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日本で生まれ育っても退去命令 「故郷」に拒まれる外国人の叫び

Behind the News ニュースの深層 更新日: 公開日:
子どもの時から自分は日本人だと思っていたローレンス。夜間中学で生徒会長を務め、引っ込み思案な性格も変わったという。東京都内で=2019年4月23日、鬼室黎撮影

人手不足を背景に外国人労働者の受け入れが進む日本。一方、この国で育ち、言葉も文化も身につけながら、「不法滞在」とされる人たちがいる。彼らは故郷に貢献することも許されないのか。(浅倉拓也)

アプルエボ・ケネス・ローレンス(21)は日本で生まれ、自分は日本人だと思って育ってきた。しかし15歳の時、東京入国管理局から母親と一緒に日本を出るよう命じられた。

ガーナ人らしい父親は生まれた時にはいなかった。母親は1995年に来日したフィリピン人。超過滞在(オーバーステイ)だったが、日本人男性と再婚して在留資格を得た。だが、男性が病気で亡くなると、母子ともに在留資格は更新されず、「不法滞在」になった。

母は野菜の加工場などで働いて一人息子を育ててきた。ローレンスはいじめなどに遭って不登校になった時期もあったが、10代半ばで自分を変えようと決意。いまは夜間中学で学び、生徒会長も務める。母子は退去強制の取り消しを求めて東京地裁に訴えたが、昨年末に「処分は社会通念に照らして著しく妥当性を欠くとは言えない」と退けられ、今年4月、控訴も棄却された。

政府がいま進めている外国人材の受け入れ拡大について、ローレンスの思いは複雑だ。「すでに日本にいる外国人にも目を向けてほしい。僕たちのことが見えないのか、それとも見ないようにしているのか……」

80~90年代のバブル期、超過滞在で働く外国人たちは事実上、黙認されていた。しかし景気が後退し、一方で日系人や技能実習生らの合法的な受け入れが始まると、不法滞在者の取り締まりは厳しくなった。

ただ、退去命令を受けても簡単には帰れない人たちもいる。日本で子どもが育った家庭の多くもそうだ。こうした子どもたちは10代後半~20代となり、将来を見通せずにいる。日本人と同じように暮らしているのに、彼らはあくまで入管施設への収容を一時的に免れている「仮放免」。アルバイトもできないし、健康保険にも入れない。

2018年末時点で全国に約2500人いる仮放免者には難民申請者も多い。最近、クルド系トルコ人の5家族が在留資格を求めて裁判を起こした。母国に戻れば迫害や差別に遭うと訴えてきたが、クルド人が日本で難民認定された例はない。原告には日本で育ったり生まれたりした子ども世代20人も名を連ねる。

ドゥールスン・ラマザン(21)は9歳で来日した。クルド人コミュニティーと日本社会をつなぐ仕事をしたいと考えている。高校卒業後、通訳の専門学校をめざしたが、すべて断られた。いまは自動車整備の専門学校で国家資格の取得をめざし、苦手な漢字と格闘中だ。在留資格をめぐる闘いには「正直もう疲れた」と言うラマザンも、裁判には加わった。「これはおれだけの問題でなく、後には何十人、何百人という(同じ状態の)子どもがいる。裁判所にはそれを考えて判断してほしい」

埼玉県川口市の自宅近くの公園で撮影に応じるラマザン。中学時代の野球部の仲間とはいまも仲が良いという=鬼室黎撮影

■合法化で働いてもらう方がいい

世界を見渡せば、不法滞在者に在留資格を与えることはそれほど特別なことではない。

名城大学教授の近藤敦によると、欧州をはじめ世界の多くの国が、滞在年数など一定条件を満たした不法滞在者をまとめて合法化する「アムネスティ(恩赦)」を、数万人から数十万人規模で繰り返し行ってきた。彼らの身分を安定させ、合法的に働いて税金を納めてもらう方が、治安の面でも経済の面でも良いからだ。

日本にも、法務大臣が人道的見地から滞在を認める「在留特別許可」という制度がある。00年代半ばにはこの制度で毎年1万人前後が救済されていた。これによって、いまでは会社を経営するなどして日本社会を支える一員となっている「元不法滞在者」は少なくない。

東京で暮らすバングラデシュ人のエムディ・エス・イスラム(52)は85年に来日し、親身になってくれた交番の警察官の紹介で飲食店に最初の仕事を得た。その後超過滞在になったが、在留特別許可を得て中古車販売の会社を立ち上げることができた。法人税だけで6000万円以上を納めた年もある。「新しい外国人を呼ぶ前に、オーバーステイの人をリーガル(合法)にした方が税金もとれて良いじゃないか」。彼はそう考えている。

■たくさんの表彰状

だが、在留特別許可もこの数年は認められにくくなった、と弁護士らは指摘する。さらに入管当局は、仮放免者が隠れて働くことがないよう「動静監視強化の徹底」を繰り返し指示。「入管職員に冷蔵庫の中までチェックされた」といった声も仮放免者から聞こえる。厳しい姿勢には、外国人労働者の受け入れ拡大に抵抗がある保守層への配慮があるようだ。

内閣府の世論調査で「不法就労」が「良くない」と答えた人は、90年は32.1%だった。それが04年は70.7%。不法滞在者は93年の約30万人をピークに減り続け、現在は7万4000人ほどだが、彼らを見る世間の目は厳しさを増している。

東京で30年以上、非正規労働者を支援してきた「APFS」の福本修(66)は、風当たりがますます強まっていると感じている。在留資格のない子どものために彼らが通う学校へ署名活動などの協力を求めても、断られることが増えた。校長ら管理職が保護者や地元議員の反応を気にしているのは想像に難くない。

超過滞在は違法だが、日本が人手不足の時に彼らを頼ったのも事実。その子どもたちが「故郷」である日本社会の一員となることは、そんなに不自然だろうか。

ある仮放免の生徒は、入管に目をつけられるのを恐れ、名前を明かして取材に応じることができなかった。県外にも知られたスポーツ選手で、学校でも人気者だ。両親は、誇らしげにたくさんの表彰状を見せてくれた。その横で生徒は、「自分は何も悪いことはしてない」と悔しそうにつぶやいた。