「ぎらぎらとまぶしかった」。開発初期のそんな感想を聞いていたので、おそるおそる、小型カメラのついためがね型の装置をかけてみた。しかし、見えたのは、文字どおりカメラのファインダーをのぞいたようなおとなしい映像だった。
QDレーザが開発した「レティッサ」は、カメラでとらえた様子を、微弱なレーザー光線でプロジェクターのように目の奥にある網膜に投影する。記者が見たのは、その映像だ。
ものに当たって反射した光が目の中に入り、レンズの役割をする水晶体が光を屈折、ピントを合わせて網膜に届ける。そのイメージが視神経を通じて脳に伝わる。これが普通の「見える」しくみだ。
それに対してレティッサは、光の3原色(赤・緑・青)のレーザー光を網膜上で精度よく重ねてピントを合わす。水晶体がうまく働かないような人でも、網膜から先の脳に情報を伝える機能が保たれていれば、鮮明な映像が見える。
臨床試験を経て2020年、めがねやコンタクトレンズでは十分な視力が得られない、強度の乱視患者に対する医療機器として承認された。網膜に投影する方式では、世界初の実用化だ。
取材の場に、秋葉茂さんが白い杖をついて入ってきた。小学生のころから進行性の目の病気で視力が下がり始めた。中学校では友だちに借りたノートの字も読めなくなり、卒業後は盲学校に進んだ。今の視力は0.05ほど。保険会社でマッサージの仕事をするかたわら、QDレーザの製品開発に協力している。
「初めて試したとき、大きくものが見えて、すごい!と衝撃を受けた。それまで見える感覚自体がなかったので」
ふだんは見たいものがあると、その方向をスマホで写し、画像を拡大して見ている。でも、思い通りに写っていないこともしばしばだ。そもそも、遠くのものは、それがあることさえ気づけない。
「電車の接近を知らせる駅の表示も、高いところにあると、見えなかった。それが、この機器で見えたんです」
肉眼の視力を補う、というもともとの目的を超えた機能も加わっている。
移動に便利なめがね型だけでなく、読み書きには置いて使う卓上型、デジタルカメラの機能を生かすデジカメ型など、秋葉さんらの意見を参考に様々な用途、場面に応じたモデルが開発されている。
文字を読みやすくする静止モードや、黒地に文字だけを白く浮かび上がらせる白黒反転モードなども実用化。カメラの性能や入力情報によっては、健常者にも見えない遠くのものや、実際には存在しないVR、ARなども、投影して見ることができる。
デジカメ型の30倍ズームを試した秋葉さんがいう。「部屋の向こう側の、時計の秒針や髪の毛1本も見分けられる」
秋葉さんはトライアスロンもするスポーツ好きで、プロ野球の観戦にも出かける。だが双眼鏡で見ていても、打球が飛ぶと、どこに行ったかわからない。
「デジカメ型は魅力的。広角からズームまで幅が広いから。いつか持って観戦に行ってみたい」
富士通のレーザー研究者から起業した菅原充QDレーザ社長は「医療機器の承認を得るのに5年かかった。それでも、僕らしかやっていない技術なので、効果と安全性を医学的に検証することが必要だった」と振り返る。今後は、さまざまな企業と連携し、医療、ヘルスケア、民生の3分野で、事業を広げるつもりだと話す。
今は汎用(はんよう)の高出力レーザー光をわざわざ弱めて使っているため、消費電力が大きく、電池が長くもたない。
そこでまず、図書館や美術館で貸し出す、といった利用法を提案している。視覚障害者が本や美術品にもっと親しめるようになることに加え、説明や鑑賞のポイントを同時に投影するなど、新たなサービスの開発につながる可能性があるからだ。
菅原社長は、健康チェックの分野にも大きな可能性を感じている。網膜にピントを合わせる技術は、逆に網膜の情報を詳しく読み取ることに使えるからだ。
緑内障や糖尿病網膜症など、高齢化がもたらす目の病気は多い。網膜や視神経に異常があれば、レーザーで投影しても画像がよく見えないはずだ。
「早く気づけば治療できるのに、現状はなかなか気づかない。高齢運転手の健康を気にかけているタクシー会社が、健康診断に組み入れようとしてくれている」という。
「外界の情報を人間に伝えるセンサーは、人間の情報を伝えるセンサーにもなり得る。視覚に限らず、運動能力や脳機能など身体の機能を高めるさまざまな技術が20年ぐらいかけてつながっていき、2045年ごろに統合的な人の身体拡張というようなことが起きるのではないか」。菅原社長はそう予想する。
米国ではデジカメと同じように光を電気信号に変える半導体センサーを目の中に埋め込んで、その信号を視神経に伝える装置が開発され、世界で約350人が利用している。
わずか60個の点の明暗を視神経に伝える比較的簡単な仕組みだが、網膜が働かない全盲の人が、物の輪郭をとらえ、文字を読めるようになった。
視神経に問題がある人向けには、脳に電極を埋め込み、外部カメラからの簡単な電気信号で直接、脳を刺激して「見える」ようにできないかと、初期的な臨床試験が米国で進められている。
イスラエルのオーカム社は、補聴器メーカーの米スターキー・ヒアリング・テクノロジーズ社と提携。人工知能(AI)も活用して、視覚情報を音声で伝える技術で先行する。
オーカム社の「マイアイ2」は軽く、めがねのフレームに付けられる。
米国では17年、日本では18年から販売され、最上位機種で約50万円。角度の違う顔写真を何枚か撮って記憶させれば100人までの顔を見分け、目の前を通っただけで「○○さん」と音声で知らせてくれる。活字文章も読み上げる。
買い物で便利なのは、バーコードから詳しい商品名を読み上げる機能だ。洋服を買うときなどには、「明るい緑」などと色も教えてくれる。
人間が外界から得る知覚情報は視覚と聴覚によるものが大部分を占めるといわれる。見るのは目、聞くのは耳、が当たり前だと考えられてきた。
だが、音を聞くと色が見えたり、味に色が伴ったりといった、「共感覚」と呼ばれる能力を持つ人もいることがわかっている。技術は個人の知覚を高めるだけでなく、五感の間の壁を取り払い、人類に新たな扉を開くかもしれない。