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外国人はゴミ出しルールさえ守れればいい? ~ドイツに見る外国人材の受け入れ~

ニッポンあれやこれや ~“日独ハーフ”サンドラの視点~ 

先月、4月1日に改正入管法が施行されました。注目されているのは受入れ機関または登録支援機関による支援の対象となっている「特定技能1号」です。介護、農業、外食業など14業種にわたる分野で外国人に働いてもらうために、日本は次の5年間で主にアジア諸国を中心とした国々から34万5千人に来てもらう予定です。

しかし自国民に対しても違法な残業などの「ブラック労働」が今まで多く問題になってきたという事実を考えると、果たして外国人を大量に受け入れることに問題はないのか疑問を持たざるを得ません。

問われる受け入れ先企業の人権意識

法務省は、今後外国人と特定技能雇用契約を結ぶ機関や企業に対して「報酬額が日本人が従事する場合の報酬の額と同等以上であること」「一時帰国を希望した場合、休暇を取得させること」と呼びかけています。しかし、過去には外国人技能実習生への賃金未払いの問題が発覚していますし、企業がこれをどこまで守るのかどうか非常に疑問です。休暇に関しては、一部の企業では自国民である日本人にさえ、違法な残業をさせたり、有休をとらせなかった、という「前科」があります。今年の4月からようやく「一年に5日以上は有休をとらせること」が法律で義務付けられましたが、そうはいっても、日本では「休む」ということについて否定的な雇用主が未だ多くいます。今回の外国人の受入れは、主に「中小企業」の人手不足を解消するためのものでもありますが、大手企業と違い就業規則が曖昧であることが少なくない中小企業で、果たして外国人が本当に休暇を取って母国に帰れるのかどうか。私はかなり怪しいと思っています。違反をする会社が出てくるのは目に見えているので、それこそ会社側への罰則を設けるなどをしたほうがよい気がしますが、そういった具体的な話はあまり聞こえてきません。

外国人は、ゴミさえちゃんと出してくれればいい!?

改正入管法の施行に伴い、異なる文化、異なる宗教、異なる価値観を持ち合わせた人が今までよりもはるかに多くニッポンへやってくるわけですから、日本は考えなければいけないことがたくさんあります。

日本の状況がよくわからないことをいいことに、雇用主が外国人を搾取する危険性もありますし、外国人がらみでいったん何らかのトラブルが起きれば日本の世論が排他的になる懸念もあります。

しかし、いま「ごく普通の日本人」に「外国人労働者が増えることについてどう思うか」と聞くと、「ゴミ出しのルールをちゃんと守ってくれるのか、ちょっと心配」と、なんだか「のんき」な答えが返ってくることもあります。もちろんゴミ出しも大事な事案ではあるのですが、「新たに日本にやってくる外国人」の話になると、いたるところで日本人側から「ゴミ出し」の話題が真っ先に出ることは少し引っ掛かります。いうまでもなく、外国人が日本にやってきて、ニッポン流のゴミ出しの仕方を覚えてもらえれば、あとは何の問題もない、という単純な話ではないからです。

それにしても「外国人受け入れ」の話が「ゴミの出し方の問題」と関連付けて語られがちであることからは、「新しく日本にやってくる彼らが、大多数の日本人に迷惑さえかけなければ良い。別に彼らに興味はない」という世間の空気のようなものが読んでとれるのではないでしょうか。

ドイツの二の舞にならないために問われていること

筆者の母国ドイツではかつて、トルコからの労働者を多く受け入れていました。今の日本と似ているのは、ドイツ政府もかつてはドイツにやってきたトルコ人労働者のことを「移民」と認めていなかった点です。今のドイツでは死語となっていますが、彼らはドイツで長期間にわたりGastarbeiter(ガストアルバイター)と呼ばれていました。直訳すると「お客さん労働者」という意味です。つまりトルコ人労働者は「一定の期間、ドイツで労働をしてもらい、その後はトルコに帰る存在」とみなされていたわけですが、実際には彼らの多くはドイツに留まりました。しかしトルコ人労働者の受け入れのスタートから約30年が経った1990年代に入ってからも、ドイツの保守政党は「ドイツは移民国ではない」と言い続けていました。

長期にわたりドイツで労働をしていたにもかかわらず、彼らに対して本来は必要であるはずの語学取得などの「移民としてのサポート」を国としてしてこなかったことが原因で、子供にドイツ語能力が足りず学校をドロップアウトしたり、職にありつけない外国人の若者を生み出すこととなり、ドイツは大きな代償をはらうことになります。またこれはトルコ系に限らないことですが、ドイツで育ちながら、イスラム過激派に共感する移民二世や三世がいることはドイツで大きな問題となっています。

今でこそドイツでは移民はもちろん、難民だと正式に認められた人を対象にドイツ語を学んでもらい、ドイツの法律および文化を学んでもらうための「インテグレーションコース」を実施し、彼らを単なる労働力としてではなく「ドイツ社会の一員」として受け入れようとしていますが、かつては違ったわけです。そしてその「かつてのドイツの姿」は「今の日本」と重なります。日本の政府も今、外国人労働者受け入れについて「移民政策ではない」としています。しかし「移民ではない」という言葉のもと、新しくニッポンへやってくる彼らの「生活者」としての立場を無視することは、よからぬ結果を招きかねません。

「令和」という新しい時代には、彼らを日本の社会の一員としてみなす姿勢が問われているのではないでしょうか。