日本各地の書店でいま在庫切れが目立つ漫画がある。一つは、劇場版アニメが日本での興行収入で歴代1位となった『鬼滅の刃』(英語名:DEMON SLAYER)。もう一つは『呪術廻戦』(JUJUTSU KAISEN)だ。人間の呪いの感情が生み出す「呪霊」と戦う呪術師の物語で、鬼滅の刃と同様に「週刊少年ジャンプ」発の人気漫画。昨年10月からのアニメ化でさらにファン層が広がった。第1期の放送は3月いっぱいで終了したが、その勢いから映画化も決定。同時進行で世界でも話題のアニメとなっている。
米国時間2月19日夕(日本時間同20日朝)、200以上の国・地域から約1500万人のファンが投票したアニメアワード各賞の発表イベントがオンラインであった。主催は、世界で約1億人が視聴登録するアニメコンテンツ配信の最大手クランチロール(本社・米サンフランシスコ)。2020年に日本でテレビ放送された作品の中から「アニメ・オブ・ザ・イヤー(大賞)」に選ばれたのが呪術廻戦だった。
「大賞受賞に歓喜しています。制作スタッフはいま最終話に向け一丸となり精いっぱい取り組んでおり、引き続きのご視聴をお願いします。呪術廻戦を応援してくれる世界中のファンに深く感謝を申しあげます」
イベントでは、呪術廻戦の朴性厚(パク・ソンフ)監督のコメントが英語で読み上げられた。また、「ベストアニメーション」を受賞した『映像研には手を出すな!』(KEEP YOUR HANDS OFF EIZOUKEN)の湯浅政明監督(ベストディレクターも受賞)は動画出演してあいさつ。「ベストファンタジー」受賞の『Re:ゼロから始める異世界生活2nd Season』(Re:ZERO-Starting Life in Another World-)からは、声優2人が今後の見どころを解説するなど、世界のファンを強く意識する日本アニメ界の姿勢が表れていた。
■海外ファンが育んだ世界市場
それには理由がある。日本動画協会の「アニメ産業レポート2020」によると、19年の日本アニメ市場は10年連続で伸長し、前年比115.1%の2兆5112億円で過去最高を記録。うち半分近い1兆2009億円(前年比119%)を海外市場が占めた。国・地域別では米国、韓国、台湾、カナダ、中国、香港、タイ、豪州、英国、フランスの順で北米やアジア、西欧が強いが、東欧や中東、アフリカ、中南米でもアニメが根付きつつあるという。デジタル社会の浸透などに伴い14年以降急拡大を始めた海外市場が、国内市場を逆転する日は近いと言われている。
19年からアニメの海外ファンを集中的に取材してきて実感したことがある。世界のアニメ人気は日本側が戦略的に仕掛けたというよりも、熱狂的な海外ファンたちが主体となって育み、支えてきた側面が大きい。
自国で日本アニメの入手が困難だったころから、海外の熱心なファンたちはあの手この手で情報入手に努めた。ほとんどが海賊版だった時期もあるが、ネットの普及で次々と交流サイトが生まれ、世界のファン同士を結ぶコミュニティーが育つ。その中から日本側と連携し正規契約の下でコンテンツを提供するサイトが登場。今では世界同時視聴を可能にするビジネスモデルを形成するまでになった。
クランチロールを始め、世界最大級の日本アニメのデータベースと言われる「MyAnimeList(マイ・アニメ・リスト=MAL)」など、海外ファンが出発点の巨大サイトや人気イベントが複数存在する。そこでは情報交換も盛んだ。
2月9日、筆者が会員登録しているMALから英語でメールが届いた。「2月14日、鬼滅の刃の新作映像『キメツ学園バレンタイン編』全4話がオンライン放送される」。この時、国内外のファンの間では、鬼滅の刃の続編が劇場版となるのかTVアニメ化されるのかが関心事だった。それが同放送内で発表される可能性があると、MALの海外ファンたちがいち早く騒いでいた。「21年内のTVアニメ化決定」と発表されると、MALのみならず海外アニメサイトや会員メールで瞬時に世界中のファンに共有された。
■世界各地に、キャラクターの魅力に精通した翻訳チーム
日本のアニメ関連会社や漫画の出版社などが海外向けに多国語で出す発表文を細かくチェックしたり、日本のアニメニュースを独自に翻訳したり、海外ファンが入手する情報の共有は驚くほど速く、しかも正確で非常に細かい。
最近よく話題にあがるのが、TVアニメ化が決定している漫画『チェンソーマン』(CHAINSAW MAN)だ。悪魔を駆除するデビルハンターの物語で、累計930万部突破の超人気漫画。英訳版も発売されている。物語の設定の魅力についての意見交換はもちろん、アニメ化する制作会社が呪術廻戦と同じ「MAPPA」であるとして、その高い作画能力や背景画の美しさなどを語り合う専門家のようなやりとりに脱帽した。
また、集英社が配信する漫画アプリ「少年ジャンプ+」で19年3月にデジタル連載が始まった『SPY×FAMILY』や、同アプリで20年7月に連載開始の『怪獣8号』(Monster#8)など、比較的新しい人気作品についても海外ファンたちはよく知っているから、すさまじい情報量だ。
日本では通常、漫画やライトノベルなどの原作が人気となってアニメ化につながる。一方、海外ではアニメを見てから原作を読むという傾向が強い。現在は多くの原作で多言語訳が出ているが、翻訳には時間がかかり、発売までには、どうしても日本と時差が生じる。アニメも多言語への吹き替え版の制作には時間がかかるが、日本とほぼ同時の配信を可能にしているのが、日本語でのオリジナル放送に瞬時につけられる多言語字幕の技術だ。
【関連記事】世界最大のアニメサイトが『呪術廻戦』を大賞に 瞬時に多言語翻訳、技術がすごい
この点について、クランチロールで海外展開を率いるブレイディ・マッカラム氏に話を聞いた。同社では、海外ファンの使用言語にあわせてアニメ各話を提供する作業を「ローカライゼーション」と呼び、世界の複数のタイムゾーン内に専用のチームを置いている。契約に基づき日本側から提供される各話の配信素材が届くのは、日本での放送数日前だったり、数時間前だったり、放送直後だったりするという。
最大8言語で素早く字幕をつけるため、各作品に精通した専任者をあてがい、各話の事前リサーチもしている。作品や登場キャラクターの魅力や雰囲気がオリジナルのまま伝わるような翻訳努力もしている。
オリジナリティーを重視して同時配信されることで、作品本来の魅力が海外ファンにそのまま届く。同時にキャラクターの声優やアニメの主題歌、さらにはアニメキャラになりきるコスプレなどにも人気は広がり、日本発で世界に浸透するサブカルチャーの裾野を広げていると感じる。台湾では、アニメを見て日本語を習得したという若者と何人も会い、日本語で取材することが可能だった。19年冬に取材したシンガポールのアニメイベントでは、ステージに立った日本のアニメソング歌手や声優たちの誰もが、同国のアニメファンたちの日本語能力の高さに驚いていたのが印象的だった。
■世界を見据え、新たな挑戦
世界中で日本アニメが話題となったことで、逆に向かい風も強くなっている。
1月下旬、ロシア・サンクトペテルブルクの裁判所が、「過激な内容を含むアニメが未成年者に自殺などの害を及ぼす」などといった検察側の主張を受け、『DEATH NOTE』や『いぬやしき』などの作品の配信を特定のサイトに禁じる決定を出したと、ロシアメディアが報じた。
過激表現が未成年者へ与える影響を理由にして特定のアニメ作品を禁じるのは中国でも同じ。国産作品を保護する国家的な政策もあって、19年4月からは規制が強化され、アニメ産業レポート2020でも「日本作品の勢力減衰が著しい」と動向を注視している。
また、欧米諸国では、アニメの性描写を「児童ポルノの温床」などとして問題視する傾向が強い。昨年2月には豪州の上院議員が特定のアニメ作品を名指しして、「児童の性的搾取」や「児童虐待」などと非難し、ニュースとなった。
世界には、アニメーションは基本的に子ども向けという常識がある。世界規模で劇場上映されるディズニーのような作品は、子どもによくない内容はもちろん、各地域の宗教や人種、習慣や文化などに配慮した物語設定を重視する。これに対し、日本のアニメは、暴力や性描写などにも寛容な大人向けの作品が多く、基本的な考え方で海外とは大きな溝が存在する。もちろん、日本国内にも懸念の声はある。大きなブームを引き起こした鬼滅の刃でも、鬼の首を切り落とすといった刺激の強いシーンについて、子どもに与える影響をめぐり賛否両論がでている。
描写がリアルすぎて過激なシーンがあることは否めないが、一方で、物語全体からは、家族愛や友情、正義感や思いやりなどが伝わり、深く考えさせる作品も多い。だからこそ、作品に涙したり、励まされたりする海外ファンが出てくる。クランチロールのマッカラム氏は世界でも「大人向けのドラマチックなアニメーションが主流になりつつある」と強調していた。
日本のアニメファンからは「だったら見るな」などという感情的な反応がSNS上では圧倒的だが、アニメ業界は「世界のアニメ」を意識して対応の模索も始めている。
例えば、作品のレーティング(年齢制限指定)の活用。鬼滅の刃の劇場版は、日本の映倫規定ではPG-12(12歳未満には保護者の助言・指導が必要)だが、4月下旬から上映開始する米国では、「暴力や流血シーン」を理由に、さらに厳しいR(17歳未満は保護者同伴が必要)がついた。
テレビアニメについても海外ではレーティングが当たり前。映画などの米インターネットデータベース「IMDb」によると、呪術廻戦のテレビシリーズは日本で自主規制によりR18+(18歳未満の閲覧禁止)となったと紹介されているが、英国では15歳未満、ドイツやスペインでも16歳未満が閲覧禁止となっている。いずれも「子ども向けではない」ことを強調したレーティングだ。
また、日本のアニメ制作会社など業界内では、外国人の監督やアニメーターの存在も目立つようになってきた。下請けに中国やベトナムなどにあるアニメ会社を使うだけではなく、業界内部も徐々に多国籍化しつつあり、海外ならではの価値判断や文化・宗教的タブーなどにもより気を配れる環境になることが期待される。
クランチロールなど海外の配信会社と相互連携することで、物語性や作品全体の雰囲気を損なわない範囲で翻訳を和らげたり、表現を調整したりして海外各地域の事情に則した形で作品を提供する技術も発展してきている。
世界各国の異なる認識や価値観も意識しつつ、日本アニメの特徴である大人ジャンルを定着させる工夫の余地はまだあるように思える。アニメが世界に与える影響力が強まったからこその新たな挑戦だ。