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芝園団地に住んでいます 記者が住民として見た、「静かな分断」と共生

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1号棟から15号棟までに約5,000人が住む。広場では祭りや餅つきなど様々な催しが開かれる Photo: Ikenaga Makiko, Oshima Takashi

私は埼玉県川口市の芝園団地に住んでいる。住民約5000人の半数あまりが外国人という、日本でも有数の外国人が多い地域だ。超高齢化社会と外国人住民との共生。日本の近未来の縮図とも言える団地から見えてきたのは、静かな分断と、それを乗り越えようとする住民たちの歩みだ。(文中敬称略)

日本の課題が詰まった団地

風が強いときはドアを閉めましょう!
风大时请将门关上!
私が住む棟の入り口にある貼り紙だ。団地住民向けの掲示は、どれも日中2カ国語で書いてある。

団地の入り口に貼られた貼り紙。日本語と中国語で書かれている Photo: Oshima Takashi

芝園団地は1978年に日本住宅公団(現在のUR都市機構)が建てた賃貸住宅で、約5000人が住む。1990年代から増えた外国人約2500人の大半が、中国人だ。201511月、芝園団地がほぼ全域を占める川口市芝園町の人口は、初めて外国人住民が日本人を上回った。
90年代は外国人は入居不可という賃貸物件も多かったが、公団の賃貸住宅は中長期の在留資格を持つ外国人も借りられるため、増えたとみられる。

都心から1時間足らずと通勤の便がよく、78年の完成当時は先進的な住環境が人気で抽選になったほどだ。だが日本人は高齢化が進んで減少。古くから住む住民の多く70代以上だ。現在は超高齢化と外国人住民との共生という、「課題先進地」となっている。

アメリカの移民問題、他人事と思えず

この団地のことを初めて耳にしたのは、2015年のことだった。当時から、芝園団地は一部では知られた団地だった。

団地群の中を歩く子供たち=池永牧子撮影

外国人住民が増え、ごみや騒音などのトラブルが絶えない「荒れた」団地。ネット上には、こんなイメージで語られる書き込みがいくつも見つかった。
その団地に引っ越したのは171月。家賃を節約するため、都内からの引っ越しを考えていた時期だった。ただ、この団地を選んだのは、ほかの理由もあった。

16年の秋、私は前年まで10年近く暮らした米国を再訪し、大統領選挙を取材した。
「(メキシコ国境に)壁をつくれ!」。オハイオ州の小さな町で叫ぶトランプと、熱狂する支持者たち。トランプ勝利に茫然自失となっているニューヨーク市民。それぞれの姿は、この国が根底から揺さぶられているのを痛感させた。

なかでも衝撃を受けたのは、パンドラの箱を開けたかのように、移民やマイノリティーへの嫌がらせや暴力事件が多発したことだ。
2人の子供が、アジア系の米国市民として現地で暮らす私にとっては、米国の移民問題は家族の問題でもあった。

米国取材から戻った後、芝園団地のことを思い出し、物件を見に行った。
頭の片隅には、ネットの書き込みが残っていた。たとえば、こんな匿名のつぶやきだ。
「移民入れろーとか言ってる連中も自分らが率先して芝園団地に住めってんだよ!っていつも思う」

共存しているけど交わらない

家賃77200円の1LDKでの暮らしが始まった。
団地内の小さな商店街には、中国人が経営する飲食店や雑貨店が並ぶ。行き交う人々の言葉も、日本語よりも中国語のほうが多く耳に入ってくる。

筆者の自室。畳の2DKを1LDKに改装した物件 Photo: Oshima Takashi

実際に住んでみると、建物こそ古さを感じさせるものの、敷地内はきれいに保たれている。少なくとも自分が住んでいる棟では、騒音が気になることもなかった。あまりに何も起きないので、拍子抜けしたくらいだ。
古参の住民に聞くと、ごみや騒音をめぐるトラブルは、この5年ほど徐々に減っているという。管理するUR都市機構や自治会が、住民向けの掲示を日中2カ国語にするなど取り組みを続けてきた。自治会長の韮澤勝司(73)は話す。

「中国人はこう、日本人はこうと両方つっぱっていてもしょうがない。両者が歩み寄ってきたということだよね」
その意味では、ネット上に飛び交う「トラブルが絶えない団地」という姿は、少なくともいまの芝園団地の実像ではない。

自治会長の韮澤勝司さん。「いろいろあるけど、昔と比べれば多少は落ち着いたんじゃないかな」 Photo: Oshima Takashi

ただ、日本人住民と外国人住民は、一つの団地に住みながらも、互いに交わることのない二つの世界で暮らしているようだった。
たとえば、団地に古くからある喫茶店は、客のほとんどが日本人だ。逆に、同じ商店街に並ぶ中国人経営の中華料理店には、日本人住民はほとんど訪れない。
国籍や文化の違いだけではない。若い中国人住民と高齢の日本人住民は、生活や家族構成も全く違う。

同じ空間に住むという意味では、日本人と中国人は、大きなトラブルもなく「共存」はしている。
しかし、互いに協力しながら生きることを「共生」と呼ぶなら、日本人と中国人は、共存はしても「共生」はしていなかった。

静かな分断。それが、住み始めたころに浮かんだ言葉だった。

この「もやもや感」の正体は

団地の中心部にある通称「たまご広場」。休日には多くの中国人の親子でにぎわう Photo: Oshima Takashi

日本人住民はどのような思いを抱きながら、ここで暮らしているのか。それが垣間見えたのが、夏に開かれた「ふるさと祭り」だった。
ふるさと祭りは、住民が手づくりで続けてきた団地最大の催しだ。2階建ての大きなやぐらを囲んで盆踊りをし、地元の住民や商店が出す露店が並ぶ。

2017年夏の暑い盛りに、広場で祭りの準備をしていた日のことだった。手伝っていた私に、自治会役員の一人が話した。
「祭りの準備に参加する住民の皆さんには、何のためにやっているんだろうという『もやもや感』があるんですよね」
日本人住民は高齢化が進み、祭りを楽しむ若い親子の多くは、自分たちの子や孫ではなく、中国人住民になっている。しかし祭りの準備や運営はいまも日本人住民だけが担っている。

日本人住民の「もやもや感」とは、中国人も祭りを楽しむのに、準備などの負担は日本人だけが負うことへの、割り切れない思いだった。似たような日本人住民の感情は、たとえば外国人住民の多くが自治会に加入していないことを巡っても、垣間見えた。

後日、思わぬ形でその言葉を思い出す場面があった。祭り最終日の夜、住民が広場のテーブルや椅子を片づけ始めたときのことだ。
広場では、ビニールシートを敷いて宴会をしている何組かが残っていた。私は椅子を運びながら、そのうちの一組の中国人に、「ちょっと動いてもらっていいですか」と声をかけた。片付ける動線に近く、よろけるとぶつかりそうだったので、1メートルほど下がってもらえないかと思ったのだ。

だが、倉庫から戻ってきてもグループは同じ場所にいた。
それを見た瞬間、自分の心の中にも、「少しぐらい後片付けに協力してくれてもいいのに……」という気持ちが芽生えたのだ。

芝園団地内の商店街には、中国系の飲食店が並ぶ Photo: Oshima Takashi

立ち止まったとき、米大統領選挙のときに取材した、アンディ・サリバンという工事現場監督を思い出した。
ブルックリンの下町育ちでトランプ支持者のサリバンは、「移民が増えてこのあたりも変わってしまった」と嘆き、「俺たちの税金」で成り立つ福祉に、不適正なやり方でただ乗りする移民がいると訴えた。米国での福祉サービスの不適正受給は移民に限った問題ではないが、彼の怒りは特に移民に向けられていた。

団地住民の「もやもや感」が大きくなっていけば、いずれサリバンが抱くような外国人への反感につながるのではないか? こう考えたとき心の中に動揺が広がり、自問した。
米大統領選挙で起きたことを目の当たりにした自分は、少なくとも「トランプ的な世界」とは別の世界を望んでいたはずだ。

しかしいま、私は自分の心の奥底に、トランプの影を見てしまったのではないか。

郷に入れば郷に従え?

地域活動への参加や自治会の加入を巡るいざこざは、日本人と外国人に限らない。日本人同士でも、古くから住む住民と「新住民」との間でこうした問題は起こりがちだ。
ただ外国人との場合は、より「我々(日本人)対彼ら(外国人)」という対立的な構図になりがちだ。

日本人住民の「もやもや感」は、ほかにもあった。
たとえば、団地の商店の多くが中国系の店になったことに、複雑な思いを抱く古参住民は少なくない。この場合の「もやもや感」は、「自分たちの団地」が急速に変わっていくことへの、戸惑いや不安だろう。
この「もやもや感」は、目に見えないが静かに充満するガスのように、危険なものに思えた。
誰かが煽って火をつければ、外国人への反感は一気に広がりかねない。それは実際に、トランプのアメリカや、反移民を掲げる政党が勢力を伸ばす欧州で起きていることだ。

2017年夏に芝園団地で開かれた「ふるさと祭り」の様子。太鼓の演奏を聞きに、多くの住民が集まった

一方で、団地に古くから住む住民には、中国人に地域の活動への参加を呼び掛けることへの、ちゅうちょも見えた。
祭りの準備で一番の力仕事は、やぐらの組み立てだ。高齢化が進み、昨年の参加者は往時の半分ほどに減り、「やぐらもあと何年組めるかなあ」という声が漏れた。
ときおり、広場を通る中国人住民が立ち止まって作業を見つめる。だが、日本人住民が彼らに「手伝って」と声をかけることはない。

このような場面に何度か接するうちに、私は「郷に入れば郷に従え」という言葉について考えるようになった。
これは、外国人住民について語るとき、日本人がしばしば口にする言葉だ。だが、私たちはそもそも、外国人住民を郷に「入れて」いるのだろうか。
「地域の活動に参加するべきだ」「ルールを守るべきだ」と思っていても、私たちは同じ住民として彼らを受け入れ、思いを伝えあっているのだろうか。

それは、祭りの夜に「もやもや感」を抱いた、自分自身にもあてはまった。
「一緒に片付けに協力してほしい」という気持ちを伝えないまま、「もやもや感」を私が抱いていたことなど、あの中国人のグループは知る由もなかっただろう。

洗濯機の落書き

一方の中国人住民たちは、どのような思いで団地に住んでいるのだろうか。

団地に住む中国人は、20代後半から40代前半までの、比較的若い世代が多い。

中国人の王麗朋さん(33)。妻と去年生まれたばかりの子供の3人で暮らすIT技術者。「中国の店があるので便利です」と流暢な日本語で話した Photo: Oshima Takashi

特に多いのが、IT技術者だ。数カ月から長ければ数年単位で、派遣先の企業で働く。専門技術を持つ人材として日本政府が受け入れ、IT業界の労働力不足を補う存在だ。
団地の広場は、休日ともなればこうした中国人の親子でにぎわう。
妻と4歳の男の子の3人で昨年越してきたIT技術者の佟海軍(40)は、「妻はまだ日本語があまり話せないので、中国人が多いここなら安心するだろうと思って決めました」と話す。

佟のように、多くの中国人にとっては中国人コミュニティーがあることが、この団地の魅力となっている。
芝園団地は賃貸なので、数年住んで、子供が小学生になるといった節目で引っ越す中国人住民が多い。日本人住民との交流が生まれにくい、構造的な要因があるのだ。
地域の活動や自治会への参加についても、「中国には自治会のような組織がないので、なぜ会費を払って入らないといけないかがわからない」と習慣の違いを口にする中国人住民もいる。

お互いが交じり合わない中で、緊張が生まれるときもある。

団地でいまも問題になっているのが、粗大ごみの処理だ。処理費用の納付券が貼られていない家具や電化製品が放置されていることがある。
昨年5月のある日、放置されていた洗濯機の上に、こんな落書きがされていた。

不法投キ 支那人

数日後、「支那人」の上に線が引かれ、「日本人」と上書きされていた。
日本人住民の中には「中国人がルールを守らない」という声がある。ただ、外部から粗大ごみを持ち込む車も夜中に目撃されており、中国人住民だけとは断定はできない。

「日本人」という上書きは、すべて自分たちのせいにされることへの、中国人住民の反発かもしれなかった。

橋をかける

団地では、こうした「静かな分断」を乗り越えようとする取り組みが続けられている。
その一つが、大学生のグループ「芝園かけはしプロジェクト」だ。

団地の住民と、どのようなイベントをするかアイデアを出し合う「芝園かけはしプロジェクト」の学生たち Photo: Oshima Takashi

15年に発足し、最初のイベントでは、差別的な落書きがあった団地のベンチを、日中住民で塗り替えた。現在は定期的に、交流のイベントを開いている。
今年4月、団地の集会所で開いたのは、住民自身が次にどんなイベントをやるか、意見を出し合うという会だった。

差別的な落書きが書かれていたベンチを、「かけはしプロジェクト」の学生と住民が塗り替え、アート作品に変えた Photo: Oshima Takashi

「まずは自由に、やりたいことをどんどん書き出していきましょうか」
食べ歩き、語学教室、卓球大会……。学生に促され、集まった10人ほどの住民が付せん紙に書き出していった。
「交流のイベントそのものだけじゃなくて、どういうイベントをやるか一緒に考えるというプロセスが大事だと思います」と代表の圓山王国(25)は語る。

団地の自治会も、学生たちと二人三脚で取り組む。学生との協力や、外国人住民との交流で中心になっているのが、事務局長の岡﨑広樹(36)だ。
岡﨑は、三井物産を辞めて松下政経塾で学んでいた14年、日本人と外国人の関係のあり方を考えるため団地に引っ越し、以来住み続けている。

「一人でも知り合いとか話をしたことがある人ができると、『中国人が……』という言い方をあまりしなくなる。つながりをつくることによって民族とか国家間の問題になりにくくなるし、そういう関係性をつくっていくのが交流の意味だと思います」と語る。

2017年夏のふるさと祭りで「かけはしプロジェクト」が企画した風鈴。日本語と中国語で書かれた、団地の住民たちのメッセージがつるされた Photo: Oshima Takashi

団地はいま、学生が懸け橋となって日中住民が多文化共生に取り組む場として、新聞や雑誌、テレビに頻繁に取り上げられるようになっている。自治会は今年、埼玉県や国際交流基金から表彰された。
ただ、「自分たちと関係のない所で一部の人たちがやっているだけ」と冷めた目で見ている住民がいるのもまた、現実だ。

異なる集団同士で接触が増えると相手への偏見が減るという考え方は、社会心理学で「接触仮説」と呼ばれる。ただし、接触することで対立が激しくなる場合もあり、接触仮説が成り立つには、ともに活動することが双方の利益になるような関係にあるなど、いくつかの前提条件が必要とされる。

団地での生活が5年目に入った岡﨑自身は、こう語る。

「いまの課題は、外国人との交流に関心がない人たちにも、いかにつながりの輪を広げていくか。いろいろやってきて分かったことの一つは、頭で理解してもらおうとして言うだけではだめだということです。感じてもらわないと」
その言葉は、岡﨑自身にも言えることだった。外から頭で考えて発信する人間とは違う説得力が、岡﨑の言葉にはある。

変化への適応は時間もかかるし、ときに痛みも伴う。しかし日本人住民だけでは、祭りなどの催しも、団地そのものも存続は難しいかもしれない。
一方、外国人と共に取り組めば、時代とともに形を変えて、祭りは続く可能性がある。

芝園団地に、今年もふるさと祭りの夏がやってくる。
今年は、「一緒にやぐらを組み立てよう」と、団地で知り合った外国の隣人たちを誘ってみよう。

  

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