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韓国人記者が見た元徴用工裁判

ソウル・クローゼット
10月30日の大法院判決後、涙を拭う元徴用工の李春植さん(右)ら=東亜日報提供
10月30日の大法院判決後、涙を拭う元徴用工の李春植さん(右)ら=東亜日報提供

たった一人になった原告

10月30日午後2時、徴用工損害賠償訴訟を巡る韓国大法院(最高裁)判決が下った。

判決に先立つ午後1時、傍聴券が配られた。180席余の大法廷はギッシリ満員。大法院は急きょ、小法廷も開放し、映像で生中継を行った。30席の臨時記者室も午前9時までには、日韓の記者たちで満席になった。ソウル支局に一報を流す役割だった私は、ノートブックパソコンが使える記者室で中継画面を見つめた。

午後2時、金命洙(キム・ミョンス)大法院長が判決理由の説明を始め、わずか10分余で「(新日鉄住金の)上告を全て棄却する」と宣告した。韓国で元徴用工らが提訴してから13年。初めて勝訴の判決が確定した瞬間だった。

宣告内容を伝えた後、ICレコーダーを持って大法廷へと走った。すでに大勢の記者が、法廷から出てくる原告団を待ち構えていた。元徴用工らは大部分が90代。声は弱々しく、レコーダーを口元に近づけなければ聞き取れない。

車椅子に乗った原告、、李春植(イ・チュンシク)さん(94)が現れ、おびただしいカメラのフラッシュがたかれた。瞬間、李さんのひざ元に近づき、耳をそばだてた。

「私は今日、1人だけ残ってしまった。涙があふれる。胸が痛い。一緒に来られたら、どれだけ良かったか」。原告団は元々4人だった。訴訟の途中で亡くなった3人に思いをはせた李さんの声は痛々しかった。

徴用工裁判リポート4
10月30日の大法院判決後、涙を拭う元徴用工の李春植さん=東亜日報提供

亡くなった3人のうちの1人、故金圭洙(キム・ギュス)さんの夫人は「感慨深いです。(夫が)亡くなる前にうれしいニュースを聞けたら良かったのに」と語り、ハンカチで涙を拭った。

丁寧に歴史を紐解いた判決文

徴用工裁判の核心は1965年の請求権協定だった。そこには「両国の全ての請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されたと確認する」と明記されている。なぜ、これほどの時間が経過した後で、徴用工たちは自らの悔しさを法廷にぶつけたのだろうか。むしろ、彼らの忍耐力が気になった。

今回の判決文を隅々まで読んでみた。そこには請求権協定締結後、韓国で起きた徴用工問題を巡る動きが詳しく書かれていた。

韓国政府は徴用工らへの補償のため、1974年に法律を制定し、77年6月まで8万4千人余に約92億ウォンを支払った。日本から請求権協定で得た無償資金の9・7%にあたる。更に、韓国政府は2007年に特別法を制定。総額6200億ウォンを支給するなどした。

この間、請求権協定の資金も投入した「漢江の奇跡」、独裁政権下での「民主化」などがあった。徴用工らの支援事業にあたった関係者は「徴用工たちは、賃金ももらえず、帰郷したことが罪なのかと訴えていた」と語る。

徴用工裁判リポート2
10月30日の大法院判決後、記者会見する元徴用工の李春植さんら=東亜日報提供。黄宣真記者は前列の垂れ幕の向こう側、李さんのひざ元で取材を続けた。

私の祖父の弟も九州の炭鉱で働いたそうだ。伝統楽器の演奏に秀でた人で、たまたまその才を惜しんだ監督官が故郷に帰してくれたので、災いを避けられたそうだ。

しかし、大多数の人々は劣悪な環境で監視のもと、辛酸をなめたはずだ。生きて帰っても、年額80万ウォンの医療費だけではあまりにも少ない。他国の土になって初めて補償を受けられるのでは、あまりにも切ない。

韓国市民のなかで、請求権協定で得た資金から、幾らくらい徴用工たちに支払われたのか、韓国政府がどんな措置を取ったのか、詳しく知る人も、関心を持つ人もほとんどいない。どの裁判でも、傍聴席に座っているのは被害者と遺族だ。

経緯を丁寧に示した判決文の「配慮」に、私はむしろ驚いた。1965年当時、20代だった私の父はどう思っているのだろうか。

父は「協定に反対する学生デモが激しかったのは覚えている。植民地支配で受けた苦痛を考えたら、金を受け取って日本と協定を結ぶのか、と。でも、徴用工が政府からどんな補償を受けたのかは知らない。当時は言論統制も厳しかったし、食べていくのに精いっぱいだからね」と話す。

徴用工裁判リポート3
10月30日の大法院判決後、喜びを表す元徴用工の李春植さん=東亜日報提供

判決は日本だけに向けられたものではない

今回の判決文のなかに、印象的な一文があった。

「原告は未払い賃金の支払いを求めているのではない。日本の違法な植民地支配、日本企業の反人道的不法行為を前提にした慰謝料を請求しているのだ」

原告らの精神的な苦痛を軽く見てはいけないというメッセージだろう。このような警告は、単に日本企業だけに向けられたものではないと感じた。

裁判直後、遺族が発した言葉も耳に残っている。「政府にもっと前から、悔しい思いを解決してほしかった」

条約は相手があって初めて成り立つ。一方の責任がある韓国政府はこの間、徴用工たちの苦痛をどれだけ受け止めてきたのかを、振り返る必要がありはしないか。

韓国政府が認めた徴用工関係者は22万6千人。市民団体が主張する関係者は100万人に上る。原告4人の訴訟は決着したが、果たしてこの問題は終わりを告げるのだろうか。

日本から資金を受け取った国は数多いだろう。しかし、この資金を元手に輝かしい経済発展を遂げた国は韓国しかない。資金の一部で創設された浦項製鉄の創業理念は「製鉄報国」だ。良い鉄を作って、国に報いようという意味だ。必ず成功して、国に恩返しをしようという思い詰めた気持ちを感じる。その思いは90歳を超えた徴用工たちも同じだろう。

今や、誰かが徴用工たちに答えを出さなければならない。その最初の声が司法の判決だったという現実はほろ苦いものがある。