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芝園育ちの記者、芝園団地に住む同僚と「分断と共生」の現場を歩く

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芝園の中華料理店を切り盛りする2人の女性。写真右がオーナーの王洪敏さん Photo: Oshima Takashi
芝園の中華料理店を切り盛りする2人の女性。写真右がオーナーの王洪敏さん Photo: Oshima Takashi

「家庭では日本語」の中国人も

「昔と変わっていないなあ」。JR京浜東北線の蕨駅西口に降り立ったときの感想だ。駅前ロータリーから北に向かうと、昔ながらの自転車保管所や居酒屋が目につく。ただ、周りを見渡すと、かつてあった不動産屋などのシャッターが閉まり、さびれた雰囲気も漂う。

今は人口の半分が外国人になった川口市芝園町で、私は4歳から18歳まで育ち、中学校までは芝園団地の中にある学校に通っていた。住んでいたのは芝園団地の隣の分譲マンション「芝園ハイツ」。このマンションを建てた建設会社のサラリーマンだった父親が、社員割引で買って移り住んだのだ。生まれは隣の西川口だが、芝園町は私のふるさとだ。

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高層の建物が並ぶ団地群 Photo: Ikenaga Makiko

駅から5分ほどで、芝園ハイツに着く。白い壁に茶色の屋根の外観は昔と変わらなかったが、1階の商店街を見てがくぜんとした。店舗が様変わりしていたからだ。

たとえば、こんな具合だ。

コンビニエンスストア→中国人経営のリサイクルショップ

喫茶店→中華料理店

化粧品店→八百屋

クリーニング屋→閉店

「こんにちはー」。一番駅に近いリサイクルショップに入ると、勢いのある日本語で話しかけられた。18歳の時に福建省から日本に移り住んだ、店主の鄭家芳さん(31)。天井や壁はコンクリートがむき出しで、洗濯機や冷蔵庫などが所狭しと並ぶ。

「商売? まあまあかなあ」

鄭さんによると、店舗の大家はシンガポール人。家賃は月40万円するという。団地の住民だけでなく、都内や千葉などにまで配達するらしい。「芝園団地の集客力はすごいんですよ。ネットで都内とかほかの地域の中国人にすぐに伝わる」。流暢な日本語ですらすら話した。

かつてここはコンビニエンスチェーン「サンクス」で、小学生の頃よく週刊少年ジャンプを買いに来た。当時、店の裏手でコンビニの店員が殺害される事件も起きた。事件について聞くと、鄭さんは「知っているよ。でも怖くない。ここで寝られるもん」と笑い飛ばした。「妻は中国人だが、3歳の娘とは家でも日本語で話す。娘は将来、日本人と結婚するかもしれないからね」。鄭さんのたくましさが印象的だった。

鄭さんが子供と日本語で話すというのが意外だった。芝園団地に住む親たちは、むしろ中国語教育に熱心だからだ。 小さな頃から団地で育った中国人の小学生は、日本語には不自由しなくなる。逆に中国語の読み書きを学校で学ぶ機会がなくなる。団地の中には、中国人の子供向けの中国語教室があるくらいだ。 鄭さんは、「いまの中国のことはもうよくわからないし、日本でがんばります」と言う。芝園町に住む中国人にも、一人一人いろんな人生がある(大島)

人口増なのに消えた母校

今回の訪問で何よりもショックだったのが、母校の芝園小学校が閉校になっていたことだ。団地に住む大島記者と共に、跡地を訪れた。思い出深い校門を入ると、右手に子どもの石碑がある。その土台に、文字が刻まれた鉄板がみえた。

「開校 昭和53年4月1日 閉校 平成20年3月31日」

校庭に入ると、グラウンドの端のタイヤの周りには、雑草が生い茂っていた。職員室の前の大きな木は、ジャングルのように建物をうっそうと覆っている。

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閉校した芝園小学校(手前)の校庭は、雑草に覆われていた。背後が芝園団地 Photo: Igarashi Daisuke

東京中心部から電車で30分ほどの川口市は、埼玉県のゲートタウン的な存在だ。私が移り住んだ1970年代後半に36万人だった同市の人口は、いまは60万人にまで増えている。40年で7割も人口が増えた街で、まさか自分の母校が閉校になるとは想像だにしなかった。

団地の中を歩くと、高齢化の現状が何となくみえてきた。

芝園団地は、巨大な壁のような建物が並び、1号棟から15号棟までに5000人が住む。大友克洋の漫画「童夢」のモデルになった場所でもある。

小学校に入学した80年代初め、団地は子どもであふれていた。私は今年44歳。団塊ジュニアの人口のピークにあたる。団地の中心部の広場で、暗くなるまでサッカーや野球で遊んだ。団地のほぼ各階に友達がいた。団地全体が大きな「長屋」のようで、仲がいい友達が密集して住んでいたことに、何とも言えない安心感を感じていた。

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団地に住む鈴木真知子さんと2人の子供たち。小さな子供がいる家族の多くは中国人で、日本人は少ない Photo: Oshima Takashi

だがいま日中の団地を歩いても、当時のにぎわいはほとんどない。平日の午後2時ごろ、隣町の小学校から下校する中国人の小学生ら10人ほどとすれ違っただけだった。「今日は宿題ないよー」「ちょっと待ってて」。中国人の子どもたちの日本語はなめらかだ。

五十嵐デスクを案内した日は平日の昼で、団地の広場には人気が少なかった。 ベンチに座っていた日本人男性(77)に話しかけると、「商店街もチャイナばっかりになった。さびしいね」。孫を遊ばせていた中国人女性に日本人住民との関係を聞くと、「広場で話していると、『うるさい』と怒鳴る日本人のお年寄りがいます」と語った。
ただ、翌日にはこんなこともあった。同じ場所で高齢の女性がしりもちをついたまま起き上がれなくなっていた。その場にいた若い男性が、近くで買い物をしている夫を呼びに行ったり、私と一緒に倒れた女性を起こしたりしてくれた。3月に団地に越してきたばかりという、中国人の会社員男性(28)だった。 日本人の高齢者が多い団地では、転倒事故が多い。私は住んで1年半で3回、こうした場面に遭遇した。団地の民生委員によると、助ける側も高齢者しかいないときは、起こすのも一苦労だという。 後日、この男性に「なぜあのとき、女性を助けたんですか?」と聞くと、こんな返事が返ってきた。 「自分も事故に遭って、日本人に助けられたことがありました。事故でパニックにおちいって何をすればいいかわからない気持ちは、自分は非常にわかります」(大島)

恩師との再会

団地の中心部にある喫茶店「のんのん」では、うれしい再会もあった。

地元の少年野球チーム「芝園イーグルス」時代、コーチとしてお世話になった赤羽良夫さん(84)。クリーム色のレトロな雰囲気の店の奥に座っていた。会うのは約30年ぶりだ。昔より白髪が増えたが、語り口はしっかりしている。

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五十嵐デスクが所属していた少年野球でコーチを務めていた、赤羽良夫さん(右)。いまも元気で、自治会の役員を務めている Photo: Oshima Takashi

当時、野球でミスをするとこわもての鬼監督にバットで尻をたたく「ケツバット」を食らったものだが、優しく慰めてくれたのが赤羽さんだった。芝園小だけで40~50人の子どもがいたが、今は近隣の複数の小学校の子どもをかき集め、「芝富士ゴールデンイーグルス」と名前を変えていた。今のメンバーは9人。「子どもがいなくてどうしようもない。中国人は野球をやらないからね。3年前に中国人が3人入ったけど、走らせたらすぐやめちゃったよ」

昔話に花を咲かせようと、同級生や当時のコーチの近況をたずねた。だが、「あいつはもう引っ越したよ」「○○コーチは亡くなった」などの答えばかり。残っている人はほとんどいなかった。

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五十嵐デスクが所属していた当時の少年野球チーム「芝園イーグルス」。かつては芝園小学校だけで40~50人の児童がいた

赤羽さんは、入居当初の話もしてくれた。「入るのも抽選でね。若い世代の会社員が一杯いたよ」。その頃の家賃は70平米の3DKで、月6万5千円。1980年ごろの初任給が月14万円ほどだったことを考えると、決して安いとは言えない金額だ。

 

赤羽さんの名前を、五十嵐デスクから聞いたときはびっくりした。赤羽さんは自治会の役員を務めており、かねてからお世話になっていたからだ。世界は狭いものだ。 赤羽さんが昔話をするとき、その表情はひときわ明るくなる。「昔の団地の祭りは本当にすごかったんだよ。歩けないくらい人が多かったんだ」と何度も聞いた。 それは、日本人住民が減ったいまの団地の現状を寂しいと思う気持ちの、裏返しかもしれない。 ただ、外国人住民まで含めれば、別の景色が広がる。中国人は野球はやらないが、サッカーやテニスのクラブでは、日本人と中国人の若者や子供が一緒になって練習をしている。芝園団地のテニスクラブのメンバーの一人は、「多文化交流が一番進んでいるのは、うちらじゃないかな」と語った。(大島)

故郷の味求める中国人住民のオアシス

かつて住んでいた芝園ハイツの1階、喫茶店だった店舗は、中華料理店になっていた。「酸辣粉」と書かれた赤い看板がかかっている。手書きのメニューは、「酸辣粉(サンラー春雨)600円」「手工凉皮(手作り冷やしうどん)500円」などと、中国語と日本語で書かれている。

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芝園ハイツにある、王洪敏さんが営む中華料理店のメニュー。ギョーザや王さんが「中国風ハンバーガー」と呼ぶ料理が並ぶ Photo: Igarashi Daisuke

大島記者と共に、おすすめという酸辣粉と手工凉皮を頼んだ。酸辣粉は、グレーの春雨の上に香菜がたっぷりかかり、いぶしたピーナツやスパイスの味がオレンジ色の酸っぱいスープと良く合う。都心で食べる中華料理と比べても、相当なおいしさだ。

店を切り盛りする王洪敏さん(39)は、日本に来て約10年。八百屋などでのアルバイトを経て、「料理が好きだから」と1年半ほど前に店を開いた。日本人の夫がおり、自宅は世田谷にあるが、店の切り盛りのため週のほとんどは団地の知人の家に泊まっている。

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太い春雨を使う酸辣粉。辛さは調節してくれる Photo: Oshima Takashi

「体調とかを優しく気遣ってくれる。ここでは情報交換もできるし、とても助かっている」。客として店にいた金貞延さん(39)は、流暢な日本語でそう話した。金さんはすでに日本在住16年目だが、日本語を話せない中国人にとっては歯医者で症状をどう伝えるかなど、生活の苦労も多いという。

「何回も来てくれるお客さんとはお友達になる」。客の多くは中国人だが、日本人もたまに来るという。食事をしながらあれこれ話をしていると、私も中国人の住民や料理への興味が湧いてきた。

今回の訪問では、地元のあまりの変わりぶりに寂しさがこみ上げたと同時に、高齢化と外国人との共生という、日本が直面する現実を見た気がした。それでも、王さんらと話しているうちに、故郷の行く末に一筋の希望もみえた。

大島記者が書いた分断と共生のルポ「芝園団地に住んでいます」