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世間を騒がせた「純ジャパ」という言葉について改めて考えてみる

ニッポンあれやこれや ~“日独ハーフ”サンドラの視点~ 

先日「東洋人らしいセーラームーン」に思う外国人が求める「日本人らしさ」という記事の中で、一部の欧米人が日本人に対して「自分の理想とする日本人像」を押しつけている問題について書きました。外国人が想像している日本人と、実際の日本人には時に隔たりがあります。そして当事者であるか否かで見えている景色も違います。

思えば今年2月に話題になった「純ジャパ騒動」の時も、当事者の学生と世間の人の間には大きな隔たりがありました。今回はそんなことも振り返りながら、「純ジャパ」という言葉について改めて考えてみたいと思います。

伊勢崎ゼミのイベントによって知れ渡った「純ジャパ」という言葉

「純ジャパ」という言葉は帰国子女などが多い大学界隈では以前からよく使われていました。でも「純ジャパ」という言葉が世間に広く知れ渡ったのは、今年2月に行われた東京外語大学の伊勢崎ゼミのイベントがきっかけです。

イベントに先駆けて「あなたは日本人何パーセント?Let`s『混ジャパ』Project 堀潤さんと一緒に2030年の日本人を考える」とイベント名が告知されると、SNSなどで「混ジャパ」という言葉が物議を醸すと同時に、そのいわば対義語である「純ジャパ」という言葉も問題視されるようになりました。「単一民族的な発想」「差別的」など次々と反発の声が上がりました。それを受けてイベント名は「~堀潤さんと一緒に考える~10年後の日本人『そもそも純ジャパなんて言葉は必要?』」というふうに修正されましたが、その後も「純ジャパとはそもそも何を指すのか」などの論議が続きました。

冒頭の通り、この「純ジャパ」という言葉は、もともとは帰国子女も多く通う東京外語大学や上智大学、ICU国際基督校大学などの学生が「仲間内」で使っていたもので、特にネガティブな意味は含んでいませんでした。帰国子女ではない学生が自分自身を「帰国子女などもともと海外と接点のあった同級生」とを比べる時に、自虐を込めて「自分は純ジャパだからなあ」というような使い方がされていたといいます。筆者も昔、ある大学生から「自分は受験で英語を頑張っただけで、子供の時に海外に行っていたわけでもないし、完全に純ジャパですよ~」という発言を聞いたことがあります。

「純ジャパ」とは「純粋ジャパニーズ」を省略したものですが、もともと外国や外国語と接点のあったたとえば帰国子女のような人達と自分達を区別するためにできた隠語だといえるでしょう。「純粋」という言葉に対して疑問が出てくるのは当たり前かもしれませんが、「海外に住んで学んだ子供」を「帰国子女」と名指しする日本特有の言葉がある以上、「純ジャパ」という造語ができても仕方がない、という見方もできるわけです。

仲間内で使うには何の問題もなかったこの言葉が世の中にいっきに知れ渡ったことで、世間は「この言葉を使うのはよろしくない」と非難しました。「純ジャパという言葉の使用が政治的に正しいか否か」と問われたら後者だと思います。でもしつこいようですが、「帰国子女」という言葉が日本にある以上、そのいわば反対である「帰国子女ではない日本人」を指す言葉も必要です。「子供の頃に日本を離れて生活した経験がなく、また英語などの外国語も流暢ではない日本人」と説明すれば政治的には正しいのでしょうが、会話の中で、こんなに長い説明をするのは少々面倒です。そういった事情もあり、それをひと言で表したのが「純ジャパ」という言葉でした。

「純ジャパ」のもう一つの使われ方 ハーフ以外の人は純ジャパ?

言葉を使う際の難しさは日独ハーフである筆者も経験しています。何年か前に「ハーフ」をテーマとする本を書きましたが、その際に問題になったのはまさに「言葉」でした。

当時、自分自身も含むハーフの人達の体験をまとめた本を書きたいと思い、出版社に企画書を送りました。出版社の企画会議では「新聞やニュース番組では『ハーフ』という言葉を使うことはできないのだから、そういった場では使えない『ハーフ』という言葉をわざわざ本のタイトルにするのはいかがなものか」という意見も出ました。そこで筆者は編集者と一緒に「『ハーフ』という言葉を適切な日本語に置き換えることはできないだろうか」と考えました。ところが「ハーフ」を日本語で言おうとしても、「あいのこ」や「混血」など戦後の差別を彷彿させるものしか存在しないことがわかりました。唯一、良い案だと思えたのが「国際児」という言葉でしたが、子供(児童)を指すため大人には使えません。

そんなこんなで世間に浸透していて分かりやすい「ハーフ」という言葉が消去法で残りましたが、ここで新たな問題が出てきました。には「ハーフの日本人」と「ハーフでない日本における多数派の日本人」が登場しますが、後者の呼び方をどうするのかという問題です。そこで本の中では「ハーフではないマジョリティーの日本人」を「純ジャパ」としました。「ハーフ」が「外国にもルーツを持つ日本人」であるならば、この文脈での「純ジャパ」は大雑把な意味で「外国にルーツを持たない日本人」であるというわけです。

使い方には賛否両論ありましたが、ほかにどう呼べばよかったのかと考えると、正直わかりません。呼び方一つにしても言葉とは本当に難しいなあと再認識させられるのです。当事者がどういう意図でどういった文脈でその言葉を使っているかを全員が分かってくれれば良いのですが、言葉だけが文脈を離れ一人歩きすることだってあります。

「ハーフ」それとも「ダブル」?分かれる意見

先ほど「ハーフ」という言葉に代わる日本語を見つけることが難しかった、と書きました。同じカタカナであれば「ハーフよりもダブルのほうが良いのではないか」という意見をよく聞きます。

確かに「ハーフ」が「半分」を意味するのに対し、「ダブル」は「二倍」の意味なのですから、後者のほうがポジティブな言い方だと考えるのは自然です。ただし「ダブル」という言い方がしっくりくるのか、それとも「ハーフ」という呼び方のほうがしっくりくるのかに関しては、「立場」によってもだいぶ違うようなのです。筆者が前述の本の執筆の際に国際結婚家庭に話を聞いたところ、基本的に「親」の立場の人から「うちの子はハーフではなく、ダブルと呼んでもらいたい」という意見が多かったです。

その一方で、ハーフ当事者からは「そうでなくても言葉が二つできるのではないか、両方の国の文化に詳しいのではないか、などと期待をかけられるのに、『ダブル』という呼び方にしてしまうと、更にプレッシャーを感じる」という意見が多かったのです。実は筆者も「ダブル」という言葉を聞くと「常にポジティブでいなければいけない」というようなプレッシャーを感じるため、「ハーフ」を使っています。

このように「同じ国際結婚家族」であっても、「親」と「子」では立場が違うため、意見が異なることがあります。

本当は「帰国子女」という言葉に始まり、「ハーフ」や「ダブル」、そして「純ジャパ」という言葉も使わずに済む社会であれば、それが一番良いのだと思います。もしも全員にとって居心地の良い社会になれば、そういった言葉は自然に消えていくのではないでしょうか。

サンドラ・ヘフェリン