれた自分が30歳になろうとしている今、同じような事件が続いているということに怒りを覚える。祖父母は公民権運動で抗議デモに参加した。今私たちは同じように抗議デモをしている。自分の孫の代までさせてはいけない。人種差別が昔に比べて「良くなったか、それとも悪くなったのか」という議論は意味がない。たとえ暴力行為を行う警官が全体の数パーセントだったとしても、その数パーセントが殺人行為を許される「システム」がある限り、状況が良くなったとは決して言えない。闘わずに平和はやってこない。最後の一人が罪を償うまで、闘い続けなければいけない。このままでいい訳がない。
自分が「罠」から完全に抜け出したとは思わない。そして他の「罠」にいつどこではまってしまうかもわからない。フロイドさんに起こったことが自分にも起こるかもしれないという恐怖を毎日感じる。朝このアパートを出るとき、夜無事に戻ってくることができないかもしれないという不安が頭をよぎる。自分がどんな人間かなど、関係ない。ある瞬間ある場所に偶然居合わせるだけで命取りになるかもしれない。でも恐怖に怯えながら生きてはいけない。恐怖とともに育ったのだから。