2年ぶりに戻ると、多くの知り合いは引っ越していた
団地の景色は一見すると、以前と変わらない。コロナ禍で外国人住民は300人ほど減ったが、今も全住民の56%を占める。ただ、私が住み始めた頃に知り合った中国人の多くは引っ越している。
王世恒さん(ワン・シーホン、46)は、武蔵小杉(川崎市)のタワーマンションを購入し、家族で団地を離れた。IT技術者の王はシステム開発などを請け負う会社を川口市で起業し、成功した。「日本に来て良かった。中国にいたら今もプログラマーの仕事をしていたかもしれない。今の中国では35歳以上でこの仕事を続けるのは大変です」と語る。中国ではITなど競争が激しい業界では、35歳ですでに高齢者扱いされてしまう。「35歳危機」の話は、団地の別の中国人住民からも聞いた。
芝園団地に住む中国人の多くは「技人国(技術・人文知識・国際業務)」という在留資格を持つIT技術者だ。都心より家賃は安いが通勤の便がよく、中国人コミュニティーがあるこの団地は、最初に住むにはちょうどいい「玄関口」だ。そして日本に住み続けることを選んだ人々は、数年間団地に住んだ後に別の賃貸物件に移ったり、住宅を購入したりするのが典型的なパターンだ。団地住民の郵便受けには、毎日のように近隣のマンションや一戸建ての広告が投げ込まれる。
芝園団地に中国人が住むようになったのは、1990年代と言われている。ただ、かつてと今では中国人が日本に住む理由は大きく変わった。1997年に来日し、2000年から団地に住んでいる斉彧さん(チー・ユイ、49)は、上海の国営企業で働いていたが、給料が安く転職を考えていたときに、日本でシステムエンジニアを募集している広告を目にして応募した。当時の中国人にとっては給与面で大きな魅力があった。「当時、日本経済は世界トップクラスだった。あのころは中国がこれほど成長するとは思っていなかった」と振り返る。
お金のメリット少なく 30年前なら1年で家が買えたが…
斉さんは「今では中国人のIT技術者にとっては、日本で仕事をする金銭的なメリットは昔より少なくなっている。中国での給料が30万円、日本では40万円だったとしても、外国で働くことの大変さも考える必要がある」と語る。
それでも斉が日本に住み続けるのは「慣れたから」だ。「23歳から人生の半分を日本で過ごしてきた。今から中国で生活をするのは大変です」
これまでは中国人を中心に技術者を採用してきた王さんも、若い世代の変化を感じている。「30年前なら日本で1年間働けば上海で家が買えたはず。けれど、日本の給料がその後も変わらない間に、中国は変わった。いま日本に来る若者の多くはアニメなど日本文化が好きといった理由が多い」と話す。
王さんの会社では人材確保が難しくなった中国人だけでなく、ミャンマー人の採用にも力を入れ、10人以上を雇ったという。
日本に住む理由として、中国の激しい競争社会の苦しさを挙げる人もいる。
芝園団地の日本語教室で知り合った中国人女性(32)は、2017年に夫婦で来日して団地に住んだ。子どもが生まれて昨年、隣の蕨市に中古住宅を購入した。
最初は中国に戻るつもりだったが、いまは日本に住み続けるつもりだ。日本の生活が気に入っている理由を聞くと、「お金が理由ではありません」と、子どもの幼稚園を一例に挙げた。
「娘は日本の幼稚園が楽しそう。中国のように厳しくない。兄の娘が通う中国の幼稚園は英語、ピアノ、レゴ、図工などたくさんのクラスがある。めいの母親は『クラスが多くて苦しい』と言っています」。中国の子どもたちには大学受験や就職など激しい競争が待ち構えている。
日本に住む理由を話すことは、いまの中国社会のあり方に疑問を投げかけることの裏返しでもある。
住民同士の雑談ならともかく取材となると口が重くなる。女性も匿名を条件に取材に応じ、最後にこう語った。「これは敏感な問題です。昔はもっと自由に話せたのですが」
日本人住民の受けとめ様々 「ふるさと祭り」開催めぐり模索
外国人住民が半数以上になって年月がたつが、今も日本人住民の受け止めは一様ではない。昔を懐かしみ変化をよく思わない住民がいる一方で、自治会や外部の大学生らが共生の取り組みを続けている。コロナ禍で停滞していたが、少しずつ催しなどを再開させている。
自治会では今年、コロナで中止していた夏の「ふるさと祭り」の再開も話し合っている。開催に向けて先頭に立つ竹川征樹さん(28)は「祭りをすることで新しい交流の機会が生まれれば」と意気込む。
一方で、会員の間では「自治会としての祭りはもうやめるべきだ」という意見も根強い。
自治会員の大半は日本人で、中国人住民の多くは自治会に入っていない。だが祭りにやってくるのは高齢化した日本人よりも中国人が多くなっていた。
このため「何のために祭りをやっているのか」という声が上がっていた。自治会事務局長の岡﨑広樹さん(41)は現状に合わせたあり方を模索する時期だと考えている。「自治会だけでなく、若い外国人やこの地域をよくしたいという思いを持つ人たちも含めて地域全体で取り組む形にしていければ」と話す。