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ワシントンの黒人社会を襲う新型コロナ チョコレートシティの現状

ホワイトハウスへ猛ダッシュ
キング牧師の生誕を記念する祝日、ワシントン南東区では毎年パレードが行われる。「キング牧師通り」を抜け、公共住宅が並ぶバリーファーム地区を目指し、大勢の地域住民が「平和の行進」をする=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年1月15日

新型コロナの感染者数が死者数とともに世界最悪となった米国。ウイルスは人種を選ばないはずだが、黒人の間で感染が深刻化している。首都ワシントンでは、新型コロナウイルスによる黒人の死者数が約8割に及んでいる。このニュースを聞き、ある女性のことが頭に浮かんだ。そして、5月のある晴れた日、私はマスクと手袋を装着し、ワシントンのバリーファームという地区へ猛ダッシュした。

バリーファームへ

ホワイトハウスがあるワシントンの中心部から南東へ車でわずか10分。新築のマンションやおしゃれなレストラン、クレーンや工事中の建物が立ち並ぶエリアを抜け、アナコスティア川を渡ると景色が一変する。高層ビルはなく、カラフルな壁画が施された古い建物や家屋が並ぶ。中心部でよく見かける人気チェーン店は見当たらない。スターバックスコーヒーは、この地域の第1号店がやっと今年開店予定までこぎついたが、コロナの影響で先延ばしになっている。このあたりはワシントンで最も貧困率が高い。多くの政府機関や博物館が並ぶ市の北西部とは、文化的にも経済的にもまさに「別世界」だ。

首都ワシントンは、連邦議会議事堂を中心とし、北西、北東、南西、南東という4つに分けられる。人口を人種別に見ると、ホワイトハウスや政府機関がある北西区には白人が多く、南東区は圧倒的に黒人が占める=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年1月15日

「ある女性」の名はディトリス・ベルトさん。バリーファームの公営住宅に娘と暮らす当時33歳のシングルマザー。私が彼女と出会ったのは2018年1月15日だった。

キング牧師の生誕を記念する祝日、「マーチン・ルーサー・キング・パレード」の最終地点だったバリーファームには、極寒の中、大勢の黒人が集っていた。

パレードでチアガールのパフォーマンスをする女の子たち。年明け初の「晴れ舞台」だという=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年1月15日

通りはトランペットやドラムを演奏しながら行進する子供達や、この地域で生まれた「ゴーゴー」という音楽に合わせ踊る人たちで溢れている。右を見ても左を見ても黒人ばかり。ただ、その生き生きとした表情と盛り上がるパレードの勢いに魅了され、シャッターを切り続けた。自分だけが彼らと見た目が異なるということも、寒さで指が感覚を失っていることも忘れ。そこで偶然出会い、ワシントンの黒人が直面する問題について話してくれたのがディトリスさんだった。

当時11歳の娘とバリーファームに暮らす、歯科助手のディトリスさん。公共住宅問題と戦うため、バリーファーム・テナント協会の代表も務める=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年2月9日

私が突如バリーファームへ向かったのは、ディトリスさんの家が解体寸前だと知ったからだった。車で到着すると、そこはゴーストタウンになっていた。まだ陽が出ているにも関わらず、誰一人歩いていない。車も走っていない。まるで住人が夜逃げでもしたかのように、道端には捨てられたソファや子供のおもちゃが山積みになっている。ディトリスさんの家はかろうじてまだ残っていたものの、半分解体され壁だけになってしまった家や、すでに取り壊され泥と土まみれになった空き地に囲まれている。あれだけの人が集まり道を埋め尽くした2年前のパレードからは想像もつかないほどの変貌ぶりだった。

奴隷解放や市民権運動の拠点となったこの地域で、その深い歴史までが忘れられてしまうと懸念した住民らは、せめて建物の一部を歴史的建造物に指定するよう市に訴えた。結果、全国福祉権活動により、学校での人種分離廃止へ導いた活動家の家を含む5つの家が残されることとなった=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年5月7日

「チョコレートシティ」

ワシントンのこの地域には、「チョコレートシティ」の面影がある。黒人が多いことから、かつてワシントンは、そう呼ばれた。奴隷解放宣言に先駆けて奴隷制が廃止された首都には、19世紀から南部の黒人が移り住んだ。南北戦争の終結後、自由を手に入れた黒人が安価で家を取得できるようにと、政府が買い取り再分配した。それがバリーファーム地区だ。

「バリーファーム」という地名は、かつてこの土地を所有したワシントン市会議員ジェームズ・バリー氏の名前に由来する。南北戦争後、連邦政府の「黒人解放局」に購入されて以来、この地域は政治や宗教、公民権運動の拠点となった=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年1月15日

1970年代には人口の70%以上を黒人が占めていた。1975年に「パーラメント」というバンドが同名の曲を出したことで、「チョコレートシティ」の愛称は全国的に広まった。「ちょうどこの頃、市議会選挙が開かれ、市民権運動に携わる多くの黒人が選出されたことから、この愛称は人口だけではなく、黒人の政治的権力の取得も意味した」。黒人社会という切り口からワシントンの歴史を分析した「チョコレートシティ」の著者、メリーランド大学のデレク・マスグローブ准教授は説明する。

爆音で鳴り響く「ゴーゴー」の曲とともに踊る群集。パレードを見に、寝巻きのまま外に出て来た住人の姿も=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年1月15日

ディトリスさんが暮らす公共住宅が建設されたのは1942年。近年老朽化が進み、住民たちは部分的な修理や改築を求めていた。そんな中、ワシントン市議会は2006年、442世帯が住む全ての住宅を解体し、新しい集合住宅を建てるという計画を打ち出す。以来、ディトリスさんの戦いが始まった。

ジェントリフィケーションの闇

2年前に私がディトリスさんの家を初めて訪れた時、まず目に飛び込んだのは、窓に貼られたポスターだった。「私たちは出ていかない」と書かれたポスターは、まるで立ち退きを迫る市に対する挑戦状のように見えた。「キッチンの扉が歪んでもう閉まらないのよ」と言いながら、笑顔で迎え入れてくれた家の中は、壁紙やペンキがあちこち剥がれ、天井には水漏れの跡が大きく残っていた。ネズミにも悩まされていた。

ディトリスさんの家には、1階にキッチンとリビング、2階に寝室が2つある。ディトリスさんは、ここに娘と2匹の犬とともに暮らしていた=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年2月9日

それでも立ち退きを拒否した大きな理由は、そこがディトリスさんにとって「故郷」だったからだ。11歳の時に母親と引っ越して来て以来、20年以上住んだ家もコミュニティーもそこにあった。小さな頃から近所の友達と遊び、バーベキューをした裏庭で、今は自分の娘が遊んでいる。強い結びつきを大切にする黒人コミュニティーはまさにディトリスさんの「故郷」だった。

キッチンに出るネズミや水漏れなど、家の状況を説明するディトリスさん。2018年2月当時、立ち退きはすでに始まっており、400世帯以上が住んだ住宅で残っていたのは100世帯ほどだった=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年2月9日

ディトリスさんらバリーファームの住民が戦った相手は「ジェントリフィケーション」と呼ばれる。ジェントリフィケーションとは貧困地域の再開発を指す。そういえば聞こえがいいが、中流階級や富裕層の流入を促すのが目的だ。そこに住んでいた住民は立ち退きを強いられ、郊外への移住を余儀なくされる。マスグローブ准教授はワシントンを、「貧困層を移住させるジェントリフィケーションの舵を取る存在」と呼ぶ。近年、ワシントンの黒人の割合は減少し、2014年に初めて半数を切った。現在は46%だ。

パレードを見に来た親子。数年前、「開発の下見」と称し、ここに中国人を乗せたバスが来た。まるで「サファリパーク」のように住居区域に侵入してきたことに住人は怒り、追い返したという。だが翌年もバスは現れた。「ここは動物園ではない」。地域住民は訴える=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年1月15日

ワシントンの低所得市民を支援する非営利団体「エンパワーD C」のダニエル・デル・ピエラゴさんは、「ここは南北戦争や奴隷制度など、とてもパワフルな歴史を持つ地域だ。でもそれらが全て捨て去られ、都市開発が進められようとしている」と語る。

ワシントンで深まる貧富の差

昨年2月、ディトリスさんは13年間の「戦い」に一つの節目を迎えた。一時は滞っていた開発計画が進み、ついに公共住宅を退去することを決意する。ただ、決断に踏み切ったきっかけは、脅迫じみた立ち退き要請の手紙ではなかった。周囲からはどんどん隣人がいなくなり、最後に残っていたのは20人にも満たなかったという。道端の電灯も消え、初めて身の危険を感じたからだ。お互い助け合ってきた仲間も、すでに去っていた。そこに追い討ちをかけるかのようにゴキブリとネズミが大量発生した。「もうここには住めない」。出発を決意した。久しぶりに電話した私に、ディトリスさんはこう説明してくれた。

ディトリスさん宅の前方に、ぬいぐるみが括り付けられているフェンスがある。階段には酒の空き瓶が何本も並べられている。この家の住人が銃で撃たれて亡くなったため、地域住民はこうして追悼する=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年2月9日

「ジェントリフィケーションは、勝者と敗者をもたらす。全てが人種によって左右されるこの国で、都市開発という名の元に黒人が追い出される。その開発の恩恵を受けるのはお金を持つ白人だ。でもそれは黒人の犠牲に成り立っている」。ダニエルさんはそう語る。2019年の国勢調査によると、ワシントンでの貧富の差は全米1位。人口の16%以上が貧困ラインをはるかに下回る一方、18%の住民は年間20万ドル(約2134万円)以上の収入を得ている。収入トップの20%は、根底20%のほぼ30倍も稼いでいる。

すでに空き家となった家の窓には板が張られ、ドアには鎖で錠がかけられていた。町のあちこちで、「くたばれトランプ」と書かれた落書きが見られる=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年2月9日

新型コロナと格差

「新型コロナによって、もともとこの町に潜在した格差が浮き彫りになった。パンデミックが起きたことで、誰の命が価値あるものとされるのか、誰が守られるのかが明らかになった」。ダニエルさんはこう訴える。

労働省のデータによると、白人の30%は在宅勤務が可能な一方で、黒人の割合は20%を切っている。黒人やマイノリティーが、公共交通機関、配達業、食料品店、医療機関など、「不可欠」とされる職種の多くを担っている。つまり、職業による黒人の感染リスクが高い。

「(黒人社会の問題を)諦めてはいけない!」というローカルリーダーたちの情熱こもった演説に、拳を上げ賛同する母親。前歯が数本ないのは、保険がないためだと思われる。米国での歯の治療は極めて高額だ=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年1月15日

ワシントン刑務所のキッチンで働く38歳の黒人女性は、連日勤務している。新型コロナが深刻化するにつれ、感染を恐れたスタッフが休みを取り出したことで人手不足になった。通常1日8時間のシフトは、12時間または16時間に延長された。16時間シフトをすれば、1週間に追加手当て50ドル(約5千円)が支給される。

だが、職場環境は非常に危険だという。5月頭で刑務所内での感染者数は158人になった。受刑者1名とスタッフ1名の死亡も報告された。しかし女性に支給されたのは薄っぺらの紙製マスクと手袋のみ。所内で互いに6フィート(180センチ)の距離を保つルールを守る人などいない。そもそも狭いキッチンでは距離をとるのも困難だ。5月に入りやっとプラスチックのフェイスカバーが配られたが、自宅へ持ち帰り自分で洗うよう指示された。女性はそのフェイスカバーを持って、地下鉄で通勤している。「ウィルスを家に持ち帰るようで不安だ」。

「刑務所よりも職を!」と書かれたプラカードを持ち、パレードに参加する親子。米国では、受刑者数の増加に加え、その人口が黒人とヒスパニック系に著しく偏っていることから、刑務所での大量収容が問題視されている=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年1月15日

先日、同僚が感染した。自分もすでに感染している可能性が高いが、医療保険がなく、どのようにメディケイド(低所得者用の医療費補助制度)を使い、医者に相談すべきかがわからない。それでも「生活のために、毎日命を危険にさらし仕事に向かう」という女性の月収はわずか1000ドル(約10万7千円)。

黒人の間で新型コロナ感染が拡大するもう一つの理由に、低所得層の基礎的疾患や糖尿病などの持病を持つ人が多いこともあげられる。貧困区域では医療施設の不足や、医療保険を持つ人が少ないことなども指摘されている。

2階の窓からパレードの人混みを眺める公共住宅の住人。隣はすでに空き家で、窓には板が打ち付けられている=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年1月15日

さらに、ダニエルさんは劣悪な生活環境も指摘する。「在宅と言われても、壁や天井に穴が開き、ネズミに侵食され、カビだらけの環境にこもるのは衛生上よくない。新型コロナは、すでに公共衛生の危機に面する貧困層をさらなる苦境へ追い込んでいる」

ディトリスさんは、自宅学習する娘の世話や感染リスクを考え、歯科助手の仕事を休んでいる。車は故障し、修理代が払えないため手放した。今の収入は低所得者用の手当てのみ。なんとかやりくりするしかないと言う。

当時11歳だった娘のデリアちゃんを連れ、「キング牧師パレード」を見にきたディトリス・ベルトさん。笑顔が素敵なディトリスさんに会うたび、強さとポジティブさを感じる=ワシントン、ランハム裕子撮影、2018年1月15日

バリーファームを出る決断をした時のディトリスさんの言葉が今でも忘れられない。「ママは、鎖で自分を門にくくりつけてでも出て行かないって言ったよね?」と尋ねる娘のデリアちゃんに、ディトリスさんがこう答えた。

「今はここを出なければいけない。でも私たちは戦い続ける。この戦いはまだ終わっていないのだから」

新型コロナによって浮き彫りになった、黒人の様々な戦いはこれからだ。。。