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クーデターから1年、いまミャンマーはどうなっている? 意外なところに抵抗の痕跡

揺れる世界 日本の針路
タイ国境が近い、ミャンマー南部タニンダイー地域を移動するミャンマー軍トラックに乗った兵士
タイ国境が近い、ミャンマー南部タニンダイー地域を移動するミャンマー軍のトラックに乗った兵士。地方での国軍の活動は絶えず続いていた。兵士たちの撮影は、いつも緊張の連続だった=2019年撮影、宇田有三さん提供

宇田さんは「憲法違反のクーデターから1年経ちましたが、ミャンマー(ビルマ)と私の関わりからすると、また1年経ったのかという気持ちです」と語る。「私のミャンマーへの関わりは1993年5月、隣国タイに近いカレン州で武装抵抗闘争を続けていた、少数民族の1つ『カレン民族同盟(KNU)』の取材が出発点でしたから」

宇田さんは当時、KNUの幹部の一人に、「40年以上にもなる戦闘が、まだ続くんですか」と尋ねた。幹部は「ビルマ軍への抵抗は今後50年でも100年でも行う。我々の闘いは、あくまでも抵抗(resistance)なのだ」と語ったという。「あれから、さらに30年近い年数が経ちました。それで『また1年』と思うのです」

宇田さんは、クーデター後も毎日、新たにできた軍評議会の支配下に置かれた情報省のサイトから、英語とミャンマー語の国営紙をダウンロードして読み込む作業を続けている。そこから軍の焦りを感じるという。ある日の記事では、軍の最高司令官ミンアウンフライン上級大将が「全ての国民は国防の義務がある」と訴えていた。宇田さんは「公表はされていませんが、前線の軍兵士に多くの死傷者が出て、補給も滞っているようです。軍に余裕がなく、軍内部での締め付けが強くなっているように感じます」と語る。

宇田さんは、軍に抵抗する人々の動きについて、一般に報道されない消息などの情報収集も続けている。

タイ国境が近い、ミャンマー南部タニンダイー地域を移動するミャンマー軍トラック
タイ国境が近い、ミャンマー南部タニンダイー地域を移動するミャンマー軍のトラック=2019年撮影、宇田有三さん提供

KNUの支配地域の一つでは今年1月以降だけで、計300回以上も軍側と衝突し、軍側の死者は100名を超えているというニュースも伝わっている。軍に抵抗する民主派の「国家統一政府(National Unity Government・NUG)」はオンラインで欧米や中国などと接触している。日本政府もNUGと非公式に接触しているという情報も入っているし、2月にはNUGの日本代表部(連絡事務所)が日本にも開設された。

2021年12月5日、インターネット上に、1つのニュースが流れた。軍部による取り締まりが厳しくなったヤンゴンで、軍のクーデターに抗議の声を上げる「フラッシュモブ」(インターネットでの連絡を通じて集まる、ゲリラ的デモ)を行う若者の一団に、軍の車両が突入する映像が流れていた。

インターネット上に2021年12月5日、クーデターに抗議を続ける若者の集団に軍車両が突入する映像が流れた
インターネット上に2021年12月5日、クーデターに抗議を続ける若者の集団に軍車両が突入する映像が流れた

このニュースが伝えた現場の路上に、クーデターに抗議する「春の革命」というペイントが残されていた。宇田さんがグーグルマップで探すと、ヤンゴンとマンダレー市内の路上135カ所以上で、こうした抵抗を示す文字のペイントが見つかった。宇田さんは「各地で毎日、小規模ながら抗議デモが続いています。軍が押されている状況は想像に難くなく、人々の抵抗の意思は強いのではないでしょうか」と話す。

目に見えない形で緊張した状態が続いている。昨年夏、ミャンマー国内で働く、外国メディアと契約している現地スタッフと連絡が取れなくなった。宇田さんは緊急時の方法を使い、スタッフに直接問い合わせた。

スタッフによれば、軍に拘束されたが、拷問や厳しい尋問はなく、その日のうちに解放された。スマートフォンなどの通信機器が一時的に没収された後、返却された。スタッフは「使っていたSignal(セキュリティーの高いメッセージアプリ)は使えなくなった。新しい連絡方法を考えている」と伝えてきた。宇田さんは「特定の人だけかもしれないが、インターネットやスマートフォンは盗聴されているようです」と語る。

インド国境が近いミャンマー・ザガイン地域北部で、巡回警備にあたるミャンマー軍の兵士たち
インド国境が近いミャンマー・ザガイン地域北部で、巡回警備にあたるミャンマー軍の兵士たち=2018年撮影、宇田有三さん提供

宇田さんは「私たちは本当に、ビルマ(ミャンマー)のことを正しく理解して来ただろうか」と自問している。「私たちは1年前、誰もクーデターの発生を予想できませんでした。2011年、当時のテインセイン大統領が民主化を試みた時も、その後の改革を誰も予想しませんでした。皆、テインセインの背後には(旧軍事政権の最高指導者)タンシュエがいるから、民主化はあり得ないと思っていました」と語る。

宇田さんは、私たちがミャンマーで起きる事態を予測できない理由の一つとして、ミャンマーにおける少数民族への理解不足があると指摘する。宇田さんは「少数民族勢力には、停戦に積極的な民族や消極的な民族もいる。内部に路線対立を抱えている民族もいれば、タイや中国に支援された民族もいる。それを『少数民族』とひとくくりにするには無理があるでしょう」と語る。

そして、宇田さんは「私たちは、ミャンマーでの対立を、民主主義勢力対軍部という単純な構図で見ていないだろうか」と自問する。民主主義勢力にも、軍にも色々な人々がいて、離合集散が繰り返されているからだという。ミャンマーに関わってきたメディアや研究者による情報の更新や軌道修正、事後検証も弱かったのではないかとも考えている。

宇田さんは「実際、停戦とは名ばかりで、ミャンマーは70年余の間、内戦状態が続き、軍部は常に存在意義を保ってきました。私たちは巨大化した軍の内情を詳しく知りません。軍が権力にしがみつく理由や構造、背景を十分に理解してこなかったのではないでしょうか。少数民族が武装抵抗を続けている理由についても丁寧な説明をしてきませんでした」と語る。

ミャンマー軍に近いパオー民族軍の兵士
ミャンマー軍に近いパオー民族軍の兵士が、自らの自治地域内のパゴダ(仏塔)内で警備の任に就く=2007年撮影、宇田有三さん提供

軍がスーチー氏を排除しようとした理由も単純ではなさそうだ。宇田さんは「軍は、1945年の独立以来、日本や英国に抵抗して勝利した独立の英雄という主張を繰り返し、軍政時代に経済を混乱させた責任から目を背けてきました。軍の主張を否定し、軍は政治に関わらずに兵舎に戻るべきだというスーチーさんが、軍には目障りでした」と語る。軍は少数民族勢力を、「外国勢力に操られた分離独立主義者」と位置づけてきた。軍は、少数民族との停戦・和平を進めるスーチー氏を「軍の名誉をおとしめ、力を弱めようとする人物」と疑った可能性があるという。

また、テインセイン大統領(当時)の民政移管後、ミャンマー社会で民主化を求める声がさらに強くなっていた。軍には利権を維持できなくなるという懸念もあったとみられる。宇田さんは「日本を含む欧米メディアは、常に流動的で複雑な問題を十分取り上げてきたでしょうか。日本には、『少数民族は独立を目指しているから』という軍の主張をそのまま語る人もいます。ミャンマーの現状を、軍とスーチーさんの対立とだけ捉えていては、問題を解決する糸口は見えてこないでしょう」と話す。

一方、国際社会も、ロシアはミャンマーへの武器供与を続け、インドやタイは軍と民主化勢力の間で中立を装っている。宇田さんは「国際社会は、民主化勢力に対する明確な支持を打ち出していません。日本もミャンマー問題をASEAN(東南アジア諸国連合)に丸投げしています」と指摘する。

インドが近いミャンマー・ナガ民族地域
インドが近いミャンマー・ナガ民族地域。乾季の真っ只中だが、鬱蒼と茂ったジャングルの中の道は泥濘が続く。ナガ民族は、ミャンマー軍と公式に停戦調印には至っていない=2018年1月、宇田有三さん提供

宇田さんによれば、軍は中国やロシアに近いとされるが、少数民族側は中国、米国、タイ、インドなどとも深いつながりがある。「ミャンマーの少数民族問題は複雑で、日本では、ある意味放置されて来た分野です。今回のクーデター後も、あまり言及されない悪循環にも陥っています」

宇田さんによれば、欧米社会は比較的、ミャンマー軍の行動に強い声を上げている。人権や民主主義に敏感な市民の突き上げがあるからだ。宇田さんの目には、日本は人権や民主主義に対する取り組みが弱いように映る。宇田さんは「アイヌ民族や琉球民族など、国内の少数民族問題に向ける多数派の視線のあり方に根本的な理由があるようです。国内の少数派問題が見過ごされてきた原因を検証する文化も希薄ではないでしょうか」とも語る。

日本政府は過去、ミャンマーの軍勢力と特別な関係があるとして、西欧諸国とは異なった独自の外交を展開してきた。宇田さんは「日本政府は、ミャンマーの問題に数十年間取り組んでも結果を出せませんでした。どうして結果が出なかったかを検証すべきです」と指摘する。「例えば、日本はミャンマー軍とKNUとの停戦・和平の仲介をしているとされますが、それは本当でしょうか」

宇田さんによれば、KNUとの停戦・和平合意には、軍事組織であるカレン民族解放軍(KNLA)の実戦部隊の同意が必要になる。宇田さんがKNLAの副司令官にインタビューした結果、日本政府がKNLAと直接交渉したという事実はなかった。宇田さんは「日本は和平に前のめりになっているKNUの一部と交渉していたに過ぎません。日本は従来の戦略を見直す時期に来ているのではないでしょうか」と指摘する。

カレン民族解放軍(KNLA)のボジョーヘ副司令官
カレン民族同盟(KNU)の軍事組織カレン民族解放軍(KNLA)の実戦部隊・ボジョーヘ副司令官。ミャンマー軍との停戦・和平の可能性について話を聞いた=2019年撮影、宇田有三さん提供

宇田さんは3月、ミャンマーで取材を再開する考えだったが、新型コロナの影響で延期を余儀なくされた。「コロナ感染拡大の予防のため、軍に自分の移動経路を全て把握されてしまう恐れがあります。クーデター後の軍の監視下で、外国人の地方移動は簡単ではないでしょう。60歳を前にした男が、バイクで各地を動き回っていてはますます怪しまれます」

宇田さんは「自分が見聞きし、経験したことがより正しいと強調したいとは思いません。明日、初めてミャンマーに入る人がいたなら、その人はその人なりに新鮮な視点でミャンマーの姿を見ることができるでしょう。この間、ミャンマー問題の解決のヒントが得られず、検証もされない状態が続いています。日本政府はそろそろ、新しい視点でミャンマーを見る関係者を育てた方が良いのではないでしょうか」と話す。

カレン民族解放軍兵士たち
ミャンマーから隣国タイに逃れた避難民は、公式には1980年代前半から記録されてきた。それ以外に、国外に逃れることができず国内のジャングルの中に隠れ住んでいる数多くの「国内避難民」がいるとされてきた。宇田さん(後列左2人目)はカレン民族解放軍兵士たちと1週間、カレン州内のジャングルを巡って国内避難民を探した=2003年撮影、宇田有三さん提供

宇田さんは現地取材ができない時間を利用し、1993年から2020年までミャンマー各地で撮影したデジタル写真15万枚すべてに日本語と英語のキャプションをつけた。

「1993年から現在までの、ミャンマー全土の写真をまとめています。今後はフィルムの2~3万枚を再スキャンし、整理します。軍政時代にミャンマーはどのようは社会だったのか、できる限り、日常生活を追った記録写真です。明日、軍の支配が終わったならば、すぐにでもミャンマーの人自身が自らの歴史・文化を振り返ることができる準備をしています。写真を専門家の人々に提供することで、ミャンマー研究に役立てて欲しいです。もちろん、コロナ禍明けには、現地に戻るつもりです」