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目から入る情報がすべてじゃない。ハーフの生きづらさ綴るサンドラさんが伝えたいこと

People 更新日: 公開日:
サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影
サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影

サンドラ・ヘフェリンさんが感じる「ハーフ」の生きづらさ 日本とドイツのマルチルーツ視点から

――サンドラさんの自己紹介をお願いします。

私についてお話しすると、父がドイツ人、母が日本人です。

今、40代なんですが、人生の半分をドイツで過ごし、その半分を日本で過ごしています。今、日本で過ごした期間の方がちょっと長くなりましたね。子供の時からドイツ語と日本語の両方を習ってきて、両方の文化に触れてきたので、「日本とドイツの文化を観察しながら好き勝手にあれこれ言う」というのをライフワークとしています。

――GLOBE+では「ニッポンあれやこれや ~日独ハーフサンドラの視点~」というコラムを2018 年から書いていただいています。どんなテーマを取り上げていますか。

やはり、文化の違いですね。

日本と外国の文化を観察して記事にしているんですが、私自身、あとは反響の大きさですごく印象に残ってるのが、アメリカの歌手アリアナ・グランデさんのタトゥーの話です。

復習すると、アリアナ・グランデさんが当時”7 rings”というタイトルの新曲を出して、それを彼女はタトゥーにしたくて、体に「七輪」と彫ったんですね。漢数字の「七」に「輪」。彼女はそういうつもりでタトゥーを入れたと思うんですけど、日本のファンの間では、「七輪は焼き肉とかバーベキューとかで使うものだから、訳が間違っているんじゃないの?」みたいな話になりました。

そういう騒動があって、彼女は「七輪」の下に「指」と追加でタトゥーを入れたんですが、それでも「とんちんかんだよね」と。それを聞いて私は欧米文化圏の人と日本人との間にある典型的な誤解というか、話のかみ合わなさをすごく感じて、そのテーマについて書きました。 

サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影
サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影

原体験は、子どもの頃にあった「お団子ヘアに箸」事件

私はドイツで育っているので、似たような経験が結構あるんですよね。

具体的に言うと、私が子供の頃によくドイツの雑誌で、アジア的なヘアスタイルとして、髪を丸めたお団子に、かんざしではなく食事用のお箸を刺す、というスタイルが紹介されていて、私は「これは違うでしょ?」と思ったんですけど、学校のドイツ人のお友達とかは「お箸を入れたらかわいいんじゃない?」 みたいなことを言われたりして、子供ながらにくやしかったんですよ。

だから欧米文化圏の人が、よかれと思って日本語のタトゥーを入れているのを見ると、一言言いたくなるんです。おせっかいとかじゃなくて、やっぱりおかしいから。文化の誤解というか、そういう話は私、飛びつきがちです。自分の経験をすぐに語りたくなりますね。 

――このコラムに読者からはどんな風な反応がありましたか?

日本の文化が海外で誤解されるのは悔しいですよね、という意見も多かったです。一方で、別に違法じゃないんだから、タトゥーを入れたい人は入れたらいいんじゃないか、とか、日本語を勉強していたアリアナさんがかわいそうといったものもありました。

両方の意見を聞いて、そうだよなって思うんですが、どちらの文化も知っているからこそ、どちらかが誤解されているというのが自分としては放っておけないですね。

サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影
サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影

私は日本とドイツ両方にルーツがありますが、文化的に完全な日本人かと聞かれると、決してそうではないっていう自覚はあるんです。ただ、日本人としての気持ちも結構強い部分もあるんですよ。

例えば、以前にミスコンでありましたよね。 とんちんかんな民族衣装で日本人の女性が登場させられて、両手に招き猫を持って、デコルテに「日本」って書かれていて、着物風の衣装が左前だったりして。「これは絶対に欧米文化圏のデザイナーのアイデアだな、着せられている人が気の毒だな」と思ったりしました。そういうところはやっぱり日本人として、「日本文化を正しく広めてほしい」って気持ちはすごくあるんです。 

日本人として生きていくつもりだったのに…日本で直面した壁

――サンドラさんご自身が二つのルーツを持つ「ハーフ」であることも、よく執筆テーマにしていますね。

 発端はこうです。ミュンヘンで小学校や中学校の頃、平日はドイツの学校に通って、土曜日は日本人学校に通っていたんですね。同級生で「ハーフ」は私一人でした。日本語の読み書きはほとんどこの日本人学校と日本式の学習塾で覚えたんです。

私は結婚前の戸籍通りの名前が「渡部(わたなべ)里美」というんですが、日本人学校や塾では日本名で通っていて、みんな「里美ちゃん」と呼んでくれて、すごく居心地がよかったんです。ハーフだからっていじめられた記憶もありません。

日本名もあるし、日本語もできるし、みんなが日本人として扱ってくれて、居心地が良かったから、子どもの頃は自分がもし将来日本に行っても通用するんだって思ってたんです。

20代で日本に来た時、「せっかく日本に来たから、日本人として生きていこう」って意気込みでいて、初対面の人に「渡部里美です」と自己紹介したら、大体相手は「ああ、ご主人が日本の方ですか」「日本に帰化された方ですか?」といったリアクションが多くて、「渡部です」と言っても、すんなり納得してくれる人はほぼいませんでした。 

そういう時期が1年ぐらい続いて、ようやく「ああ、私って実は日本では日本人として通用しないんだ」って分かって、そこからハーフという立場、存在について興味を持つようになりました。

飲み会などで出会ったいろんなハーフの人と話をしたら、多かれ少なかれ、みんな私と似たような経験をしていたので、これって私だけの問題ではなくて、ハーフの人全員がアイデンティティーや、見た目のせいで自分が思ったように扱われないといった問題を抱えてるんだと分かりました。そこから「ハーフ」について発信したくなって「ハーフを考えよう」というウェブサイトを立ち上げたりする活動につながっています。

サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影
サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影

――日本人に見られない生きづらさみたいなものがあるわけですね。

そうですね。私自分は常識的な日本人だと思っていても、決してそうは見られないというのがあります。日本人っぽくない見た目で日本で生活していると、たまに変なこともあるんですよね。例えば、お店で日本語で話しかけているのに英語で返されたり。

見た目がすべてじゃない、想像力を働かせよう

――サンドラさんのコラムを読むと、自分の偏見に気づかされたり、自分が意図していないところで誰か人を傷つけたかもしれないと、はっとさせられたりします。

自分自身にもすごく言い聞かせていることですが、目から入ってきた情報が全てじゃないんだよということは、私はいつも思ってます。

例えば、外国人ふうの見た目の人がいたら、その人は本当に外国籍の外国人かもしれないし、日本語ができない人かもしれないんだけれども、一方で、そうじゃない可能性もあって、見た目は外国人だけど、もしかしたら帰化していて日本国籍かもしれないし、デーブ・スペクターさんみたいに日本語ぺらぺらかもしれないし、もうまちまちだから、目から入ってくる情報はあくまでも一部なんだ、っていうのをなるべく意識するようにはしてますね。 

――それは見た目の「ハーフ」の人の話にも当てはまるし、内部的に不自由を抱えている人に対しても当てはまりますね。

そうですね。障害や持病があっても見ただけでは分からないことも多いし、いろいろな人がいるので分かんないですよね。(公共交通機関の)優先席の話もよくTwitterで上がっていますけど、必ずしも若い人が元気だとは限らない。こういうことを言うと「へりくつだ」と言われるんですけど、正直にそう思ってますよね。

――サンドラさんのコラムを読んでいると、他人のそうした想像力を働かせることの大事さに気づかされます。

見た目がすべてじゃないんだということと、あとは立場の違いですかね。私はたまたまハーフとして、日本にもドイツにもルーツがある立場として、女性として、日本に住んでいるけれども違う立場の人はいっぱいいるんですよね。立場に、どこまで感情移入できるかと聞かれると、結構できないことも多いと思うので、そこになるべく想像を巡らせるようにしてます。

――ご本もたくさん書かれているということで、一部をご紹介いただけますか。

まず私の自慢の本、『体育会系 日本を蝕(むしば)む病』(光文社新書、2020)です。

サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影
サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影

これはタイトルと違ってスポーツの本ではありません。どちらかというと「考え方」のお話です。

例えばコロナ禍になる前、日本では風邪を引いて体調が悪くても会社に行くことが常識だったじゃないですか。熱が出たぐらいで休むな、みたいな会社もいっぱいあったと思うし、そういう現象を私は「体育会系」と名付けています。どんなに具合が悪くてもそんなの気力ひとつで何とでもなるんだ、会社や上司が命じてくるいろんな「お気の毒」なケースをまとめた本なんです。「体育会系」をやめるとみんなハッピーになりますよ、という本なんです。 

次は、ちょっとふざけたタイトルなんですが、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社、2021年)です。

サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影
サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影

結構、分厚い本で、女性の視点から見た、日本と外国の文化の違いを取り上げています。

なぜ欧米の女性があまり前髪を作らないのかって、いろんな理由があるんですけど、一つは美的感覚の違いです。ヨーロッパの女性ってどの年代の人も大人っぽく見られたいと考えています。前髪を作ると顔が幼く見えるので、若く、幼く、可愛く見えた方がいいっていう文化圏である日本は前髪ある人が増えるし、そうじゃない場合は前髪のない人が増えます。他にも理由があるんですけど、ぜひ、お読みいただければと思います。 

最後が、私の一番最近の出した本なんですが、『ほんとうの多様性についての話をしよう』(旬報社、2022年)です。表紙の真ん中の女性が私です。結構かわいく描いていただいて気に入ってます(笑)。

サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影
サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影

実はこの本は、中学生と高校生向けの本なんです。教科書ではないんですけども、授業の補助として使っていただくような本で、もちろん大人の方に読んでいただくのも大歓迎です。先ほどお話ししたような、本当の多様性って何なの?って話になったときに、やはり目から入った情報だけではなくて、人にはいろんな事情があるので、そのあたりを考えたり、会話をしたりすれば、みんなハッピーなんじゃないかと、そういう本です。

今のままでは日本はグローバル化できない

――「ハーフを考えよう!」というウェブサイトも立ち上げておられます。

タイトル通りハーフについて考えることをテーマにしているウェブサイトで、2011年からやっています。自由にコメントも書けます。

ハーフっていろんな悩みがあるんですよね。一つは、例えばアイデンティティーの話。私の場合だと、自分はドイツ人なのか日本人なのか、両方なのか、それともどっちでもないのか、そういうアイデンティティーの悩み。

あとはいじめの話です。ひどいいじめを体験したハーフも多いので、そういう情報交換をしています。

あとはバイリンガル教育ですね。ハーフだからといってバイリンガルであるべきなのか、そうでないのか、延々と議論しても答えが出ないテーマなんですね。ちなみに私はハーフだからといってバイリンガルである必要はないと思ってますし、それを期待するのもどうなのかなっていうふうに思ってるんですね。 

それから国籍の話です。ハーフっていうと、「どっちの国籍なの」とか「どっちを選んだの」とか、そういう話になりがちなんですが、端的に言うと、私はハーフに対して「二重国籍は許せない」といった意見があるうちは、日本は残念ですが、グローバル化しないんじゃないかなと思っています。

その人の立場に立つと、いろんなことが見えてきます。

例えば、国際結婚家庭って、夫婦が元気で若くて子供たちも幼いままではなくて、みんなそのうち年をとっていくわけですよね。

ある例では、日本人のお母さんもフランス人のお父さんも80代でフランスにいます。で、子供たちはみんな40代で日本にいます。それで親がフランスで倒れました。そんなときに日本に住んでいるフランスと日本のハーフの人にフランス国籍がなかったら、親の介護がしたくても簡単にフランスには帰れないわけです。まあ帰れますけど、(ビザがない場合)3カ月しか滞在できない。

そういうことまで考えてくれている一般の日本人ってなかなかいなくて、もうとにかく二重国籍はずるいんだっていうのをよく聞くんですけど、親の介護の例などいろんなことを考えると、そんな簡単にずるいとは言えない状況があります。そこは「上から目線」に聞こえるかもしれないんですが、「勉強していただきたいな」と思いますね。 

サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影
サンドラ・ヘフェリンさん=2023年1月10日、東京都中央区、関根和弘撮影

日本礼賛でも外国礼賛でもなく、「ほどほど」がいい

――コラムを書く際、テーマはどうやって見つけていますか?

日常生活でアンテナを張ってると言うと言い過ぎですけど、書きたい、自分に刺さるテーマがあるとメモをして、そこから本を読んだり外国の記事を読んだりして結論として自分の気持ちを書くというやり方です。

私は外国と関わるときは「ほどほど」がいいんじゃないかと思っています。「ほどほど」とはどういう意味かというと、例えば子育てとか男女平等とか、すべてにおいて外国の方が素晴らしいんだというのは違うと思うんですね。かといって、「外国なんて行ってもしょうがない」「日本が一番」「外国が外国がと言うのはうざい」とかね、それもまた極端です。

私はその両極端があんまり好きではなくて、それが私の言う「ほどほど」です。

どこの国でも日本でも外国でも、多かれ少なかれ少なかれ、良い部分と悪い部分があるので、悪い部分も良い部分も同じぐらいスポットを当てるのがいいし、外国の方が全て素晴らしいでもないし、日本の方が全部素晴らしいじゃなくてその真ん中あたりに答えがあるんじゃないかなと思っています。

――「私はこう思う」ときっぱり書けることが、サンドラさんのコラムが人気の理由の一つだと思いますが、自分の考えをきっぱり言うには、どんな心がけがいるでしょうか。

私、日常生活ではそんなにはっきり言ってないですよ(笑)。

友達との話で社会ネタもあんまり話さないです。はっきりと書くのは記事だけですね。そうしないと何が言いたいのか分からなくなるし、私自身、書いていてモヤモヤするのもあって、なるべくはっきり書くようにはしてるんですが。もう少し濁した方がいいのかなあと、あとになって思うことはありますね。

――サンドラさんは、多様性のある社会にするにはどうしたらいいと思いますか。

やはり、ぱっと見て、目から入った情報をすべてだと思わないこと。「こうかもしれないけど違うかもしれない」――。そういう考えを自分の中で残しておくことが、多様性につながるんじゃないかなと思います。

想像力は大切だと思います。相手の立場に、たとえ立てなくても、立とうとすることは大事です。立場が違うと、主張することも、思っていることも、感じることも違うんだということを前提として思っておくといいなと思います。

結局スタート時点で「みんな同じことを思っているはず」だという思い込みがあるから、思い込みと違うともめるわけですよね。そこをどう歩み寄っていくかっていうところですよね。

――今年はどんなことをコラムに書いていきたいですか。

日本と外国とを比べた文化の違いについて、引き続き発信していきたいと思ってますし、日本は毎年、男女平等指数がとても低いので、そうしたジェンダー平等も書いていきたいテーマです。