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「公害は経済発展につきもの」は、もう古い

ニューヨークタイムズ・マガジンから
Tim Enthoven/The New York Times

What Does It Take To Stop Accepting Pollution as the Price of Progress?

 

20年以上前、初めて「公害難民」という言葉を聞いたのは、私がメキシコ市に住んでいた時だった。自宅の庭には、バラとブーゲンビリアが咲いていたが、常に煙霧に覆われていた。当時、メキシコ市の大気は鉛やオゾンといった化学物質に汚染され、スモッグの中を飛んでいた鳥が死んでしまうような状況だった。私自身も、何試合かバスケットボールをしただけで、ぜんそくのような咳に襲われていた。同市に移ってから1年以上たった頃、貴重な青空の日に、初めて、頭上にそびえるポポカテペトル山を見ることができた。翌日はまたスモッグに覆われ、その後、同市を離れるまでに再びこの山を拝めたのはわずか1度だけだった。

同じ頃、1990年代のインドの首都・ニューデリーも同様の問題を抱えており、政府は大気汚染による危機を予測し始めた。ただし、一歩先に出たのはメキシコ市のほうだった。その後の20年間で様々な対策を実施し、大気汚染を50%以上も削減することに成功したのだ。現在では、ポポカテペトル山を見られることも驚きではなくなった。

デリー首都圏の行動計画も、同じような長期政策の実施を求めるものだったが、そのほとんどが実施されないままとなってしまった。その結果、20年以上を経た現在では首都圏を覆う有害な大気の層が非常に厚くなり、デリー首都圏のアルビンド・ケジリワル首相ですら、自らの地元を「ガス室」と呼んで酷評していたほどだ。

熱狂的なクリケットファンが多いインドで、何よりも、人々の注目を集めたシーンがあった。昨年12月初めに、デリー首都圏で開催されたテストマッチがテレビで全国放送された際、スモッグで体調を崩したスリランカの選手が、芝生の上で前屈みになり、嘔吐したのだ。試合はインドがスリランカに圧勝したものの、3回にわたって中断し、文字通り大気汚染が影を落とす結果となった。この試合が「人々の目を覚ますきっかけ」になった、と研究者は言う。

石炭による産業化時代が到来して以降、大気汚染は、経済成長に伴う避けられない副産物だと考えられてきた。当時、工業都市の住民たちは、すすやスモッグを吸い込んでしまう危険性をほとんど知らなかった。むしろ、多くのロンドン市民が「黄色の濃霧」を発展と繁栄のシンボルとして誇りに思っていたのである。

近年では、北京が大気汚染に襲われる都市を体現していた。そして今、インドがその役目を負っている。デリー首都圏に拠点を置く科学・環境センターの研究員ウスマン・ナシムによれば、過去2年間、デリー首都圏で大気汚染レベルが世界保健機関の安全基準を満たしたのはわずか8日間だけ。しかも最近のデータは他の国内4都市の方がPM25の平均レベルが高いことを示唆している。

公害は「発展の代償」だとする考え方は、途上国においても古い論理とみなされるようになった。国のイメージが低下し、人材や観光客、投資家を呼び込むことが困難になるだけではない。大気汚染によって、多額の医療費支出、労働力や農業活動における多大な損失、そして多くの人々が早死にする可能性が生じる。世界銀行の推測によればインド経済では毎年少なくとも550億ドル相当の労働生産が失われているという。

中国政府が突然、2014年に「公害と戦う」と宣言したのにも、有害なスモッグだけではない要因があった。景気の減速、身体機能を奪う石炭中毒、生活の質の向上を繰り返し訴える中産階級の存在だ。何より、経済的側面が大きかった。環境保護省による推測では10年の大気汚染による経済損失は約2270億ドル、GDPのおよそ35%だった。

大気汚染は、この先何年も、アジアの二つの巨大首都を悩ませる問題となるだろう。私たち家族は、3年前に北京から上海に引っ越していた。上海にも大気汚染は発生していたが、北京よりはましな状況だった。昨年後半には中国を離れ、汚染の少ないアジアの都市へと移った。ここでは毎朝、窓の外の木の上でさえずる、熱帯地方の鳥の鳴き声で目を覚ましている。私たちが公害からの逃亡者だというなら、喜んでそう名乗ろう。

(ブルック・ラーマー、抄訳 河上留美)©2018 The New York Times

Brook Larmer

バンコク在住の寄稿記者。