最強スキル人材になる。 疋田万理が日本で身につけた、「英語」という武器
厳戒警備の中でのインタビューに、感慨に浸る余裕はなかったと言うが、動画を見返して疋田は思った。「英語を話せるってだけで世界中の人と、そしてマララさんと話せるなんて、何百倍得しているんだろう。日本だけでなく、地球全体を自分の視野に入れられている気がする」
疋田は名古屋市生まれ。高校時代に留学経験があるが、満足いく結果は得られなかったという。むしろ、留学の挫折感をバネに、自分を追い込むように「日本にいながら留学」環境を作ったと語る。
以前に紹介したマルチタレントの植野有砂同様、疋田も「英語って、結局自信だと思う」と語る。ではその自信はどうやって手に入れたのか。生い立ちや、英語習得を通じて人生や考え方が変わっていた経験について聞いた。
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疋田は中学校ではバレーボールに打ち込んでいた。進学した共学の私立高校では「英語の成績は可もなく不可もなく。英語を喋れるようにならないと、なんて全然考えてなかった」。
父親は建築会社を経営していて、海外にも支店を持っており、娘を後継者にしようと留学を勧めた。「日本から離れるなんてマジ無理!って思ったけど、当時は勉強もまったくせず、彼氏とダラダラ過ごすばかりだったので『ヤバイ、このままじゃ人生終わる』と思って」父の勧めに乗った。
高校3年生でオーストラリアのブリスベンへ。「300万円かかるから、それだけのリターンを持ってこい」と父に送り出された疋田は焦っていた。「300万円分の英会話レッスンぐらい話せるようにならないと。日本人とつるんでる場合じゃない」。3カ月の語学学校と半年間の高校生活では、日本人同士でも英語で通した。
でも、疋田はこの留学を「全然ダメだった」と振り返る。「そりゃあ、そこそこできるようにはなったけど、会話に加わろうと思っても、言いたいことがあるのに頭の中で翻訳が間に合わない。回りの会話が全然聞き取れなくて、何が可笑しいか分からずに愛想笑いすることもあった。300万円の投資に見合わない。悔しくてしょうがなかった」
留学を終えた疋田はその翌年、親の会社を継ぐつもりで早稲田大学商学部に入学するが、直後に信じられない事実を父親から告げられる。実は両親は、疋田が幼少の頃に離婚しており、父親には、自分の知らない別の家庭があった。父親から10年前から言われていた会社の継承のために頑張ってきた意味が、急に真っ白になった。
何のために自分は頑張ってきたんだろう。ショックで精神に不調を来した。名古屋に帰り、1年休学して摂食障害や鬱病と闘った後、東京に戻った疋田は決意した。「もう親には頼れない。自立しなきゃ。どうすれば稼げるだろう」。それには自分に足りないものを身につけること。
「最強スキル人材になる。日本に住まなくてもお金が稼げるように」
まずは英語力をビジネス英語レベルに引き上げることだと考えた。復学した大学の講義はハーバード大学でも講義している教授による、英語の講義を選んで受講。アルバイトは外国人の多い東京・青山の、スタッフも客も外国人のカフェ。スマートフォンも英語仕様にして、音楽は洋楽しか聴かなかった。
在学中から、アメリカ発のアプリ開発会社に飛び込んでインターンをした。従業員6人のスタートアップ企業で日本人は自分だけ。仕事の会話もメールもすべて英語。「分からない単語は当然あるけど、働きながら、毎日勉強」の日々が続いた。
「300万円払って全然喋れるようにならなかったけど、日本に住みながら留学環境は作れると思った。言語ってツールなんだから、お金を払うなんてもったいない。むしろ、お金をもらいながら英語も身につけようと思ったの」
もちろん、当初はビクビクしていた。「青山でバイトしていた時も、みんなが集まってお酒飲んで笑っているとき、ジョークが全然わからなかったり、早口で言われて聞き取れない時、聞き返すのが恥ずかしかった」。それが「今は外国人100人に囲まれてもドキドキしないし『もっとゆっくり喋って』と聞ける。自信ができたから」という。
転機は何だったのか。
「アプリ会社で働いていたとき、『あたしバイリンガルかな?』って、海外の友達20人くらいに聞いたんですよ。そうしたら、20人全員が『万理はもうバイリンガル』って言ってくれて、自信が急についた。日本語だって一生、漢字や敬語を間違える人もいる。言葉に完璧はないし、知らない単語は永遠にあると思った瞬間、開き直れた」
「『あ、疋田万理ってバカだな』と思われていたいんですよね。会議でも『なんでこれをやるの?』みたいな今さらな質問ができる。わかったふりして聞かないより、そのほうが何でも聞けて得だし」
日本にいながら留学環境は、誰でもできることではないような気もする。そう尋ねたら、「絶対誰でもできる」と答えた。
「要はどれだけそれがほしいかじゃないですか? 今から起業して年商10億円の会社を作りたいと思ったときに、『いやー無理っしょ』って思うか、『絶対にやる』と思うかの違い。こんなにも英会話のコンテンツや無料アプリが世の中に溢れているんだから、あとは自分が集中して何かを達成するだけかなって」
それが難しいから、高いお金を払って英会話学校に行ったりするのでは?
「もちろん、投資をしてもいいと思います。自分に足りないものを得るためなら。私もNetflixやHuluのお金が投資と言えるかもしれない。ゴールは字幕なしでこの映画を見ることと設定しておいて、達成したらやめる。その繰り返しを何度もやっていく。プチ成功体験を自分で何個も作っていくことで、自信につながると思う」
一方でこうも言った。「私がこんなにストイックになれるのは、父親のことが多分大きかったと思うなぁ。今となっては『自立』という目標を達成した時点で、もう次のステージに目が向いたのかもしれないですね」
疋田の婚約者は、アプリ会社の社長の友人だったアメリカ人。家ではほぼ英語。今では英語で喧嘩もする。英語を習得することで広がった世界が、着実に人生を変えている。
「青山で働いていたレストランでは、私ともう1人以外は全員、ゲイやレズビアンといった性的マイノリティー(LGBT)。人種も国籍もバラバラで、日本で家がなかなか借りられないとか、電車で隣に人が座ってくれないとか、日常会話で教えてくれた。英語が話せるようになって世界が広がったし、自分が感じる痛みの幅も広がった」
大学卒業後は、そのままアプリ開発会社の社員になった。SNSの一種ともいえるプラットフォームの開発に携わることで、人種や国境を越え、または性的マイノリティーとつながりが増えた。友人から副業でYouTubeの英語学習チャンネルに出演しないかと誘われ、YouTuberとなった。
2015年に転職したインターネットメディア「ハフィントンポスト」(現・ハフポスト)で動画編集を担当。本国アメリカ制作の動画や通信社の映像を編集しながら、時事英語を吸収し、国際ニュースに関心が高まったと話す。女性向け動画サイト「C CHANNEL」を経て、動画ニュースサイト「ONE MEDIA」の編集長を務める。
「『ドナルド・トランプって何? ディズニーのキャラクター?』って答えるような子たちが、『プラスチックゴミって世界にこんなにあるんだ』『ベネズエラってこんなに今やばいんだ』『知らなかった』『見方が変わりました』とコメントがいっぱいもらえる。楽しくニュースとか未来を知って欲しいし、そんなメディアを作りたい。これが私がやりたかったことなんです」
世界で働こうと英語を学び、英語を通じて世界を知った疋田の視線は今、再び日本を見ている。
「もちろん英語も手段の1つだけど、日本の若い人たちの視野をもっと広げることができたら、もしかしたら偏見や差別が今後減るかもしれない。そして日本の未来や世界の経済、政治を考えて、将来の計画を立てられるかもしれない。知識を得ることは選択肢を得ること。自由に生きる近道だと思うんです。そのために私に何ができるだろう、といつも考えて、自分のミッションにしています」
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