フランス南部の都市マルセイユ。6月下旬、フランスの高速鉄道TGVをマルセイユ・サンシャルル駅で降りると、観光客らで賑(にぎ)わう港から少し離れた広場へと向かった。1本脇に入った坂道の途中に、目指すそのレストランはあった。
店の名は「BŪBO(ブーボ)」。南仏プロバンスで使われるプロバンス語の古語で「思い出す」「記憶する」といった意味だという。
ここまで来たのは、この店で「Bento」を出していると聞いたからだ。
フランスの代表的な辞書に、新しい単語として「bento」が登場したのは今から約10年前のこと。そこには「日本では食べ物を入れる仕切られた小さな箱のことを言う。または小さな箱に入った食事のこと」とある。まさに日本の弁当は、ごはんやおかずを外に持ち出すことを目的に、小さな箱に詰めた形で発展してきた。そんな弁当が、フランスでどんなBentoに姿を変えたのだろうか。
ブーボの店内に入ると、真っ白い壁に掛けられたモノクロの線画が際立ち、しゃれた雰囲気だ。
その日のメニューは、Bentoが2種類。持ち帰りではなく、この店で食べるものだ。「Bentoサンプル」は前菜とメイン、デザートで26ユーロ(約4000円)。それにチーズを付けると「Bentoフロマージュ」で32ユーロ(約5000円)だ。前菜、メイン、デザート、チーズがそれぞれ2種類あり、客は好きなものを選べる。円安の日本の感覚では高めだが、インフレのフランスではこのくらいの価格設定は珍しくない。
さっそく「Bentoフロマージュ」を注文してみた。
想像する弁当とは違ったBento
目の前に運ばれてきたのは、白くて丸い陶器が積み重ねられ、一番上にふたがのったものだった。
「これが弁当?」
ちょっと面食らった。日本でもレストランや和食の店で「弁当」という名のついたメニューはあるが、一つの入れ物に、さまざまなおかずが詰められたものを想像しそうだ。
だがここでは、前菜、メインなどが一皿ずつに入って一度に出てくる。給仕がお重のように重ねた皿をテーブルの上に手早く広げた。メインの皿には冷めないようにふたがのせられている。
経営者のグレゴリー・グトゥリさん(38)にとって日本の弁当とは、「トレーにのったバランスの取れた食事が一度に提供され、時間の節約になるもの」というイメージだという。
Bentoを実際にいただく。前菜のキュウリの冷製スープは、キュウリの青臭さがほとんどなく、ミントも利いてすっきりした味わい。メインは香りのよいバスマティライスに、南仏でよく食べるトマトの詰め物をのせたもの。デザートは、モロッコのクレープをフレンチトースト風にしてキャラメルがかけてあり、ほどよい甘さだった。30分ほどで食べてしまった。
この短い食事時間こそが、グトゥリさんが注目した点だ。
「前菜、メイン、デザートを3回に分けて食べるのが面倒になった現代では、Bentoは理想的な解決策と言える。一度にすべてが運ばれるので、お客様は自分で食べるタイミングを決められ、昼食の時間を自分で管理できる。私たちは途中でお客様の邪魔をすることなく、空いた皿を片付けるだけ」
フランスでは家庭でも前菜、メインが順番にテーブルに出されることが多い。レストランでは一つの料理を食べ終えた後も、客は次の料理が出てくるまで待たなければならず、料理と料理の間も長い。昼食に2時間近くかかることもざらにあったが、時間に追われる現代の生活ではそんなわけにもいかなくなった。
そこで、グトゥリさんと前のシェフが「一品料理やサンドイッチを手早く食べることに慣れているビジネス客」を想定して考えたのがBentoだった。実際、「15分で食べたい」という客が、15分で食べて帰っていったこともあったという。
「タイパ」求めても美食にはこだわる
ホームページでは「時間と(美食への)欲望を管理するにはBentoは理想的だ」とうたう。
そして、もう一つが、食事の時間を短縮しても質を落とさない「美食」へのこだわりだ。現代的なフランス料理をベースに、オリーブオイルや海の幸をふんだんに使うプロバンスならではの味も提供している。現在のシェフは仏北西部のブルターニュ地方出身で魚料理も多いという。季節の食材を積極的に採り入れている。
調理方法や盛りつけにも工夫がある。「小さめの器を使い、Bentoのふたを開けたとき、視覚的に美しく洗練されたものが目に入るようにしている。こういうところは日本料理と同じ」とグトゥリさんは話す。ブーボのBentoとは、タイムパフォーマンス(タイパ)が良く、視覚的にも楽しく、おいしい物が食べられることの象徴なのだ。
Bentoはブーボの昼の「顔」となってビジネス客がつくようになった。さらに、Bentoを目当てに定期的に食べにくる客も出てきた。
シンガポールに12年間暮らした経験があり、毎週木曜の昼に来るというティエリー・ブレスさん。ネットを使って時差のある国々との仕事をしている。「ここでの食事は45分。忙しいので早く食べないと。でも、フランス人の昼食時間が短くなっても、ガストロノミー(美食術)の文化は変わらない。それは日本も同じでしょう」
日本の小説や漫画に詳しいフローランス・カッセンさんは、偶然、店を見つけて興味本位で食べてみたという。「プレゼンテーションの仕方も、料理の見た目も、味も素晴らしい」。いまや週に何度かBentoを食べに来る常連客だ。
ブレスさんは言う。「すしが(世界で)成功したようにBentoも成功している。日本的なBentoのコンセプトを、文化の異なる他の国のレストランが再利用し、修正し、適応させているのは面白いよね」