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「ネオギャル」植野有砂、米チャートインの英語は「努力と自信」の日本仕込み

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伊ケ崎忍撮影

2018年、米ビルボードのHot 100にランクインした日本人アーティスト、植野有砂(28)。「ネオギャル」と呼ばれ、ミュージシャンやDJとして、アパレルブランドのデザイナーとして、マルチな肩書で世界を飛び回る彼女は、帰国子女でも、インターナショナルスクール出身でもなく、留学経験もない。それでも英語を自信満々に使いこなす植野は、どうやってものにしたのか。(吉野太一郎)

20179月、地中海に浮かぶスペインのリゾート地・イビサ島。植野有砂は、ミュージックビデオの撮影をしていた仲間のアーティストとともに、パソコンに釘付けになっていた。自身が参加していた新曲が、Appleの新製品のキャンペーンに使われると事前に聴いていたからだ。

でも、それが目玉商品のiPhone Xだったとは、発表会のネット中継で初めて知った。みんなお祭り騒ぎ。「これ、オレの声!オレの声!」という仲間の叫び声が上がり続ける。

ドイツ人と米国人の新人デュオ、ソフィー・タッカーに、オーストラリア出身の2人組ナーボや植野らが加わった「Best Friend」は米ビルボード誌のチャート「HOT 100」で最高81位を記録、Dance/Mix Show Airplayチャートでは1位に輝いた。植野自作の「曖昧なんていらない ない!Like イチ、二、サンで bye bye bye」といった、日本語と英語混じりのラップがアクセントになっている。

フォロワー33万人を超えるInstagramは日本語と英語で書き込み、「どうしたら英語が上手くなるの?」といったメンションも飛んでくる。そのたびに「100%自信!」と植野は即答する。

「受験英語も無駄じゃなかった」

伊ケ崎忍撮影

子どもの頃から海外に漠然とあこがれていた。父は英語が堪能で海外出張も多かった。小学5年生のときに来日したジャネット・ジャクソンのコンサートを見に行って「外国人めっちゃかっこいいー!」としびれた。ただ、英語を本格的に学んだのは中学からだ。

都内の公立小学校から、名の通った私立の中高一貫の女子校へ。同級生が熱を上げる国内のアイドルには目もくれず、ディスティニーズ・チャイルドやパリス・ヒルトンといった海外セレブに夢中になっていた。他の科目と比べても英語の成績はよかったという。

「クラスではいちばん派手なギャルグループにいました。流行の格好がしたかったんですよ。黒肌も流行っていたし、ルーズソックスもまだ人気だった。夏の間だけ金髪に染めてましたね」

靴下は三つ折り、スカートは膝より下、髪の毛は鎖骨にかかったら結ぶ。繁華街ではモデル事務所からスカウトもされたが、芸能活動は禁止されていた。厳しい校則が肌に合わず、高校2年で中退し、都立高校に編入した。

大学を目指し、植野はモデル活動の傍ら、英語専門の予備校に通った。毎回テストがあり、点数が悪いと居残りを命じられるスパルタ教育。そこでの受験勉強が大きく役に立ったと話す。

「先生に勧められて、同じ文章を20回音読する練習をしたんです。するとだんだん、耳がなじんで口も回るようになってきた。単語帳1冊、2000語丸暗記もしました。受験英語って批判されるけど、それも英語。奥行きのある言葉のチョイスができるようになったし、使わない単語や言い回しは忘れていくだけで害もない。無駄なものなんてない」

今も受けたい「1分間スピーチ録画」

2018年10月、東京・表参道のクラブでDJを務める植野有砂=吉野太一郎撮影

清泉女子大の英語英文学科に入学後は連日、六本木や表参道のクラブ通い。モデルに加えDJも始め、朝までクラブで過ごした。3年生からはアパレルブランド「FIG VIPER」に誘われ、午後は会社員のように過ごす日々。それでも「あの授業は、今でも受けたい」と話す。

大学の講義要覧をめくって、外国人講師の授業ばかり選んで受講した。「当時、理解して聴いていたかは分からないけど、日本人の先生だとすべて説明してくれるのに対し、外国人の先生は自力でついていかないといけない。日本にいるなら、それなりの努力をしないと喋れるようにならないと思ったから」

中でも印象に残るのは、英語で1分間のビデオレターを撮影して提出する課題だった。「たった1分でも、格好良く英語が喋れるように見せたいから、何度も何度も見直して撮り直した」。

ちょうどFacebookが流行し始めた頃。友人のつてをたどり、海外の友人を積極的に作ろうとした。大学入学直後は外国出身の友人が欲しいとは思っていても、実際に会うと気後れしてしまっていたが「したいことを口に出すのは大事。人に頼るのも大事。外国の友人が欲しいと言い続ければ、誰かがどこかでつなげてくれる」。

「日本人は、英語にすごく意地悪」

自信満々に英語を使いこなしているように見える植野だが、実は人一倍、周囲の目を気にするという。高校時代、英語は発音も自信があったのに、転入した都立高校では、わざと授業で日本語っぽい英語を喋って周囲に合わせていた。今もInstagramは、英語で投稿する前に、間違いないかどうか、バイリンガルの友人に確認することもある。

「日本人って、クールでいようとするからなんですかね、英語にものすごく意地悪な気がするんですよ。お互いに揚げ足取って『失敗しちゃいけない感』が強まる。その点、他の国の人は、自信たっぷりにぐちゃぐちゃな英語で笑いを取って、その場を持っていく。恥じらいなく英語を話す子の方が、明らかに上達は早いですよね」

植野の英語熱は「相手に自分の思いを伝えようという思いが強かったから」という。「ここでもっと深い言葉を言えたら、もっと仲良くなれたのに、ということってあるじゃないですか。込み入った会話にいいリアクションをしてあげられなくて後悔したり。もっとすらすら言葉が出れば、人間関係が変わるのに、と思ったことが大きいですね」

米国移住より「東京にいることで自分の価値が高まる」

伊ケ崎忍撮影

ビルボード誌によると、Hot 100に名前を刻んだ日本人アーティストは、最近では2016年のピコ太郎、その前は1990年の松田聖子になる。「まだ全然実感ないんですよ」という植野だが、「とにかく英語を使った仕事に漠然と憧れていた昔の自分を思うと、こんなに世界が広がるとは思わなかった」と話す。

20代前半のインタビューでは「25歳になったらニューヨークに1年住む」と宣言していた。しかし、28歳の今、そのまま東京を拠点に活動を続けている。

「当時は、米国に住むことで自分の価値を高めると思っていたけど、だんだん『東京のアイコン』として海外で紹介されることも増えた。向こうに行ったら私は大勢の中の一人。それよりも、東京にいることで自分の価値が高まるのかもと、考えが変わりました」

(文中敬称略)