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お笑いコンビ土佐兄弟の動画、当事者でない人が「ハーフあるある」をネタにする問題点

ニッポンあれやこれや ~“日独ハーフ”サンドラの視点~ 更新日: 公開日:
映画「The Singing Kid」(1936年)に主演したアル・ジョルソン=ロイター

先日、お笑いコンビの土佐兄弟がYoutubeチャンネルで「英語が全くしゃべれない」「英語のテストの点数が低い」「意外と中学が荒れてた」という内容の「ハーフあるあるネタ」を披露したところ、ハーフ当事者を中心に「差別的」との声が上がりました。数日後、動画は非公開に。この「ハーフあるある動画」は何が問題だったのでしょうか。

問題となった動画には「なんでお前その感じでさ、英語22(点)なんだよ」と友人からツッコミを入れられたハーフ役の弟・有輝さんが「神奈川生まれだから俺」と答えるシーンがありました。

かつては、タレントのウエンツ瑛士さんなどが「ハーフなのに英語が話せない」ことを自虐的に話し、テレビがそのことを笑いのネタとして扱うこともありました。

非難の声もあったものの「ハーフなら英語がペラペラなはず」という世間のステレオタイプを打ち壊し、「日本生まれや日本育ちで、英語ができないハーフもいるんだ」と世間に広く知れ渡ったのは良かったのではないでしょうか。

では、なぜ今回の土佐兄弟の「ハーフあるあるネタ」が問題になったのかというと、それは「当事者ではない」ということに尽きると思います。

「ハーフだから」と英語を期待するのは間違っている

動画の一部ではサムネイルに「間抜けなハーフ」の文言が書かれており、SNSでは「英語が話せないだけで間抜けって酷(ひど)くない?」と批判の声が上がっていました。

たとえばアメリカと日本の「ハーフ」がいたとします。その人が「日本語も英語も話し、不自由なく読み書きもできる」場合、それは「ハーフだから」ということだけが理由ではありません。

Hakase_ / iStock / Getty Images Plus

子供が両方の言語で読み書きのできるレベルになるには、「親が家庭の中でどれだけの時間を割いて、子供のバイリンガル教育に力を入れたか」「子供がどの国の学校で何語を用いて学んだか」など様々なファクターが影響します。だから両方の言語ができるのは「本人だけの努力」ではないし、逆にバイリンガルではなくても、それは「本人の努力不足」だとは言えないのです。

ハーフの子供であっても「読み書きに不自由しないレベルのバイリンガル」に育てるのは大変です。家庭内での会話について「お父さんとは何語」「お母さんとは何語」と幼少期から厳しいルールを設けたり、週末を犠牲にして子供を長年、外国語の補習校に通わせたりする場合もあります。

外国に住んでいる場合、「子供にどのように平仮名・カタカナ・漢字を勉強させるのか」が一つの課題です。日本国内に住んでいる場合でも、子供がアメリカンスクールなどに通っていれば英語をできるようになりますが、日本語の読み書きができるようになるためには別途時間を作って長年にわたり勉強をしなければなりません。

そして忘れてはならないのは、親の離婚などでそもそも両親がそろっていないハーフも少なくないということです。それを英語ができないからと「間抜け」扱いされるのはやはり問題です。念のために言うと、たとえ両親がそろっていても、バイリンガル教育は「どうしてもしなければいけないこと」ではありません。当たり前のことのようですが、教育方針は家庭によって様々です。

「人種に似せるメイク」をしたのはまずかった

動画で最もまずかったのは、ハーフを演じた有輝さんが「白人の顔」「ハーフ顔」に近づけるべく、「まぶたと鼻の脇のラインを黒い線で強調するメイク」をしていたことです。「そんなこともダメなの?」という声が聞こえてきそうですが、世界の近年の流れを見るとこれは「やってはいけないこと」です。

黒人でない人が黒人に見えるよう特殊なメイクをする、いわゆる「ブラックフェイス」はアメリカでは近年タブーです。19世紀の半ばまで白人が黒人に見えるための化粧を施した「ミンストレル・ショー」がはやっていましたが、そのなかで黒人は決まって「ハッピー・ゴー・ラッキー・ダーキー」(訳すと「のんきな黒人」で、「ダーキー」は蔑称)の奴隷として登場していました。

20世紀に入ってからも、俳優のアル・ジョルソンが1927年公開のトーキー映画「ジャズ・シンガー」の中で黒人に似せたブラックフェイスにし、1945年のガーシュインの伝記映画「アメリカ交響楽」でも同氏はブラックフェイスでミンストレルを演じています。

当時のアメリカで人種差別は合法であったため、白人が舞台で「黒人的」な要素を大げさに取り込んだ演技や歌唱法が人気を得ていました。1960年代の公民権運動によってブラックフェイスはようやく終焉しています。

「アメリカと日本では歴史が違う」という反論が聞こえてきそうですが、日本でも「ほかの人種に似せる小細工」が人を傷つけるのは同じです。

2014年には、お笑いタレントが「白人風の鼻の高さを強調したおもちゃの鼻」をつけた航空会社のテレビコマーシャルが放送され、日本に住む外国出身者から「人種差別に該当するのではないか」と批判の声が上がりました。

国によってユーモアのセンスは違う

笑いとひとえにいっても、国によって笑いのセンスは違います。

たとえば日本では自虐をして笑いをとる文化がありますが、これが欧米人にはなかなか理解してもらえないことも。実は、筆者は自虐が好きで、以前ハーフが美人なんて妄想ですから!!という本を出した際、タイトルも含め本の中に「ハーフの私」の自虐ネタをたくさん書きました。

日本のテレビを日常的に見ていた人には、本のタイトルについて笑ってもらえました。日本のテレビには昔も今も「美系のハーフタレント」が沢山出ているので、世間には「ハーフは美形」だというイメージがあるわけですが、前述の本の中で「芸能界ではない一般の社会では、ハーフも色々ですよ」ということを書いたわけです。

英語圏やドイツ語圏の国に住み、日本のテレビを見ない人の一部から、この本について苦情を受けることもありました。彼らは「日本のテレビには美形のハーフタレントが多い」という前提を共有していないため、「なぜハーフの容姿について取り上げるのか」というのが理解不能だったようなのです。「自虐がすぎる」「タイトルはハーフ全員に対して失礼」と言う人もいました。

ただ国や文化によって「どこまでを良しとするか」の規準は違っても、冒頭のような「メイクによって、他の人種に似せる」ことや、「肌に色を塗ることで他の人種に似せる」ことで笑いを取ろうとすることは、今やどこの国でも当事者に喜ばれることはないということは知っておいた方が良いでしょう。