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先天性無毛症の元サッカー日本代表・田坂和昭さん、髪がないのは「普通の個性」

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元サッカー日本代表の田坂和昭さん=大牟田透撮影

2歳で髪や眉毛が抜け始め、治療も

生まれたのは広島市の郊外です。2歳で髪の毛や眉毛が抜け始めたと聞いています。幼稚園でものごころついたときは、ほとんど髪がありませんでした。

大好きだった広島カープの野球帽をずっとかぶっていました。髪の毛がないという人がなかなかいなかったので、劣等感じゃないですけど、人目をものすごく気にしていました。外に出るのもなかなか嫌でした。

でも「見られるのが嫌」というのは親には言いませんでした。良い悪いは別にして親に怒られた記憶があんまりないんです。親が自分に気を遣っていると感じていて、子どもながらに心配を増やすまいと思っていたんでしょう。

母親が気にしていて、いろいろな治療を受けました。小学校に入るまでは何とか治療をしてやりたいという気持ちがあったそうです。同じように髪のない子が何人かいて、母親が情報を得てくるわけです。家族旅行を兼ねて、九州など広島県外にもかなり行きました。

僕自身は病院は嫌でした。押さえつけられて頭に痛い注射を打たれたり、パーマの機械をかぶらされて暑かったり。クシでたたくというのも痛くて。効果はいっこうにありませんでした。

幼稚園は近くの知ってる子ばかりだし、心配だった小学校もそれほどではありませんでした。3歳上の姉が周囲の子に言ってくれたり、先生も気に掛けてくれたりしていたと、後で聞きました。

幼い頃から足が速く、球技も得意でした。小学校3年生になって地域のサッカーチームに入ったら、1カ月ほどで6年生チームに入れと言われました。

でも、地元以外での試合には行かなかったんです。親には試合に行くと言って、どこか違うところへ遊びに行って夕方に帰ってくる。逃げていたんです。親にも連絡はあったと思うけど、何も言われませんでした。

リフティングする田坂和昭さん=大牟田透撮影

ところが、あるときコーチから「明日の試合に出る選手に渡すから、自分で持ってこいよ」とユニホームを渡され、行くしかないと思ったんです。

案の定、相手チームの知らない子たちはじろじろ見たり、直接言葉にしたりしましたが、「じゃあ、おれのボール取ってみろよ」と言い返しました。

そこで腹が決まったじゃないですけど、もうサッカーで負けるのは絶対嫌だと。それから地元以外の試合にも行くようになりました。

「サッカーで見返してやる」

広島では「髪の毛がない田坂」と知られるようになっていきました。でも練習以外ではずっと野球帽をかぶっていました。それが5年生ぐらいのときに、パッと思ったんですよ。俺このままずっと帽子かぶって生きていけるのかな?スーツで帽子かぶっている人はいないしなって。

だったらサッカーで有名になるしかないなと。それで、負けないように練習したんです。

広島の小学生選抜チームに選ばれて全国大会に出たときも、じろじろ見たり露骨に言ったりするやつもいたけど、それこそサッカーで見返してやれと思って、20人ぐらいの大会優秀選手にも選ばれました。

そうしたら中1で全国選抜の練習会に行ったとき、四国から来たコーチに呼ばれて言われたんです。「お前は絶対有名になれ。髪の毛がなくて悩んでる人たちの代表として頑張れ」って。

子どもだから有名になるには高校サッカー選手権でテレビに出るしかないと思って、静岡県の強豪校に進んだんです。実際にはその「野望」こそかないませんでしたが、サッカーで有名になるっていうのは徐々に階段を踏んで確実に成長してきたと思います。

ただ、無毛症のことは学生時代もあまり口にしませんでした。

変わったのはプロになってからです。ベルマーレ平塚に入ると、髪の毛がない子どもを持つ親御さんから髪がないことについて手紙や問い合わせが来るようになったんです。

オンラインでサポーターの質問に答える田坂和昭さん=大牟田透撮影

「気を遣いすぎると子どもが敏感になっちゃうから、普通の個性だよって言ってあげる方が良いと思います」と答えていました。

帽子をかぶった子どもを連れたお母さんが試合を見に来て、「励まされました」と言われたときには、役に立ったかなと思いました。

いま、高1、中1の娘と小3の息子がいます。

実は結婚して子どもができたとき、少し心配だったんです。そうしたら妻に「だから何? それで生まれてきた、それでいいじゃない」と言われました。強いですよね。

今は髪の毛がなくても、少し変わった個性と受け止めてくれる社会になればいいと思っています。