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A級とBC級戦犯の違いは?東京裁判は大国主導だった?背景にあった中小国からの訴え

World Now 更新日: 公開日:
BC級戦犯の審理が行われた「横浜法廷」。星条旗2流が掲げられた正面が判事席、その下が被告席、左右に検事席と弁護士席。横浜裁判はアメリカによるBC級戦犯に対する軍事法廷で、連合国によるA級戦犯の極東国際軍事裁判(東京裁判)とは別に1949年10月19日まで行われ約1000人が死刑を含む判決を受けた
BC級戦犯の審理が行われた「横浜法廷」。星条旗2流が掲げられた正面が判事席、その下が被告席、左右に検事席と弁護士席。横浜裁判はアメリカによるBC級戦犯に対する軍事法廷で、連合国によるA級戦犯の極東国際軍事裁判(東京裁判)とは別に1949年10月19日まで行われ約1000人が死刑を含む判決を受けた=1946年6月ごろ、横浜市中区、朝日新聞社

戦争犯罪とその裁判を考えるとき、第2次世界大戦後の東京裁判(極東国際軍事法廷)など対日戦犯裁判を避けて通れないでしょう。「戦勝国による一方的な裁きだった」「米国の思惑でゆがめられた」といった否定的な評価とともに語られることが多いようです。しかし、実証的研究を重ね、著書「BC級戦犯裁判」(岩波書店)などにまとめてきた関東学院大学教授(現代史)の林博史さんは「近代の戦争の歴史、さらに現在の国際刑事裁判所(ICC)に至る歴史の中に位置づけて見るべきだ」と指摘しています。(聞き手・大牟田透)

東京裁判だけじゃない対日戦犯裁判

――対日戦犯裁判というと東京裁判ばかりが頭にありましたが、BC級戦犯裁判はいろいろあったのですね。

連合国では米国、英国、オランダ、フランス、オーストラリア、中国、フィリピンの7カ国がそれぞれ裁判をしています。東京裁判の被告は28人(うち死刑7人)でしたが、BC級戦犯裁判では計約5700人が裁かれ934人の死刑執行が確認されています。ほかにソ連でも推定約3000人が裁かれました。

――A級戦犯が政府や軍の指導者というのは知っていましたが、B級とC級は命令者と実行者の違いや階級の違いではないのですね。

第2次世界大戦時点での戦争犯罪は、東京裁判に先立って、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判で定式化されました。非人道的兵器の使用や捕虜・民間人の虐待・虐殺などが、従来の戦時国際法に反する「通例の戦争犯罪」(B級)です。

戦前も含めて一般人への大規模かつ組織的な残虐行為や迫害が起きたことから、そうした政治的、人種的、宗教的理由に基づく迫害行為を「人道に対する罪」(C級)として裁こうとしました。

さらに現場の責任者を裁くだけでは足りないとして、そうした戦争を起こした国家や軍の指導者を対象にする「平和に対する罪」(A級)が作られたのです。

――大国主導の議論だったのですか。

いえ、むしろ実際に大きな被害を受けた中小国から「『通例の戦争犯罪』では扱いきれない。これをどう裁くのか」という議論が出てきたのです。

最終的に米政府が受け止め、国際法的に検討した末、侵略戦争を計画・準備・実行した者の「平和に対する罪」という概念として発達しました。多数の国に対する侵略戦争を始めた罪ですから、国際法廷という枠組みになりました。つまり大国の横暴を防ごうとする中小国の声がベースにありました。

横浜戦犯裁判に関わった米軍軍事委員会のメンバー
横浜戦犯裁判に関わった米軍軍事委員会のメンバー=米陸軍撮影

新たに生まれた「平和に対する罪」

――「平和に対する罪」はニュルンベルク裁判、東京裁判に向けて、初めて確立した概念なのですね。

東京裁判では全員が「平和に対する罪」で起訴されています。「平和に対する罪」は事後法だという批判は当然ありますが、末端の犯罪者だけ裁いて、もっと地位の高い責任の重い者を裁かないでいいのか、裁かないと悪影響が大きいという意味もあったわけです。

東京裁判は一度に大勢は裁けないため、陸軍とか海軍、外務省、その他の官僚、右翼団体といった分野ごとに、さらに年代ごとに被告を絞り込み、28人を起訴しました。

「平和に対する罪」で起訴されたことで、戦争準備の証拠や残虐行為の記録が集められて次々に提出され、保管されました。普通だと消え失せてしまうようなものが残されたことを考えると、東京裁判の果たした役割は大きかったのではないでしょうか。

極東国際軍事裁判(東京裁判)で起立して判決を聞くA級戦犯の被告ら
極東国際軍事裁判(東京裁判)で起立して判決を聞くA級戦犯の被告ら=1948年11月12日、東京・市ケ谷の東京裁判法廷、朝日新聞社

――東京裁判は米国の思惑通りに進んだのでしょうか。

昭和天皇を訴追しないとか、生物兵器開発で人体実験をしたとされる731部隊を訴追しないとか、米国の影響は確かに強いのですが、裁判では各国の検察から寄せられた日本軍の残虐行為の情報を無視できなくなるわけです。

最終的に死刑になった7人はいずれも「通例の戦争犯罪」でも有罪になっています。「平和に対する罪」も認められているのですが、新しい法律なのでそれだけでは死刑にしていません。判事団にそういう判断がありました。国際法は国内法とは違って穴だらけで、少しずつできてきています。国際法発展の途中、「平和に対する罪」がまさに生まれてきた段階での判決だったのです。

米国の介入で、米国にも不都合な無差別爆撃や毒ガス使用などでは日本軍を訴追しないなど、ゆがめられた部分はあります。それでも、あそこで日本やドイツの指導者を裁いた、個々の戦争犯罪だけでなく、そういう戦争を始めたこと自体が国際的に許されない犯罪であると示した大きな意味があると思います。

極東国際軍事裁判(東京裁判)の9人の裁判官。前列右からソ連・ザリヤノフ、中国・梅汝璈(ゴウ)、豪州・ウエッブ、米・ヒギンス、英・パトリック、後列右からニュージーランド・ノースクロフト、フランス・ベルナール、オランダ・ローリング、カナダ・マクドゴール
極東国際軍事裁判(東京裁判)の9人の裁判官。前列右からソ連・ザリヤノフ、中国・梅汝璈(ゴウ)、豪州・ウエッブ、米・ヒギンス、英・パトリック、後列右からニュージーランド・ノースクロフト、フランス・ベルナール、オランダ・ローリング、カナダ・マクドゴール=1946年4月、東京都新宿区市ケ谷の東京裁判法廷(現・市ケ谷記念館)、朝日新聞社

――東京裁判後の、戦争犯罪をめぐる国際社会の動きをどう見ていますか。

東西冷戦下ではあまり発展がなく、冷戦終結後にICCができます。私は、戦犯裁判の一番大きな意味の一つは、平和を回復していくプロセスで被害者による直接の報復を防ぐことだと考えています。

つまり、加害の責任者は法で罰するから、被害者個々が報復するのはやめろという意味がすごく大きい。それをしなかった場合に被害者が報復を始めると、多分収拾がつかなくなるわけです。

大国をどうやって国際法に従わせるか

――ただ、米ロ中といった大国はICCの非締約国です。

ICCが生まれる前であっても、例えばベトナム戦争で米国がしたことは東京裁判の論理で言うと「通例の戦争犯罪」にも「平和に対する罪」にも当たるけれど全く処罰されていません。そういう意味では戦犯裁判で裁かれるのは、敗戦国か、国際的処罰を受け入れなければ外交的にやっていけない旧ユーゴのような中小国に限定されているわけで、そこは戦犯裁判の重大な弱点だと思います。

ただ、例えば今回ロシアがウクライナにしたことは侵略だ、侵略戦争は許せないという非難が出てくるのは、ニュルンベルク裁判、東京裁判で国際的に基準が確立したからでしょう。

ICCも、東京裁判などの問題点を克服するために、戦勝国による裁判ではなく中立機関として生まれました。事実誤認が起きやすいことなどもあり死刑を排するというのも、特にBC級戦犯裁判への反省があると思います。

――それでも、米ロ中といった大国がICCに入っていないのは気に入りません。

これはいろいろな問題と共通していますが、戦争という手段は基本的に大国がとろうとするわけです。中小国はむしろ大国に勝手なことをされては困る。ですから、国際法でそういうのをきちんと禁止してほしい、やめさせてほしいというのが、中小国の願い、希望なのです。それがICCを作り上げてきたし、核兵器禁止条約も全く同じです。

中小国の声をどれほど国際法にきちんと反映させるか、大国をそこに従わせるようなことがまだできていない。それは果たして解決するかどうか分からないけれど、人類にとって一番重要な課題だと思います。

――広島への原爆投下直後に、日本政府は「国際法に違反する」と米政府に抗議しています。

もちろん戦争犯罪だと思います。核兵器は特定の軍事目標だけを破壊することがそもそもできませんから。ただ、日本がそこまで戦争を継続したことが引き起こした面もある。各地で残虐なことをして、そのことが米国などで原爆使用を正当化する論拠になっています。日本国民の一員としては、原爆投下を戦争犯罪として批判すると同時に、日本の侵略戦争と残虐行為について反省しなければならない、そういう問題なのだろうと思います。