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ウクライナ侵攻の影で、黙殺されたルワンダによるコンゴ侵攻、ムクウェゲ医師の怒り 

World Now 更新日: 公開日:
デニ・ムクウェゲ医師
デニ・ムクウェゲ医師=2022年5月10日、フランス西部アンジェ、ロイター

「ロシアによるウクライナ侵攻と同様に、コンゴ民主共和国も隣国、特にルワンダによって侵攻されている。その侵攻からもうすぐ30年が経つ」

2022年9月、コンゴの市民団体がベルギーで主催した「コンゴ民主共和国の平和国際会議」にて、ノーベル平和賞受賞者のデニ・ムクウェゲ医師はこう発言した。

筆者も参加したその会議にて、コンゴ人の参加者から「ドクター、よく言ってくれました!」と歓声が上がった。

「コンゴ民主共和国の平和国際会議」に登壇したデニ・ムクウェゲ医師
「コンゴ民主共和国の平和国際会議」に登壇したデニ・ムクウェゲ医師=2022年9月16日、ベルギー、筆者提供

その後の12月にも、ムクウェゲ氏はフランスの国際放送「France24」のニュース番組で、さらに突っ込んでこう述べた。

「現在、コンゴで続いている危機は、ルワンダとウガンダによる武力行使(aggression)によって25年間、定期的に繰り返されてきた」

そして同番組の最後に、コンゴ人へのメッセージとして「我々が皆から見捨てられていることは明白だ。我々の運命は自分たち自身の手で委ねなくてはならない」と話した。

その言葉には、国際社会への怒りがこもっていた。それはそうだろう。過去20年間、ムクウェゲ氏をはじめ多数の関係者・団体がさまざまな国際的な場でコンゴ東部での現実について訴えてきた。ムクウェゲ氏自身も日本をはじめ西欧諸国の国家元首や国際機関の長とも面会してきた。それにもかかわらず、大多数の政府や国際機関は無関心な態度をとり続け、現地の状況は改善するどころか、逆に悪化する一方なのだから。

コンゴ侵攻とジェノサイド

筆者が知る限り、ムクウェゲ医師が公的な場で「ルワンダによる侵攻」と発言したのは上記の会議が初めてだ。ムクウェゲ氏は2016年2019年の来日講演の際に、コンゴの状況を「紛争」、あるいは「経済紛争」と表現している。

隣国ルワンダとウガンダによるコンゴ東部の侵攻・侵略は現地にいる者にとって公然の事実であり、コンゴ民主共和国政府は侵攻当初、それを非難した。侵攻に関しては、国連文書などにも言及されてきたが、後述するようにルワンダ政府への非難はジェノサイドにつながり、大変政治的な問題をはらむため、なかなか公言できない。

しかし2022年2月のウクライナ侵攻以降、ロシアに対する国際社会の非難が高まる中、多数のコンゴ人が国際社会の二重基準に憤りを覚えたのだろう。なぜ国際メディア・各政府・国連などはロシアだけを責め、ルワンダの侵攻・侵略行為を黙認し続けるのか。その憤りがムクウェゲ医師の上記の発言につながったと思われる。

そもそも他国への武力行使は、国連憲章2条4項に反している。当事者のルワンダでさえ1996年の侵攻、そして1998年の再侵攻当初、安全保障を理由にコンゴ東部での自国軍の「存在(presence)」を認めたことがある

コンゴ東部では2012~2013年、そして2021年以降、「M23」と呼ばれる反政府勢力をめぐる紛争が続いている。

M23との戦闘に備え、緊迫するコンゴ軍兵士
M23との戦闘に備え、緊迫するコンゴ軍兵士=2012年11月25日、コンゴ民主共和国東部ミノバ、朝日新聞社

ルワンダの強力な支援国であるアメリカのブリンケン国務長官は2022年、ルワンダがM23を支援しているとの「信頼できる情報」があり、「とても憂慮している」と述べた。国連もルワンダがM23を支援していることを繰り返し非難してきた。

その度にルワンダのカガメ大統領は「M23はルワンダの問題ではないし、M23要員はルワンダ人ではない」とM23への支援を否定してきた。カガメ大統領は2022年、「アメリカを含め皆はいつもルワンダを責めるが、コンゴ東部在住のルワンダ反政府勢力については沈黙しているではないか」と自国軍の存在に関する言及を避けた

ルワンダはコンゴ侵攻当初の1996~1997年、フツ系ルワンダ難民らに対するジェノサイド(集団虐殺)に関与していた可能性が指摘されている。それが最初に明るみにでたのは、1998年、国連人権委員会の特別報告者による報告書だ。

続いて2010年10月、国連人権高等弁務官事務所が1993年から2003年までにコンゴ全国で発生した最も重大な人権法及び国際人道法違反の617件の暴力事件を記録している。 550ページに及んだ報告書は、目撃者1280人へのインタビューを基に作成された。このような大規模な人権侵害の報告書は、国連による初めての試みであった。

タブー視された国連報告書

同報告書は発表前の2010年8月、フランスのルモンド紙にリークされた。

報告書の中でルワンダ政府軍がコンゴ東部でジェノサイドに関与していたと非難されていたために、同政府は怒りをあらわにし、報告書を公表するならばスーダンの国連平和維持活動(PKO)から自国の要員を撤退させると脅した。ルワンダのムシキワボ外務大臣は同報告書が「(ジェノサイドに関する)歴史を書き直そうとしており、欠陥で危険だ」とまで述べた

ルワンダ現政権に対するジェノサイドの告発は、非常にセンシテイブな問題だ。

現大統領のカガメ氏は、1994年のジェノサイドを実行したと言われる当時の政権と戦った反政府勢力を率いて権力を握った。ジェノサイドの「被害者」の立場だった反政府勢力(現政府)が、コンゴでは「加害者」であったことを意味するからだ。

朝日新聞のインタビューに応じるルワンダのカガメ大統領
朝日新聞のインタビューに応じるルワンダのカガメ大統領=2013年6月1日、横浜市、朝日新聞社

ルワンダがPKOから自国の要員を撤退させると脅した後、潘基文(パンギムン)国連事務総長(当時)がルワンダに飛んでいき、カガメ大統領と面会した。その会談の内容は不明だが、明らかな点は、報告書が公表された後、国連は報告書について一度も議論したことがなく、ルワンダ軍の犯罪も追及していない。PKO派遣が「政争の具」として利用されたことになる。

ムクウェゲ医師は2018年のノーベル平和賞授賞式の場で、下記のように述べた。

ニューヨークにあるオフィス(国連本部)の引き出しで、ある報告書にカビが生えています。これは、コンゴ民主共和国で起きた戦争犯罪や人権侵害に関する専門調査の結果、まとめられたものです。

この調査では、犠牲者の名前や現場の住所、日付が明らかにされています。 しかし、実行犯の名前はありません。

国連人権高等弁務官事務所によるこの報告書には、617件以上の戦争犯罪や人道に対する罪、さらにはジェノサイドさえも含まれているようです。

この報告書を検討せずして、世界は何を待っているのでしょうか?

2018年ノーベル平和賞授賞式でのスピーチより)

デニ・ムクウェゲ医師が2018年ノーベル平和賞授賞式で行ったスピーチ

しかもムクウェゲ医師は演説中、報告書が黙殺されていることに2回も言及した。その上、報告書を受け止めて行動を起こさない国連を暗に批判した。

筆者にはムクウェゲ氏の怒りが理解できる。2016年に初来日した際、筆者は成田空港まで出迎えて都内までアテンドしたのだが、車が走り出した数分後には、自ら「国連人権高等弁務官にも直接面会したが、報告書に関して特に反応がなかった」と語ったのを間近で見たからだ。その表情は大変険しく、国連を含む国際社会と闘っている真剣さが伺えた。

ノーベル平和賞授賞式でのスピーチの後も、国連も大手メディアも「タブー視された」国連報告書のことを黙殺し続けた。ムクウェゲ医師が、粘り強く報告書で推奨された司法の正義の実現を求めたこともあって、欧州議会が2020年、報告書が提案した混成司法機関(コンゴ人と外国人両者の要員で構成)の設立に関する決議案を提出した。

続けて2023年3月、フランスの議会も同様な提案を提出した。 だがその後、特に進展はない。また報告書の公表から10年経った2020年10月、ラジオ・フランス・インターナショナルが報告書に関して医師に生中継でインタビューをしたが、 その他のメディアは取り上げていない。コロナ禍の影響もあるだろうが、徐々にコンゴへの注目度が減少した。だからこそ、ムクウェゲ医師は冒頭の「我々は皆から見捨てられている」という発言をしたのだろう。

戦争犯罪及び人道に反する罪に司法権を持つ司法機関の設立に関して、国連の反応の鈍さは異常としか言えない。

国際的な動きをみると、ユーゴスラビアとルワンダにおける武力紛争の犯罪を調査するため、1990年代に初めて国際刑事裁判所が設立されたことはよく知られている。その後、2002年に国連によるシエラレオネ特別法廷、2006年にカンボジア特別法法廷、2007年にレバノン特別法廷、2015年にはコソボ専門家会議所と専門検察庁が設立された。こうした前例があるにもかかわらず、600万人以上が死亡し、第2次世界大戦以降最大規模の紛争が起きたコンゴに関して、なぜ国際社会は同様の措置を取らないのだろうか。

偏った歴史と知識、コンゴの特異性

なぜ国際社会によるウクライナ侵攻とコンゴ侵攻の二重基準が起きるのだろうか。それについて深堀りする前に、まず一般的に、私たちが日常的に得るグローバルサウスの知識について考えてみたい。

社会科学における多くの研究は、社会の少数者や弱者といった「従属集団」に対して体系的に偏っているため、正確で公平ではない可能性がある。こうした問題が発生するのは、権力と密接に関連しているエリートや勝者、白人男性などの支配階級とグループが、彼ら自身の利益と価値観を反映して社会科学一般の歴史と知識を生み出し、支配してきたためだ。

その無視されてきた下層階級の歴史の多くは、グローバルサウスに集中してきた。

その理由は、グローバルノースの立案者、学者、ジャーナリスト、その他の人々がグローバルサウスをそのように描写してきた習慣があり、それを通して、私たちは世界とそこの住民を「知る」ようになったからだ。 さらに悪いことに、特定のイメージが広く受け入れられたり「固定」されたりしているのは、「固有の『真実』があるためではなく、特定の表現の強さによるものである」と研究者は指摘している。

日本に住む多くの人には、アフリカを含むグローバルサウス、イコール「発展途上国」や「後進国」というイメージが浸透しているが、これは私たちがグローバルノースの都合によって洗脳されてきたことを意味する。

歴史学者たちは、私たちの知識を体系的に拡大するには、過小評価されてきた「下層階級の歴史」の重要性を認識し、抑圧されたり不利な立場に置かれたりしてきた「敗者」の生活を記録することが必要だと指摘している。

そのグローバルサウスにおいて定着された「真実」と「知識」の中で、コンゴのそれを再考する必要性がある。

それは、他のアフリカ諸国と異なり、コンゴは「ヨーロッパの植民地大国、冷戦の超大国、地域軍の間の国際競争の場」を経験した特異な歴史を有し、かつ世界に影響を与える「資源大国」だからだ。その多様な資源には、広島に投下された原爆の製造に使ったウランも含まれる。 加えて、コンゴはアフリカでアルジェリアに次いで2番目に大きな面積を持つ国であり、フランスに次いで、世界で2番目にフランス語話者が多い国でもある。

ベルリン会議(1884~1885年)で西欧列強によるアフリカ分割が行われた際に、1885年から1908年にかけて、ベルギー国王のレオポルド2世がコンゴ自由国を私有地とした。個人による植民地の過去がある国は、世界でもコンゴだけだ。レオポルド2世と彼の植民地代理人は、アフリカ人を非人道的で、劣っていて、子供のようなものとして描写した。それにより、王などは経済的な搾取ができた。

同様の描写は現在のコンゴ紛争にもあてはまる。

「第1次アフリカ大戦」とも呼ばれたコンゴの紛争が1998年以降続いたものの、国際社会の協力により、和平合意が調印され、40年ぶりに大統領選挙が実施されて政府が樹立され、紛争は2003年に「終結」したとされる。にもかかわらず、コンゴで100以上の武装勢力が活動し、相変わらず地元の対立による「民族対立」や「内戦」が続いている と誤解され、誤報されている。

さらに、少数派ツチが主導するルワンダの現政府がアフリカの大湖地域(コンゴ、ルワンダ、ブルンジ、タンザニアとウガンダ)における紛争とジェノサイドに関する知識を支配してきた。「ツチはジェノサイドの犠牲者」「多数派フツ系ルワンダ人はジェノサイドの加害者」とラベリングされ、コンゴ人に関しては「紛争が続くのは汚職や規律の問題があるからで、自業自得」という誤ったイメージが拡散されている。

1994年に起きたルワンダのジェノサイドについては、一般的に認知度は高い。それに比べて1996年以降のルワンダによるコンゴ侵攻の現状は、ルワンダのジェノサイドと関連しているにもかかわらず、ほとんど知られていない。

先述のように、コンゴ東部の犠牲者数が推定600万人を超え、第2次世界大戦後の世界において一地域の犠牲者数としては最大の規模となっている。1998年にはアフリカ諸国8カ国がコンゴに参戦し、「アフリカ第1次大戦」と呼ばれたこともある。ルワンダの侵攻によって発生し続けている国内避難民と難民数は、世界最多レベルで、世界最大級のPKOがコンゴに派遣されている。さらに、コンゴ東部では紛争下の性暴力が蔓延し、「女性にとって世界最悪の国」「世界レイプの中心地」とも呼ばれている。それにもかかわらず、だ。

これら一つ一つの現実は、日本を含むグローバルノースの生活と密接につながっている。偏った知識を再検証しながら、コンゴ東部の実態について今後伝えていきたい。