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川口で共に育つ外国ルーツの子どもたち 仮放免の身分が進学や夢を阻む要因に 

World Now 更新日: 公開日:
シシルくん(中央)と今井遙斗くん(右から2人目)ら北町少年ソフトボールクラブの仲間たち
シシルくん(中央)と今井遙斗くん(右から2人目)ら北町少年ソフトボールクラブの仲間たち=2023年4月、埼玉県川口市

「一緒にやらない?」3割が国外ルーツの子どもたち

転がったボールを、小学6年生のバンダリ・シシルくん(11)が素早く二塁に投げると、「いいね!」とコーチのほめ言葉がとんだ。ネパール出身のシシルくんが、川口市立仲町小学校の児童ら17人が参加する「北町少年ソフトボールクラブ」に入って2年近く。メンバーからはシシーの愛称で呼ばれている。

父親が東京都内の料理店で働くシシルくんが家族4人と川口に来たのは4年生の時。最初に彼に目をとめたのは監督の今井俊博さん(40)だった。

「キックボードに乗り、近所を一人で走り回っていた。とても足が速く、ソフトボールをやったらいいのにと思った」

偶然にも仲町小で同じクラスになったのが、キャプテンで今井の次男遥斗くん(11)。同級生には中国やバングラデシュ出身の子もいて、シシルくんのように日本語があまりできない子が身近にいるのはごく普通のことだ。

「シシル、ソフト一緒にやらない?」。声をかけると、とんとん拍子に入部が決まった。シシルくんは今では、日本語で基本的な会話はできる。「おれ、学校の日本語教室でいっぱい勉強した。守備もホームランを打つのも楽しい。中学では野球をやりたい」

仲町小はJR西川口駅にほど近い。日本風にアレンジしていない「ガチ中華」の店も多い地域で、中国籍の住人が増えている。2022年度は約500人の全校児童のうち約3割が国外にルーツをもち、その多くが中国籍の子どもだった。今後も増えることが予想される。

子どもたちはたくましい。言葉が通じなければ、「はい通訳!」と外国語がわかる子どもを自ら呼んできて解決しようとする。中国籍の子と親友になり、中国語をマスターした子もいた。

校長の佐藤朋子さんは「共生社会の経験を日常の中で積んでいる。将来、外国籍の人と働いたり外国に行ったりすることもあるはず。いろんな人がいることを小さい頃から自然に学べる恵まれた環境にある」と話す。

とはいえ課題も多い。埼玉県では日本語指導が必要な児童18人あたり1人の日本語指導教員をつけることにしているが、どこも教員不足だ。

仲町小ではおよそ90人の児童に日本語指導をしている。教員は専門の資格を持っているわけではないが、市の研修などで学び、日々の指導につなげている。

日本語が理解できた途端に学力が伸びる子もいる。佐藤さんは、「中学生になると進路の選択で気持ちに焦りがみられる生徒や保護者もいる。小学校のうちに日本語指導を重ね、中学校につなぐことが重要だ」という。

大学に進学するクルドの子どもたち、在留の道ひらく

クルドの祭りネウロズにやってきた、左から大学生のジアンさん(19)、高校生のロナヒさん(18)、短大生のロジンさん(19)=2023年3月、さいたま市の秋ケ瀬公園

3月21日、さいたま市の秋ケ瀬公園に川口など国内に暮らすクルドの人たちが集まった。春分の日は民族衣装を着て輪になって踊り、春の訪れを祝う「ネウロズ」という祭りの日だ。

3人の若い女性に声をかけた。ジアンさん(19)は国際関係を学ぶ大学生。

「まだ将来何をするか決めてない。私たちの世代は年金もほぼもらえないし、企業に勤めて社畜になるのも嫌だし。留学して世界を回ってみたい」。話す内容も日本の10代という感じ。家ではトルコ語、クルド語、日本語を使う。ロジンさん(19)はこの春短大に進み「保育士を目指している」という。

定時制高校に通うロナヒさん(18)は、「モデルをやりたいけど、どうしたらできるのかな」と口ごもった。

2年前、家族とともに在留資格を得られない「仮放免」になった。一時的に入管施設での収容を解かれた状態で、許可がなければ埼玉県内から出ることさえできない。来春高校を卒業する見込みだが、その先を描けずにいる。

「日本にもう17年住んで、心は日本人だと思ってる。外国人扱いされて、いきなり『帰れ』って言われても……。私の国はここ!」と、地面を指さした。

川口で暮らすクルドの子どものうち、日本の大学に進学する子がこれまで10人ほど出てきた。

在留資格があって勉強をがんばれば道は開ける。だが大学側が住民票の提出を求めるケースも多く、仮放免の子どもが進学できた大学はまだ少ない。

これまで5人ほどの仮放免の子どもを支援してきた松澤秀延さん(75)は、大学などを訪問しては、学費の支払いを保証し、受け入れを説得してきた。大学進学を果たした人の中には、裁判で、日本に貢献しうる自らの状況を説明し、在留資格を認められた人もいる。

いつ送還されるかわからない仮放免という不安定な立場から抜け出す先例がわずかながら出てきた。

日本語教師の小室敬子さん(63)は、2016年から、クルド人家庭の日本語学習や宿題などの支援をしてきた。クルドの子どもは中学を中退する子や、高校に進学しない子が全体の半数ほどいるとみられている。

「男の子は知人が経営する解体業の仕事で日銭を稼げることが、逃げ道になってしまう面もある。選択肢のない女の子の中に、中学生ごろから勉強をがんばる子がいる」という。

ただ、日本と違う文化・習慣が身についたクルドの親の意識を変えるのは難しい。

塾に行く子も多い日本の教育事情がわからない人もいる。小室さんが勉強を教えている最中に「パンを作るから手伝って」と子どもに電話が入り、家に呼び戻されたこともあった。

「子どもたちを不安定な立場から引っ張り上げたい」。料理教室や手芸教室で、クルド人と日本人の交流の場をつくってきた中島直美さん(65)は3月、小室さんや、蕨駅近くのブックカフェ「ココシバ」の小倉美保さん、行政書士の大塚香織さんとともに、外国籍の子どもたちが進路や就職について考える催しを開いた。

「高校生になったらコンビニでバイトする」「大学に行く」と素朴に考えているクルドの子も多い。在留資格がないままでは働けない、進学も狭き門だという厳しい現実を伝え、ともに道を探すのがねらいだ。

さまざまな国、それぞれの夢 夜間学校に集う

説明会で担当者に相談する、(右から)ハイディさん(19)、カシムさん(17)、ジャステインさん(17)
説明会で担当者に相談する、(右から)ハイディさん(19)、カシムさん(17)、ジャステインさん(17)=2023年4月、埼玉県川口市

催しはクルドの子どものためだけに開かれたわけではない。

参加者の中には、フィリピンとパキスタン出身で、数十年前から日本で働く親を頼ってやってきた10代後半の3人の姿もあった。3人とも埼玉県初の夜間学校として2019年に川口市にできた「市立芝西中学校陽春分校」で勉強している。

ハイディ・リセル・シソンさん(19)は、兄と妹とともに2021年5月にフィリピンを離れ、両親が暮らす川口に来た。パソコンの組み立てなど機械系の仕事に就きたいが、「フィリピンでは給料が低い」ことが、親の背中を追って来た理由の一つだ。

川口の中学を卒業し、いまは弁当工場でアルバイトをしながら、市内の定時制高校に進学を目指している。

同じくフィリピン出身のマコロール・ジャスティン・デールさん(17)にとっては、コロナ禍の母国での窮屈な暮らしが、日本に来るきっかけになった。

フィリピンではコロナ禍のロックダウンで、厳しい活動制限がしかれ、小学校から大学まで長期のオンライン授業が続いた。中学3年生だったジャスティンは「授業についていけず、勉強が嫌になってしまった」。2022年10月に来日し、日本にいた父や祖母、きょうだいやいとこなど10人家族で蕨市内に暮らしている。

カシム・イシュファクさん(17)はパキスタンのラホールから1年半前に来た。父親は中古車輸出入の会社を立ち上げ、30年来、日本でビジネスをしてきた。

「僕もドバイなど世界を拠点に車の輸出入の仕事がしたい」と夢を語る。

川口市教育局(当時)の大野健一は進学相談のブースで参加者と対面した。「将来は先生もいいかな」などと話すジャスティンらに、「いいね教員不足だし、英語の教員なんてどうだろう」「機械系なら川口には工業高校もあるよ」と説明した。

3人が通う夜間学校は、もともと戦後混乱期に教育機会を得られなかった日本人の学び場として想定されたものの、いまは日本語を学ぼうとする外国人にも門戸を開く。だが日本語教育は1年で終わってしまい、「ニーズと供給が合っていない面もあり、今後の課題だ」と話す。

今回の催しには県内にキャンパスのある大学や専門学校などもブースを設けた。

「在留資格のない子がいるんだ」と、学校側に気づいてもらえたことも大きな収穫だった。中島さんは「同じ街のご近所さんだから困っていたら助け合いたい」と話す。