歴史の「書き換え」教育が始まる
ある男性は妻と離婚して今年1月に脱出し、キーウにたどりついた。現地の学校では「歴史の書き換え教育が行われており、『この戦争の英雄』の写真まで掲げられ始めた」と証言。兵士の夫が捕虜としてロシア国内の収容所に拘留されているという女性は「子どもたちが精神的なショックで深刻な状況に陥っている」と話し、涙を流した。
私は3月6日~15日にかけてウクライナを訪れ、多くの市民に直接取材し、戦時下の生活やロシア軍の侵略の実態について話を聞いた。
首都キーウにも、マリウポリから避難してきた多くの住民が暮らしている。国内各地には篤志家や人権団体の寄付をもとに設置した「私はマリウポリ」という名称の避難民のための支援センターが設置されており、キーウでは中心部のビルの一角に居を構えていた。
3月11日の日曜日、キーウに長期滞在している多くの住民が支援センターが供給する食糧や衣料などの物資を受け取りに来ていた。
全国17カ所あるうち、約2万人が登録しているキーウ本部は組織の最大拠点。組織のオレナ・カレイタン代表はこの組織の性格や現状についてこう説明してくれた。
「ここには、着の身着のままでマリウポリから脱出してきた人たちが訪れます。ボランティアの専門家が従事し、あらゆる支援が受けられ、住居の提供や職場のあっせんもします」
キーウ市内に長期滞在するのに必要な法律・行政手続きの相談ルームの前には長蛇の列。施設内には子どもの託児所やロシア語住民のためのウクライナ語レッスン教室、さらに、診療所や心理カウンセラーによる治療室まで用意されている。
休日になれば避難民の心が休まるようにと、舞台劇やスポーツなどのレクリエーションイベントなどが行われているという。カレイタン代表は「この施設にいる人たちはすべてがマリウポリ市民で、私たちはまるで一つの家族のような関係です」とも言った。
街の9割破壊、10万人なお居住
マウリポリは3月から5月までの激しい戦闘で街の9割が破壊しつくされた。地下シェルターに籠城し、ウクライナ軍が最後まで抵抗したアゾフスタリ製鉄所の戦いは世界中に報じられた。戦闘前に45万人いた人口は激減し、大多数の人たちが街を去った。ウクライナ側だけでなく、ロシア側に避難した者もいる。
ロシア政府は9月にマリウポリを含むドネツク州など東部・南部4州に住民投票を実施。大多数の住民がロシア連邦に組み込まれることに賛成の意を示したとして、一方的に併合した。
プーチン政権は再建計画を発表し、今、多くの建設労働者が大挙として街に押し寄せている。砲弾を受けた建物は跡形もなく取り壊され、空爆を受け、中に避難していた多数の住民が死亡した劇場も解体された。ウクライナ議会幹部からは街を一掃することで「ロシアは自らのおぞましい戦争犯罪の痕跡を失くそうとしている」と非難している。
マリウポリには現在、10万人以上の人たちが街に居住しているとされる。ほとんどがロシア併合後の体制を受け入れているとみられるが、カレイタン代表によれば、多くの親ウクライナ系の住民がおり、厳しい監視下に置かれているという。
「彼らが自分たちの考えを明かすことは、自殺行為。生命の危機が及ぶ。現地ではいま民主主義はまったく存在していない。親ウクライナ系住民は今、ニュースを読んで事態を把握し、息をひそめるように暮らしている」
運よくウクライナ側に脱出できた住民は、現地に残る家族や親戚、友人らとテレグラムなどのSNSを通じて連絡を取り合い、安否を確認しているという。
「会話が傍受されていることがわかっているので、個人的な話は一切しない。私たちは天気の話をするのです。SNSでもメッセージを書き込めば、すぐに抹消している」(カレイタン代表)
多くの避難民が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱え、お互いに助け合って生き長らえている。PTSDは子どもの方が症状が重いという。
キーウに子ども3人と義母と一緒に逃れてきた28歳のエフゲーニアさんは「最近、子どもたちの口数が減り、私の言うことも聞かなくなってきた」と打ち明けた。
昨年4月から音信が途絶えた兵士の夫の安否はなおもわからない。ロシア国内の収容所で捕虜として拘束されているとも伝え聞くが、定かではない。このまま生き別れになるのではないかと思い、不安と悲しみが胸を襲う。
「5歳の長女が『私にはママしかいない。パパは私たちを愛していないからもう家にはこない』と思っている。私はこの状況を子供たちにどう説明したらよいかわからない。娘は『銃を手にしてロシア人を撃ったらいい』とまで言い始めている。私もPTSDを抱えているが、子どもたちはもっと深刻な状態に陥っている」
マウリポリに残る妹は地元政府やロシアのメディアが盛んに流すプロパガンダに毒され、「マリウポリはロシアの国に属し、自分はロシア人だと感じていると言い始めた」という。
エフゲーニアさんはかつての美しいマリウポリの街並みを思い出し、望郷の念にかられる。「まるで劇場のような街でした」。戦闘で街が焼かれ、多くの人たちが殺害された。略奪は続き、地元政府は6カ月以上、所有者が返ってこない空き家は処分すると言い出していることにも失望している。「家族と一緒に過ごしたマリウポリが恋しい」と言って、涙を流した。
今年1月にマリウポリを去った39歳のアレクサンドルさんは、運送業者らに大金を払って、ロシアの国境を越え、バルト三国やポーランドを通って、キーウにたどり着いた。妻と9歳の息子とは別れて出国した。
「私はもともとウクライナの国家の下で生きてきた。マリウポリでは充実した日々を送っていた。いつもウクライナ政府を支持しており、他の考えはない」と打ち明ける。
占領下のマリウポリでは建設労働者として働いた。砲弾を受け、大きな穴が開いた自宅は修復されず、暖房も壊れたままで、冬になると「外の通りと同じように」寒気が襲ってきた。
体調が悪化し、救命搬送されたが、収容する病院は受け付けられないとしてたらいまわし。ようやく9番目に訪れた病院で入院することができたものの、満足な治療は受けられず、自分で高価な薬を購入し、ようやく回復したのだという。隣のベッドには2日前に亡くなった患者がそのまま放置されていたのも目撃した。
占領地の学校ではいま、ロシアの愛国教育が施されている。歴史の書き換えがなされ、学校にはロシア軍で戦死した「この戦争の英雄」の写真がかけられ始めたという。プーチン大統領の肖像画まであるという。
「街に残る全ての人々にとって、マリウポリで起こっている混乱の全てを認識することを迫られています。一番怖いのは子どもたちがこの戦争をどうみてるのか、どういう影響を受けてるのかです。全ての子供たちが私たち大人と一緒に同じ環境にいますから」
アレクサンドルさんはキーウでの滞在を始め、「自由」を感じている。占領下のマリウポリでは自分の考えを言うことはできない。「私は今、ウクライナで暮らしている。私は自分の祖国に生きているのだ」とはっきりと明言した。
プーチン氏の訪問時、投げかけられたやじ
プーチン大統領が18日、マリウポリを電撃訪問した。地元住民と会って会話を交わしていた際、「真実ではない。全て見せかけだ」などとする抗議の野次を浴びせられていた。
証拠となった動画には、大統領の随行団がやじを飛ばした人物を特定するため、素早い行動を起こす場面も収められていた。
野次を発した人は、厳しい監視下に置かれ、命がけの抵抗だったはずだ。追っ手から逃れ、今も無事であることを祈らずにはいられない。