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地方に多様性豊かな公立校を バカロレア日本大使・坪谷ニュウエル郁子氏が目指すもの

グローバル教育考 更新日: 公開日:

世界の大学に進む道を開く「国際バカロレア(IB)」。旗振り役を務めてきたバカロレア日本大使の坪谷ニュウエル郁子さんには、「経済、地域格差を教育格差にしない」という哲学がある。格差を埋めるためのバカロレアをどう広めていくか。インタビューの後編で、課題を聞いた。(朝日新聞編集委員・山脇岳志)

単位の扱い、文科省と交渉

――バカロレア教育の良さについては教育関係者に幅広い合意があると思いますが、日本の教育現場に浸透しにくい課題があります。難しいのは、日本の学習指導要領との両立です。日本の高校で、バカロレアのDPコースに進んでも、日本の学習指導要領で定められた科目もとらなければならず、両立はかなり大変だと聞きました。

私は、2012年にバカロレア機構のアジア太平洋地区の委員になり、現在はバカロレア日本大使を務めています。機構と日本政府の間に入って、この67年間、いろいろ調整や交渉をしてきていますが、即座に解決しないといけなかった問題の一つが、バカロレアの単位を日本の学習指導要領の単位と読み替えてもらうことでした。

DPは、すごく勉強量が多いです。教科書がない代わりに、授業前に読み込まなければいけない文献が多く、授業はプレゼンテーションやディスッションが中心です。家庭で膨大な下調べが必要なのです。日本は通常、理系と文系に分かれますが、バカロレアはリベラルアーツのような位置づけなので、文系も理系も、両方やらなくてはいけない。理系の子でも文系の知識がまったくない状態では、社会に出たときに最大限の力は発揮できないというのがバカロレアの考え方です。

坪谷さんが理事長を務める東京インターナショナルスクールの授業の様子(同校提供)

DPと日本の学習指導要領と両方ともすべて勉強するのは不可能です。でも、バカロレアだけで日本の学習指導要領を終えたことにするのも問題がある。例えば、DPは古文や漢文、日本の地理や家庭科がありません。DPでは世界の近代史は学ぶけれど、日本の地理は勉強しない。日本人として生まれ、これからも日本で生活するためには、日本人としての常識のために残さなければいけない科目もあります。

文部科学省と交渉して、高校卒業に必要な74単位のうち36単位を、DPの科目で読み替えできるようになりました。日本の高校の中には2年生からDPをスタートしているところもあります。ただ、DPは、本来2年間のプログラムです。3年生の11月に試験があるので、1年半で終えなければなりません。生徒にとっては相当な負担になるので、1年生の3学期から始めるほうが望ましいと思います。

 ――読み替える単位をさらに多くしてほしいという要望もあるようです。

私もそう思います。でも、文科省に、36単位の読み替えを認めてもらうだけでも2年かかりましたから。次の新しい学習指導要領が実施される2022年が勝負で、もう少し読み替えを多くするよう頼んでいます。

 ――日本でバカロレアを推進するうえで、ほかにどのような課題がありましたか。

教員をどう養成するかですね。バカロレアは、日本の教師免許のように教える免許があるわけではありません。基本的には、その学校の主任の先生がバカロレアのワークショップを受けて、それをほかの先生方に指導する、ということで構わないのです。私は、これ以外にも、バカロレアの指導方法は教師にとって学ぶことが多いから、大学や大学院でバカロレアの受講コースができるといいな、と思いました。今、4つの大学や大学院でコースを開催しているので、そういうところで学ぶ方法もあります。

――日本の高校でDP資格をとっても、海外の大学に進学する学生はごく少数と聞きました。

アメリカの大学の学費は、年間400万円以上かかるケースが多いです。海外の大学に行きたくても、日本の学生は経済的な理由で、行くことができないケースが多いのです。DPのスコアで、日本の大学に入れるようにすることも大きな課題でした。

英語ができればグローバル人材、ではない

――そのために、6科目のうち4科目で、日本語で履修できる「日本語DP」の導入を働きかけたのですか。

もともとバカロレアの小学校、中学校のプログラムには教科のひとつとして、外国語がありますが、何語でも学んでもいいのです。最後のDPの試験だけが英語とスペイン語とフランス語しかありませんでした。

私はふたつの理由で日本語の導入を考えました。まず、日本語は世界の言語の中でも、最も難しい言語の一つと言われています。アメリカの国務省が、研修生を対象に調べたところ、日本語は最も習得に時間がかかる言語の一つで、十分話せるレベルになるまで2400 2760時間かかったというデータがあります。さらにすべての学科で、英語で不自由なく学べるようになるには、5000時間以上かかるとも言われていますが、日本人が高校卒業までに英語を学ぶ時間は800時間から1000時間ぐらいです。英語のみのバカロレアだと、帰国子女とか国際結婚の家庭の子とか、お金持ちの子とか特定の子どもだけが対象になってしまいます。

二つ目は、言語は奥が深いということです。言葉の背景には文化があり、文化を理解しないと母国語のようにはしゃべれない。きわめて外国語が堪能な人はいるけど、やはり考えるレベルになると母国語のレベルで考えるのが当たり前で、日本人はやはり日本語でないと、深く考えられないと思うのです。

東京でオリンピック開催が決まった後、大きなプレゼンがあるというので連れられていったら、耳の中に入れているスピーカーがボタンひとつで19カ国語に瞬時に翻訳される機械のデモストレーションでした。10年。15年後、携帯のアプリや専用機器で自動翻訳が十分にできるようになるのなら、言語の壁はかなり低くなると感じました。いまだにバカロレアというと、「英語ペラペラですごい」となり、英語さえできればグローバル人材と言われる。しかし、バカロレアの素晴らしさはそこではない。だから英語に何千時間も使う必要はないと思ったのです。

――「日本語DP」などの環境は整っても、肝心の日本の大学がバカロレアを評価できていない、との声も聞きます。DPの修了資格と書類選考だけで学生を受け入れているのは、岡山大学など限られた大学だけです。

日本でもバカロレア入試を実施する大学は増えていますが、高校で、日本語DPをとった卒業生がまだ非常に少ないのが現状です。DPはバカロレア機構の認定を受けて初めて、生徒の入学が許可されますが、申請してから認定されるまで2年もかかります。これから日本語DPの卒業生が増えていけば、大学も変わっていくと思います。

 ――「日本語DP」で資格をとった場合、海外の大学には進めるのでしょうか。

バカロレアは何語で試験を受けたかは関係ありませんので、日本語DPでも海外の大学に進めます。ただし語学力については、例えばアメリカの場合はTOEFL、イギリスだったらIELTSを受ける必要があるなど、各国の大学によって、条件は変わってきます。

 ――日本政府は2018年までにバカロレアのDP認定校を200校に増やす目標を掲げましたが、この達成は難しそうですね。

私自身のライフワークのひとつは、経済格差や地域格差を、教育格差にしないことです。地方では中学受験する子は少なく、東京の大学に行くのも一部の子だけです。だから地方の公立校に多様性のある学校を作っていきたい。各都道府県、もしくはある程度の各政令都市にひとつ、バカロレア教育を行う公立の小・中学校があれば、と思っています。そこが中心となって、周りの学校がそこに研究に行ったり、学習に行ったりでき、そのなかで、それぞれが良いと思った部分を取り入ればいいのではいいんじゃないでしょうか。実際、高知や札幌の公立の中高一貫校がバカロレアを導入し、先進的な取り組みをしています。

今年度、日本語でバカロレアの情報を発信するコンソーシアムが立ち上がります。日本の教育者や地方の教育委員会などに向けて必要な情報を発信できるようになります。バカロレアについて知見を持つ人や研究者の層が厚くなっているので、私が旗振りをするのもあと23年かなと思っています。

 ――IBの認定校になるのは登録料がかかり、DPの卒業試験も高い受験料が必要です。これも普及のネックになるのでは。

IBの卒業試験の費用は10万円近くかかり、これ以外にもリサーチのためのパソコンなどをあわせると一人当たり約20万円はかかります。この負担が重く、バカロレアを導入できないと聞いたこともあります。私は経済格差が教育格差につながってはいけないと思っているので、世帯収入が少ない家庭に対し、年収に応じて費用を支給する財団を新たに立ち上げました。企業に資金支援も頼んでいますが、なかなか厳しいです。

アメリカでは、貧困地区の学校にバカロレアを導入したら、大学進学者が増え、犯罪率が下がったという効果が出ました。財源は、様々な財団の寄付もあります。基礎学力がある日本の教育は、決して悪くない。でもOECDの加盟国のなかでも、日本はGDPに占める公的教育財源の割合が最も低い国なのです。高度な教育を受けたいと思ったら、親のポケットマネーに頼るしかない。資源が乏しい日本にとっての一番の資源は人材ですから、未来を担う子どもたちにもっと財源を振り向けるよう、国民の意識が変わる必要があると思っています。

――最後に、「グローバル教育」とはどんな教育だと思いますか。

私たちはさまざまな社会に属していて、一番小さな社会は家族、一番大きい社会は宇宙だと思います。それぞれの所属する社会、小さい社会から大きな社会まで、自分ができることを通じて、その社会をよりサステイナブル(持続可能)に、より共生できるようにする。それに貢献できる人材がグローバルな人材だと思います。

私には、20歳離れた従妹がいて、その次女には重い障害があり、目が見えず、耳も聞こえず、しゃべれないし、立つこともできない。でも、従妹の家庭はものすごく絆が深く、長女は社会福祉の道を選びました。私はその様子を見て、どんな子も生まれた意味があり、それを教えたくて、最初に小さな寺子屋を開きました。「グローバル人材」とか「チェンジメーカー」とか今風の言葉でいろいろ言いますけど、自分の持っているものを通じて、それぞれの社会をより平和な社会にするために考え、人に伝え、行動できる人材を育てることが教育の原点。これは太古の昔から変わらないと思っています。

※来週は、バカロレア修了資格と書類だけで選考する入試を国立大で最初に導入した岡山大学を取り上げます。

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