先日、ドイツ在住のライターの雨宮紫苑さんが、アニメのキャラがドイツ語や英語などの外国語を使う場合は、外国で見ても違和感のないように、正しい外国語が使われるべきだと書きました。実際には文法がおかしかったり、発音がおかしかったりするため、たとえば英語圏の国やドイツでアニメを見た時に、現地の人が気持ちよく見られないそうなのです。
これに対してイスラム思想研究者でありアラビア語の通訳でもある飯山陽さんが「母国語に外国語を混ぜて使う方が、むしろ世界標準だろう。フランス人が「タタミ」を動詞として使うことや、寿司が世界中で「スーシー」であることも、雨宮氏は「適当」「残念」と馬鹿にするのだろうか?/ 「外国語の扱いや外国人の扱いが適当だなぁ」と改めて痛感。」とつぶやきちょっとした論議になりました。
「日本人なのだから日本語を使うべき」という発想
外国人が日本のアニメを見た時に「アニメのキャラクターが話す外国語の文法や発音が残念」と感じることがあるようです。言葉は正しく使われるべきだというのは前提だとして、筆者はこれはもっと根の深い問題だと思っています。
外国人と日本人が参加していたある食事会で、来日して間もないドイツ人が「日本でGeburtstagslied(誕生日の歌)は歌うの?」とその場にいた日本人に聞きました。ある日本人の女性が「歌いますよ」と答えたところ、そのドイツ人が「歌ってみて?」と言ったので、女性は「ハッピーバースデートゥ―ユー」と歌い始めました。するとそのドイツ人は「それ、英語だよね?私は、日本の誕生日の歌があるかと聞いているの」と不機嫌になったのです。
筆者も含む周りの人が、日本では欧米ほど誕生日は重要視していないこと、昔の日本には誕生日を祝う習慣はそもそもなかったこと、だから歌に関しても英語の誕生日ソング「ハッピーバースデートゥユー」が一般的であると説明したのですが、相手が納得する様子はなく、なぜ日本人なのに英語の誕生日の歌を歌うのかということにこだわり続け、終始不機嫌そうでした。
誕生日の歌ごときになんともおかしな話ですが、どうもその人の中には「日本人は日本語を使うべき」、「日本語の誕生日ソングがないのなら、せめて歌詞を日本語に訳して歌うべき」という強いこだわりがあったようです。その場にいた何人(なんにん)もの人が、昔の日本では年明けに全員一緒に年をとるという発想だったので、個人の誕生日を祝うという習慣ができたのはそんなに昔のことではない、と詳細に説明しましたが、それでも納得した様子はありませんでした。
「誕生日を祝うこと」は欧米社会では大切なことですが、日本ではそれほど大切なことではありません。問題は「誕生日を祝う」という欧米の価値観をほかの文化圏(日本)の人にも無条件に求めている上に、日本人が気をきかせて英語のハッピーバースデーを歌っているのにそれも受けつけないという相手側の思考回路にあるのではないかと思いました。
歌といえば、演歌は別として、日本の歌手が歌う歌にはサビの部分などに少し英語が登場することがあります。その英語が文法的に正しいものでも、カラオケの際にドイツ人を含む欧米人から「なんで日本の歌なのに英語が登場するの?」と聞かれることがあります。筆者はそう聞かれることがストレスになり、欧米人とカラオケに行く際には、英語が登場しない演歌を歌うようになりました。
それにしても「日本人は日本の歌しか歌ってはいけなくて、そこに外国語は登場してはならない」という考え方に固執することには賛同できません。というのも、たとえばドイツ人も人によっては日常生活で話すドイツ語にフランス語を混ぜて話す人がいます。相手との会話の中で普通に“Ich auch.“(和訳「私も」)と言えばよいところを、“Moi aussi.“(フランス語で「私も」の意味)なんて言ってしまう人もいるので、「外国語を使いたい」願望はきっと万国共通なのでしょう。
「決めつけ」は言葉以外でも
「日本人なのだから全ての場面において日本語のみを使うべき」と考える一部の外国人も困ったものですが、実はこの手の決めつけは言葉に限ったことではありません。
たとえば「日本の会社では有休を取りづらいことが多いため、有休を全部消化しない日本人が多い」ことは、外国人にもひろく知られています。しかし、それが日本人に対する「決めつけ」につながっていることもまた事実です。都内の外資系企業に勤めている日本人女性A子さんが有休を申請したところ、同僚の欧米人に「え~?あなた日本人でしょう??」と繰り返しからかうような口調で言われたそうです。どうやら「日本人は有休を取らないのに、日本人のあなたが有休をとるなんておかしい」と面白がっているようだったとのことでしたが、A子さんは「これではまるで、『日本人は社畜なんでしょ?だったら社畜のままでいてね』と言われているようで不愉快だった」と話していました。
からかった本人に自覚はないのかもしれませんが、日本人に対してある決まった行動パターン(たとえば「有休を取らない」という行動パターン)を期待していたため嫌味な言い方になったのだと想像します。
日本人はみんな黒髪であるべき!?
日本人に対する決めつけには「日本人はみんな黒髪であるべき」というものもあります。なんだか昭和の中学校の校則のようですが、これは一部の欧米人が実際に思っていることです。
昔の日本では髪を茶色に染めるのはほんの一部の人でしたが、今の日本では社会人であっても茶色系にカラーリングする人は多いです。でも日本のそういった流行に眉をひそめる欧米人が一部にいます。曰く「せっかく綺麗な黒髪なのだから、髪を染める意味が分からない」というあくまでも「美的感覚」の面からそう考えている人もいるものの、日本人が髪を茶色や金髪に染めることにやたら否定的な欧米人のなかには「日本人は元々は茶色の髪や金髪ではないのだから、白人の真似をしてけしからん」という本音の人もいます。
しかし髪の色も含むファッションにはその国や地域の流行りがあります。日本で「白人みたいになりたいから」という理由から髪を茶色や金髪に染めている人は少ないのではないのでしょうか。
SNSで話題になった「東洋人らしいセーラームーン」
先日マレーシアはクアラルンプール在住の絵描きさんが描いた「東洋人らしいセーラームーン」がツイッターでも話題になりました。こちらがその画像です。
予め断っておくと、これはセーラームーンを日本人の容姿風に書いたものではなく、マレーシア人である絵描きさんが自身の妹さんに似せて書いたセーラームーンです。
この東洋人風のセーラームーンを見た一部の欧米人から「なぜ日本のアニメなのに白人風のキャラなのかずっと疑問に思っていた」「これぞ人種的に正しい書き方」など称賛のコメントが相次ぎました。しかしこれに対して「日本のアニメには、東洋人風の見た目の人を登場させるべき」という価値観自体が差別的なのではないか、という日本側からの意見も多く見られました。
実は筆者もそう感じており、一部の欧米人による「白人風に書かれた日本のアニメキャラは日本人らしくないから改めるべき」という非難には前述の「日本人には黒髪でいてほしい」願望と共通するものを感じます。
一部の欧米人が「日本人にはこうあってほしい」という歪んだ願望を抱いているように、一部の日本人もまた「外国人にはこうあってほしい」という勝手な願望を抱いていたりするので、お互いに気をつけたいものです。