矢野経済研究所による調査では、2020年度の国内のヘアケア市場規模は約4537億円。半分はシャンプーなどのヘアケア剤だが、次いでウィッグや増毛などの毛髪業市場(24.5%)、植毛市場はまだ1.1%だ。
最先端のウィッグはどこまで進んだのか。
フィリピンの首都マニラから北へ約100キロメートル。米空軍基地跡を再開発して造られた経済特別区クラークに、アデランスの工場がある。
同社は海外でも約280店舗を展開し、グループ全体の売り上げ(小売りベース)は世界トップクラスという。オーダーメイド品を作るこの工場の製品は日本だけでなく、アメリカやフランス、ドイツ、スウェーデンなどにも出荷されている。
明るい工場には、空調の音だけが響いていた。ピンクのポロシャツを着た女性たちが何人も机に向かい、脇目も振らず、目の前の「頭」に集中している。話し声もせき払いも聞こえない。
左手には「髪の毛」の束が、右手には先端がL字になった工具がある。
工具を「頭皮」の小さな穴に通すと、そこに左手の指から送り出した毛を引っかけ、穴をくぐらせて結びつける。それが速い。毛糸の編み物を3~4倍速で見ているようだ。
作業が進むにつれ、完成形が見えてくる。緩いカールの「黒髪」で、ところどころに白いものがまじる。少し年配の男性向けだろうか。
工場に白い帽子のようなものが並んでいた。「フィッター」と呼ばれる依頼主の頭をかたどったもので、つむじの位置や分け目などが書き込んである。
フィッターをもとに、石膏(せっこう)の頭を作る。石膏に細かいメッシュのネットや人工皮膚タイプの「ベース」をつけ、そのベースに毛を植える。これがざっとした工程だ。
ネットは厚さなどが細かく異なり、オーダーメイドなら60種以上から選べるという。人工皮膚タイプは、向こうが透けて見えるほど薄く、伸縮性もある。
約1150人が働く工場で、700人弱が毛植え工程に携わる。「毛植えは職人技です。出来の良しあしに直結する最も重要な工程です」と製造部長の菊地伸也さん(48)。
人の髪は、場所によって生え方に違いがある。上に向かっているもの、寝ているもの。その違いを結び方や結ぶ位置で表現する。
製造部副部長の前田マーカスさん(29)は「ちょうちょ結びを考えてください。人それぞれ癖があってヒモが少し浮いたり、方向が違ったりしますよね。ああいう感じを生み出すんです」。
さらに、頭頂部と生え際では異なる太さを使う。日本人なら、80マイクロメートル(1マイクロメートル=1ミリの1000分の1)と、60マイクロといった具合だ。
ある女性スタッフの手元にあったウィッグの毛植え面積は約250平方センチメートル。1日で進むのは名刺1枚ほどだという。
工場では、1カ月に規定以上の面積を達成すれば追加の報酬を出している。半年間のトレーニング期間に辞めてしまう人も多いという、根気と丁寧さが求められる仕事だ。
ディナ・バルサガさん(29)は毛植え歴約5年。「最初はきつかったけど、今は慣れました」。働いて、家族と住む家にエアコンとテレビを買いたいという。
思えばウィッグは不思議な製品だ。精緻で繊細であり、かつ「自然さ」も必要とされる。今はファッションのためにつける人も増えているが、多くは薄毛をカバーしようと注文する。自分では確かな変化(増毛)を目で見たい一方、「他人には気づかれたくない」という意識も働くようだ。
かつては、毎日装着し直すタイプが多かったが、今は連続装着タイプが主流という。つけたままシャワーを浴び、そのまま寝る。寝癖もつくが、それがまた自然で良いという。月1回程度、同社のサロンで自毛のカットとウィッグの手入れをしてもらう際に外すくらいだ。
フィリピン工場の社長でもあり、アデランス生産本部本部長の千藤伸一さん(55)は「頭の丸みを正確に再現します。コンタクトレンズと同じで、自分でもつけているかどうか分からなくなるくらい」。価格は大きさなどによって変わるが、男性向けで人気なのは、月々2万円前後を払い、年二つのウィッグを受け取るプランという。
「自然」を目指すのは、製作工程だけではない。同社は人毛、人工毛、両方ミックスのウィッグを手がけるが、「8割くらいは人工毛の製品」と千藤さん。
「人毛を超える人工毛」を目標に1983年から研究を続ける同社。10月20日(「とう」「はつ」の日)から提供が始まった新たな人工毛「サイバーエックス」は、1991年から同社の主力を担っていた「サイバーヘア」の後継として同社が期待をかけている素材だ。
サイバーヘアはナイロン製で、簡単に切れず、製造段階で熱を加えておくことで形状を保持しやすい。千藤さんによれば、自分で洗えて、乾かせば元の形になるメリットは大きく、同社の躍進を支えてきた。
新素材「エックス」は見た目の自然さに加え、「よりハリとコシをもたせ、立ち上がりを人毛に近づけた」と開発を担当した佐藤駿祐さん(31)。千藤さんは「機能性では人毛を十分超えてます」と断言する。
ところで、フィリピンで薄毛はどう思われているのだろう。工場の稼働当初から勤める品質担当のフロデリサ・カビリンさん(47)は「男の人は普通のことだと思っているのでは。日本のようなウィッグ文化もないし、買うお金もない。気にしていないと思います」。一方、毛植え担当のディナさんは少し考え、「(もし彼が薄毛になったら)ウィッグをつけて欲しいかな」と答えた。