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ミャンマーで収監の久保田徹さん釈放 背景にミャンマー軍の苦しい事情、宇田氏が分析

揺れる世界 日本の針路 更新日: 公開日:
帰国し、報道陣の取材に応じるミャンマーで拘束されていた映像作家の久保田徹さん
帰国し、報道陣の取材に応じるミャンマーで拘束されていた映像作家の久保田徹さん(中央)=2022年11月18日午前6時28分、羽田空港第3ターミナル、瀬戸口翼撮影

ミャンマーで拘束されていた日本人ジャーナリストの久保田徹さんが11月17日、最大都市ヤンゴンの刑務所から釈放された。ミャンマー軍が同日、発表した。久保田さんは7月、ヤンゴンで抗議デモを撮影中に拘束され、禁錮10年の有罪判決を受けていた。29年間にわたりミャンマーの取材を続けているフォトジャーナリストの宇田有三さん(59)は釈放の背景に「苦しいミャンマー軍側の内情がありそうだ」と語る。(牧野愛博)

――今回の釈放を巡り、現地ではどのような動きがあったのでしょうか。

ミャンマー(ビルマ)では、今日(11月17日)が「National Victory Day(国民の日)」という祝日にあたります。このため、「17日に恩赦がある」という噂はこの数日、SNS上で見かけておりました。「もしかしたら、久保田さんを含む外国人の解放があるかな」とも想像しておりました。

昨日(16日)、日本時間の21時(現地の18時30分)ぐらいまで、国営・英字紙だけが情報省の公式サイトにアップされていませんでした。普段はアップされているはずなので、「もしかしたら大きな動きがあるのかもしれない」と予想していました。

17日朝(日本時間)になって、ミャンマーの活動家が「外国人の解放がある」という情報をSNSで流していたので、解放のニュースを聞いて、「やっぱり」と思いました。

しかし、ミャンマー軍評議会(SAC)の報道官は恩赦について「与えたもの」だと強調しています。海外からの何かしらの圧力や交渉の成果ではなかったと主張したいようです。

カレン民族解放軍兵士たち
ミャンマーから隣国タイに逃れた避難民は、公式には1980年代前半から記録されてきた。それ以外に、国外に逃れることができず国内のジャングルの中に隠れ住んでいる数多くの「国内避難民」がいるとされてきた。宇田さん(後列左2人目)はカレン民族解放軍兵士たちと1週間、カレン州内のジャングルを巡って国内避難民を探した=2003年撮影、宇田有三さん提供

――松野博一官房長官は17日の記者会見で、ミャンマー側に、外国人を含む非拘束者の解放を求めてきたと説明しました。ミャンマー側からも、久保田さんの釈放について「日本政府からの強い要請を踏まえたもの」との説明があったとしています。

久保田さんとは直接面識がありませんが、釈放されて本当に良かったと思います。日本との関係で言えば、17日の国営・英字紙に、日本が「ミャンマーからの労働者224人を受け入れたい("demand")」という記事がでていました。

日本ミャンマー協会の関係者が最近、ミャンマー入りしているという未確認情報もありました。ミャンマー軍との間で、なんらかの話し合いが直接もたれていたのではないかと思います。

日本側は「労働者を確保したい」、ミャンマー側は「労働者が得た賃金から税金を取りたい」という思惑が透けて見えます。それほどミャンマー側は経済的に追いつめられていると思います。

――どうして、そう思うのですか。

私は20年以上、ミャンマーの国営英字紙を読み込んできました。いつもは16面で、最後の16ページはスポーツ面です。ところが、10月23日付の16面には、スポーツではない記事が掲載されました。私の記憶では初めてのことです。

そこには、資金洗浄やテロ資金の流れを監視する国際組織「金融活動作業部会」(FATF)が、ミャンマー軍による資金洗浄対策が不十分だとして、各国に対抗措置を求める「ブラックリスト」にミャンマーを載せたという記事が掲載されていました。

今年9月から11月にかけ、タイ・ミャンマー国境地帯にあるカレン州のオンラインカジノに対して黒いうわさが立っていました。カンボジア・シアヌークビルでオンラインカジノの大がかりな摘発があり、中国系のマフィアが規制の緩いミャンマー・カレン州に流れ込んできました。

ミャンマー軍傘下のカレン軍(BGF)が支配している地域で、そのBGFの下で働いているのは中国語を話す台湾人や香港人で、カンボジア人に対する人身売買の疑いも浮上し、国際社会のミャンマーに対する視線が厳しくなっていました。

ミャンマー軍は、資金難を解決する手段のひとつとして、海外に出稼ぎに出る自国民の仕送りに課税することを目論んでいます。もちろん日本には実習生を送り込み、その送金から税金を取り立てることを考えついた可能性があるとみています。

インド国境が近いミャンマー・ザガイン地域北部で、巡回警備にあたるミャンマー軍の兵士たち
インド国境が近いミャンマー・ザガイン地域北部で、巡回警備にあたるミャンマー軍の兵士たち=2018年撮影、宇田有三さん提供

――ミャンマー軍評議会は今年7月、昨年2月のクーデターでミャンマー軍に拘束されたアウンサンスーチー氏の側近とされるピョーゼヤートー氏ら、4人の死刑を執行しています。強硬だったミャンマー軍が資金難を解決するために、釈放に動いたということでしょうか。

さきほど言ったとおり、釈放は「ミャンマー軍があたえたもの」「上からの改革」です。資金難を解決するための動きの一つだと思いますが、ミャンマー軍の動きはそれだけにとどまっていません。

ミャンマーの歴史で、あまり話題にならない武装抵抗少数民族側の歴史や動きを見ると、今回の釈放以外の動きが見えてきます。中国の後ろ盾に期待できず、ロシアも国際的に苦境に陥っています。ミャンマー軍は資金難もあって苦境に陥るなか、事態を打開するために、ミャンマー軍は武装抵抗少数民族への働きかけを強めています。

まずは、実際に武装抵抗を続ける国内の人民防衛隊(PDF)の動きを押さえる必要があると感じているのではないでしょうか。そのために、PDFと、その後ろ盾になっている武装少数民族とを分断させる必要があると感じているようです。

また、これまで停戦していた西のラカイン州では、ミャンマー軍と「アラカン軍(AA)」との新たな戦闘も始まりました。

具体的には今月11日、カレン州で「カレン民族同盟(KNU)」とその軍事部門「カレン民族解放軍(KNLA)」を中心に、これまで別々に活動、あるいは血みどろの対立を続けていたカレンの別のグループ、DKBA,KNU/KNLA-PC,BGF(ミャンマー軍傘下のカレン軍)が、計1500人以上も参加して一堂にまみえ、会合を持ったというニュースが流れてきました。

歴史を振り返るとミャンマー軍が武器を持つ理由はこれまで、国外の敵ではなく、国内の武装少数民族と戦ってきたことにあります。その中で一番歴史が古く、活動的なKNUを中心としたカレン人集団を抑えておく必要があるのです。

誰もが予想できなかった2011年のテインセイン政権の大改革の一つも、2012年1月のKNUとの停戦でした。

今年5月に行った現地取材の目的のひとつは、2012年1月にどうしてテインセイン政権とKNUが停戦したのか、10年経って、その裏話を複数のKNU幹部から聞くことでした。幹部は「軍側には不信感があった。停戦の条件をいくつももって会談に臨んだところ、政府側がその条件をほとんどのんでしまい、停戦にサインをせざるを得なかった」という答えが返ってきました。

今もって不思議なのは、どうしてそこまでテイン政権がKNU側に譲歩したのか、軍の内部でどのような動きがあったのかの分析が今のところ出てきていません。

KNU側もコロナで延期されていた4年に一度の指導部選挙を実施する中で、停戦派と武装抵抗続行派の主導権争いが起きている模様です。先ほど言った今月11日の大会合には、武装抵抗続行派は参加していなかった模様です。

クーデター以降、ミャンマー軍が追いつめられる中で、新たにKNU側になんらかの働きかけをしている可能性があると、心構えをしておく必要ありそうです。

場合によっては、大量の釈放に続く動きとして、2012年の停戦合意と同じような、ミャンマー軍とカレン民族同盟などの武装抵抗少数民族との手打ちが行われるかもしれません。

支援者たちが見守る中、報道陣の取材に応じる映像作家の久保田徹さん
支援者たちが見守る中、報道陣の取材に応じる映像作家の久保田徹さん(中央)。左端下はミャンマーで拘束され、2021年5月に帰国したフリージャーナリストの北角裕樹さん=2022年11月18日午前6時38分、羽田空港第3ターミナル、瀬戸口翼撮影

――クーデターから1年9カ月が過ぎていますが、ミャンマーの人々の生活はどうなっているのでしょうか。

現地からの情報によると、各地で軍による抑えつけはやむことはなく、経済的には苦しく、軍による村の焼き討ちや空爆は相変わらず続いています。

ザガイン地域、カチン州、ラカイン州では銃火は止んでいません。先月には、カチン州に対する空爆で60人以上がなくなりました。

軍による蛮行が続くなか、抵抗している人民防衛隊も軍関係者を殺害しているという情報も流れています。今回、6千人ちかい人々が釈放され、刑務所に大勢の市民が駆けつけるなど、少し明るい雰囲気が漂っていますが、事態はまだまだ予断を許しません。

今月、東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議があり、ミャンマーに対する懸念などの表明がありました。議長国だったカンボジアによるミャンマー軍への働きかけは失敗しましたが、ミャンマー軍に厳しい態度を示していた、来年のASEAN議長国であるインドネシアがどういった動きをするのか注目しています。