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グローバルな視点から「国籍」を考える

ニッポンあれやこれや ~“日独ハーフ”サンドラの視点~ 更新日: 公開日:

前回の記事では、多くのハーフのように未成年のうちに重国籍となった場合の「国籍選択の流れ」について述べましたが、今回は、「日本国籍のみを持つ人が、成人後に自らの意思で外国の国籍を取得した場合」について考えたいと思います。

国籍法11条1項違憲訴訟

未成年のうちに重国籍となった場合とは違い、成人後に日本人が外国の国籍を取得する場合、「外国国籍の取得」が「自らの意思」だと見なされるため、日本国籍を失います。これを不服として現在、スイス、フランス、リヒテンシュタイン在住の原告8人が東京地方裁判所で国を相手に訴訟を起こしています。次回の公判(第3回公判)は、2019年1月22日(火)の11:30時から東京地方裁判所703号室で行われます。

原告は「外国の国籍を取得したことにより、日本国籍を喪失した」人が6名、「これから外国の国籍の取得を考えているが、その際に日本の国籍は失いたくない」という人が2名います。彼らは一貫して「日本の国籍を失うのは自分の意思ではない」と主張し、「外国国籍の取得により自動的に日本国籍が失われるのは不当」としています。

この裁判で原告は、「外国に住み外国の国籍を得ても、自らのアイデンティティーは最後まで日本人である」と切々と訴えています。裁判は今年始まったばかりですので、結果が出るのは何年か先になりますが、海外で働く日本人や、これから海外で働こうとしている日本人にとって「外国の国籍を得ると日本国籍を失ってしまう」ことは大きな足かせになっており、人の移動が多い今の時代にそぐわないものだと言わざるを得ません。

たとえば原告の一人である野川等氏は、1969年からスイスに住み、後に現地で貿易会社を経営していましたが、経営者がスイス国籍でないと、どうしても入札できない仕事があることから、スイス国籍を取得しました。ところが彼らのアイデンティティーは日本にあるので、彼らからすると「日本人をやめた覚えはない」のです。

日本国籍を持ち続けていたい理由として、裁判では「日本人としてのアイデンティティー」が挙がりましたが、日本の国籍がないと身内の介護などの事情で日本に長期で帰国する際のハードルとなるなど、現実的な面でも様々な問題があります。

「その国が好きだから、その国の国籍を選ぶ」と簡単にはいかない理由

日本では国籍問題が語られるとき、それが「愛国心」とつなげて語られることが少なくありません。つまり「心」の問題として語られることも多いのですが、実際には「利便性」も一つのキーワードとなっています。

先日コンサルタント会社の「ヘンリー・アンド・パートナーズ」が、ビザ無しで渡航できる国ランキングで「日本のパスポートが世界最強の1位」と発表しましたが、例えば仕事で多くの海外出張をこなさなければいけない日本在住の外国人が、その都度ビザが必要とされる国のパスポートの保有者である場合、本人が仕事上どれだけのキャリアを積んでいようとも、急な出張は対応が不可能となるため、結果的に仕事に支障をきたしてしまいます。そういった状況に置かれている人が仕事のことを優先的に考えた時に「利便性」から「日本の国籍を取得したい」と考えるのはある意味自然な流れでしょう。色々なケースがありますが、その人が日本でキャリアを追求し、収入もアップすれば、日本で税金もたくさん払ってくれるわけですから、国も本人も、そしてもちろん会社にとってもウインウインだといえるのではないでしょうか。

ときに国籍というものは、その人の意思やアイデンティティーのみと関連付けて考えられがちです。でも人の移動が多くなっている今、愛国心やアイデンティティーという理由からだけではなく「現実的な側面から国籍を考える」ことも時代の流れなのかもしれません。国籍を「純粋にその国が好きだから」という理由で選べれば一番幸せなのかもしれませんが、先ほどの海外出張の話のように、そうはいかない「現実」が既にそこにはあります。

そう考えると、大坂なおみ選手に関しても、彼女が仕事やキャリアの上で仮に「利便性」や「仕事上のキャリアの可能性」を考えた上で今後「米国籍の選手としてプレイする決断」をしたとしても、誰にも責められないのではないでしょうか。

 二重国籍 「当事者」と「世間一般」の隔たり

それにしても気になるのが、国籍にまつわる考え方には、当事者と「世間一般の認識」に大きな隔たりがあることです。日本と外国の両方にルーツのある人、または仕事や結婚などで海外に住むことになった日本人にとって「国籍が二つあること」は発想として自然なことなのですが、日本の「世論」はこれを善しとしていない意見が目立ちます。インターネットでは複数国籍を認めると背信行為やスパイ活動をする人が出てくるのではないかというような意見も目にしますが、2011年の国連の調査では加盟国196か国のうち、制限なく二重国籍を認めている国が53パーセント、条件があるものの容認している国が19パーセントであり、世界の7割が二重国籍を認めており、先進国ではむしろ認めていない国のほうが珍しくなっています。

日本にはどこか「日本人であるならば、一生日本に住み、日本人と結婚するはず」といった前提、悪くいえば「思い込み」があるのではないか---。ところが実際には近年世界を股にかけ活躍する日本人は珍しくありません。もし日本が二重国籍を認めていれば、前述の国籍法111項違憲訴訟の原告である野川さんらと同じく「成人してから外国の国籍を取得した」ノーベル物理学賞受賞者の中村修二さんや南部陽一郎さんのことを、日本のニュースでも「ノーベル賞を受賞した日本人は米国籍を取得した人も含め26人です」などといった回りくどい言い方をせずに、堂々と「日本人は26人」と発表できるわけです。

今後、人口が減っていくことが確実視されている今のニッポンで、自分の意思でないにもかかわらず日本人から日本国籍を取り上げてしまうことは、日本の未来にとって意味のあることだとは思えません。多様化している世の中「国籍は一つであるべき」という考え方にこだわるのは果たして今の時代に合うものなのでしょうか。