海外で子育て、というと「いろんな経験がさせてあげられる」「バイリンガルな環境で育つ」「(日本に比べて)サポート体制がよい」とポジティブな面もありますが、たとえば先進国でない場合だと、「医療環境」「教育設備」が不十分だったり「セキュリティー」の面の不安だったり、いろんな言語が混在する環境での子どものアイデンティティーの問題だったりと、マイナスの面ももれなくついてきます。
うちの娘は3歳ですが、私がフルタイムで仕事をして、父親も3か月に1回(でも帰ってくると1か月はずっといる)しか家に帰らない環境で暮らしています。ベビーシッターさんはフランス語、幼稚園はフランス語と英語のバイリンガルなので、触れる時間の長い順に一番強いのはフランス語、次が私と話す日本語(最近めきめき上達中)、父親とは英語(ちょっと弱い)という若干バランスの悪い「マルチリンガル」な環境にいます。
複数言語の環境に暮らす子どもは、言葉が遅いことが多いと聞いていましたが、言語習得が早いと言われる女の子だからでしょうか、住み込みのベビーシッターも私も、家にいる時はしゃべりっぱなしなのもあって、順調にボキャブラリーも増え、おしゃべりが止まらなくなっています。最近「なぜなぜ」期が始まりまして、会話の難度が上がってきて楽しい今日この頃です。ちなみに初言語は5か月だったのですが、パパでもママでもなくいきなり「パンダ」でした(笑)。
日本語の会話の中でわからない単語があると、そこだけフランス語だったり、日本語の語順がおかしかったりしますが、ベビーシッター、父親、母親、友達と全く問題なくチャンネルをくるくるっと変えるように複数言語でおしゃべりする娘をみて、子どもの吸収力のすごさは聞いていましたが、本当に想像以上だなぁと感じています。私自身はフランス語を2年前にセネガルに来てから始めたので、発音はがっつりジャパニーズだし、リエゾンでこんがらがるし。すでに娘に発音を直されますが、まぁそれはしょうがありません。親の威厳(?!)は言語以外のところで発揮するしかありません。
こちらに来ていいなと思うのは、子どもがコミュニティーの中で育つこと(兄弟や近所の人、町ぐるみ、学校)、子どもが多いので甘やかさないこと(なので、子どもが強く育ちます)です。こっちの母親は普段ほとんど“おんぶ”なんですね。日本では首が座って体もしっかりしてきた6か月くらいからおんぶしてもいいと言われますが、基本はしっかり赤ちゃんを包み込むタイプの抱っこ紐を使っての抱っこが主流かと思います。こっちの女性はそんな高機能な抱っこ紐は使わず、布一枚で赤ちゃんをくるっとまいて体に固定します。私もやってみましたが、お尻の凹凸が足りなくてだめでした。こちらの女性は、いわゆるザ・アフリカンママ体格(太っていないがボリューミーで貫禄がある体格)でない女性も、胸とお尻が張り出ている素敵な凹凸があって、これが赤ちゃんをおんぶするのに好都合なのです。生後数週間でまだ首が座っていない状態の赤ちゃんでもがんがんおんぶ。こちらの女性の赤ちゃんの運び方は、おんぶがデフォルトです。で、こうやって首が座ってないうちからおんぶをさせられたアフリカの赤ちゃんは、3か月しないうちに、もうしっかり首が座るようになるのです。首が座ると身体の成長も続くのか、こちらの赤ちゃんは体の成長が早い気がします。
同じく興味深い「おむつ」。ダカールは都会ですから、お金のあるファミリーは現地の人でも普通に使い捨ての紙おむつを使いますが、出張や旅行で田舎に行くとおむつを使わない(買えない?)ことも多く、かなり小さい赤ちゃんも普通にパンツをはいてます。そうするとですね、おしっこやうんちをすると、当然気持ちが悪いので親に伝えます。きれいなパンツがなくなったら、そのまますっぽんぽんです。そうしているうちにパンツトレーニング、というものなしで、子どもが勝手にトイレができるようになるんです。今のおむつは高機能で「8時間ずっと快適」みたいなものがありますが、そういう高機能が逆に子どもが自然にもっている能力を奪ってしまうのかも!とちょっと面白いなと思いました。まだ10歳行くか行かないかくらいのお兄ちゃんやお姉ちゃんが赤ちゃんを抱っこしていて、「おしっこしたいみたいよ」という感覚がわかる(そしてちゃんと排泄させる)、というのもちょっとした衝撃でした。
出張先のリベリアで、歩き始めの1歳半くらいの子どもがパンツを下してもらって地面でしーしーしているのを見て、私も自分の娘のトイレトレーニングは2歳になる前に始めました。2歳半でほぼできるようになったのですが、クリスマス休暇で極寒のカナダに行った際に失敗するのが嫌でおむつをつけたら、またあっさり戻ってしまいました。「社会(親)の利便性」を優先すると子どもの自然な能力が発揮されないということなんでしょうね。3歳で幼稚園に行くことになる前に、たまーに間に合わなくて床でやってしまうことがありますが、ストレスなくトイレトレーニングが終われたのは、アフリカの赤ちゃんのたくましさをみていたからできたのかもしれません。
途上国に外国人として駐在していると、どうしても快適な「箱入り」環境になりがちですが、娘にはなるべく「便利で質の高い外国人生活」だけではない、地に足のついた生活を送って欲しい(そして私もそういう生活がしたい)と思って、外国人が行きがちな場所だけじゃないセネガルの普通の暮らしがある場所にも、積極的に足を延ばしています。セネガルに来てみて「日本の育児常識」が、必ずしもこちらの常識とは違う面をたくさんみてきました。先のおむつとおんぶの例ではありませんが、あんまり過保護にならずにある程度子どもの「可能性」や「タフさ」を信じて放っておくことで子どもの自主性が育ったり、生きる力が増えてきます。日本のきめ細やかさも心の片隅におきつつ、私も「おおらかな育児」の恩恵を受けていると言えるかもしれません。
最初、外国人や日本人の友達の家だと、家にある様々な面白い知育玩具に気を取られ、お友達と遊ぶ、ということをしなかったんですが、セネガルのグループでは最初っからおもちゃがないので、そこらへんに落ちているペットボトルや葉っぱを使って「炊き込みごはん作り」「アラーアクバルごっこ」(ムスリムのお祈りの真似)「飛行機ブンブン」(手をひろげてみんなでぐるぐるまわる)といろんな遊びを自分たちで作って楽しそうに遊んでいました。
言葉が出るようになるにしたがってお友達との交流も増えてきましたが、外国にいると、言語だけでなく、アイデンティティーの問題も出てきます。最近、大坂なおみ選手の「ハーフ」の話題がよく出ていましたが、うちの娘もハーフで、両親の出身地ではない国で暮らし、付き合う子どもはそりゃもう多国籍です。
面白いのは、うちの娘がセネガル人のお友達、日本人のお友達、他の外国人のお友達(フランス語・英語)と遊ぶとき、性格というか立ち振る舞いが変わることです。
外国人の娘が珍しくて集まってくれるセネガルの子どもたちの中ではリーダーシップをとりますが、年下の子が多くて、お母さんたちがいろいろ面倒みてくれるフランス語・英語プレイグループでは甘えんぼ、日本語グループはちょっと年上の元気なお兄ちゃんと一緒に「やんちゃ度」が増しています。いろんな環境で快適な立ち位置をみつけて生き延びていかないといけないのは大人になっても一緒なので、回りの空気を読みながら、でも自分の快適な空気を作っていく。そんなトレーニングになっているのかもしれません。
日本にいる友人の「お受験塾」や早期教育の話を耳にすると、アフリカにいて遅れをとらないかなと思うこともないわけではありませんが、「正解」を学ぶより先にいろんな人たちと自然の中にがっつり両足を下ろして、カエルを捕まえたり、砂のサラサラを実感して「今」を遊べる環境を大切にしたいと思っています。どこに行っても、どんな人種、信条、考え方、年代の人とでもいい関係を作れる大きなハートと柔軟性をもった子になって欲しいなと思っています。彼女を通して、私も今まで気づかなかったことを考えさせられたり、今までだったらつきあってなかった新しい出会いがあったりして、私も人間的な成長をしているなぁと思うのです。
今、興味があるのは「娘の漢字教育」です。外国にいるハーフの子どもの日本語力は親の努力と本人のやる気、だそうなので、本人のやる気をそがぬよう、楽しい方法を画策しなければなりません。先は長い!