――どんな分野に重点を置いて研究しているのですか。
産総研では「人間拡張」と呼んでいるわけですが、情報技術やロボット技術による人間拡張で、人に寄り添って人の能力を高めるということをキーワードに研究しています。
人数は我々のような常勤の研究職員が約45人で、ポスドクや学生、スタッフを入れて100人ちょっとですね。
――何をどう拡張するのでしょうか。
人間機能は大きく四つにわけられます。身体機能、感覚機能、認知・認識機能、そしてコミュニケーションです。
この四つの機能を拡張するのに、二つのやり方があって、一つは個々の機能の増強です。例えば遠くまで飛べるとか、目がよく見えるとかですね。
もう一つは遠隔化とか規模拡大とかで、遠隔地に自分の目や耳を送ることができるとか、遠隔地にあるものを操作できるとかです。
我々は四つの機能では、主に身体とコミュニケーションに重点を置いています。感覚機能は産総研の人間情報インタラクション研究部門、認知機能は人工知能研究センターと連携して研究しています。
のび太がドラえもんにどんどん頼ってしまってドラえもんなしでは生きられなくなってしまうというよりは、それを使っていると我々の生身の体も維持・増強できる、そのようなことをめざしたいと思っています。
――というと?
例えば、遠隔化するといろいろなデータが手に入ります。精神疲労、肉体疲労とか、スキルとか。その先にやる気を評価して、それを向上させるようなことです。
ウェアラブルスーツで転倒を予防するというのはあり得ることですが、そもそも筋力が弱って転倒するわけです。もう少し若いころから歩けばいいけれど、実際にはわかっていてもしない人が7割いるんです。
そういう意味で身体そのものをパワーアップするだけじゃなくて、自らの身体をパワーアップあるいは維持するための意欲を高めることも重要だということです。
「ちょっと頑張ったら自分の体が少しずつ良くなってきたので、やる気が出ました」という人も意外と多くないんです。3割とかね。で、別に自分の身体はどうでもいいんだけど、みんなと一緒にやって楽しいのはうれしいという人たちが結構いるんです。
だから、社会全体で健康維持をするためには、もうちょっと社会的な方に働きかけをすることが必要だという話になるわけです。
――遠隔化は、コロナ禍でテレワークが一気に広がり、焦点になっています。
最初にしなければと考えたのは身体の遠隔化です。
例えば病院にいる理学療法士が、家にいる10人に遠隔でリハビリを指導するとして、患者さんの着けたセンサーからの情報で病院にある患者ロボットの関節の硬さなどが変化すれば、「昨日より少し良くなってきましたね」とかは言えるでしょう。でも、患者さんにとっては「あんた、病院でロボット触っているだけでしょ」となる。ならば、患者さんに同時にゴーグルを着けてもらって、理学療法士が触っている映像を見せ、センサーからぬくもりや触感が返ってきたらどうだろう、という研究を進めています。
テレビ会議に関しては、コミュニケーションがうまくいかないという相談がいろいろな企業から寄せられました。高い臨場感のあるテレビ会議システムを作ったうえで、映像や音声をわざと遅延させたり、位置感覚の情報を失わせたりして、どんな情報がどこまで劣化すると一体感が落ちてくるか調べています。
本人の映像の代わりに笑顔のエージェント(アバター)映像を使うと、会議で意見が活発に出るといった話もあります。
――技術の使い方が大事だというふうに聞こえます。
日本では今まで、どちらかというと、ものづくりとかの方ばかり強調されてきたようなところがありますが、すごい製品を作ったというだけでは、5年後に中国などから安いものが出てきて価格競争で負けるといったことを繰り返すことになります。
今は製品そのものというより、その製品が提供するサービス、そのサービスを通して得た貴重なデータの価値で勝っていく時代なのだろうと思います。
――この先、身体拡張はどういう方向をめざすのでしょうか。
研究では、やはり一つ一つの人間機能を拡張する方向ですね。欧州では神経がマヒして歩けない人の背中に電極を挿入して、電気刺激を規則的に流すことによって歩けるようにすることを研究しています。
国内では、自分の両手に加えて3本目、4本目の電動の腕を着けて、うまく訓練して同時に動かすという研究や、カメラやセンサーを着けた誰かに憑依(ひょうい)して、その人の体験を共有できるようにする提案があります。
二つ目の流れは、日本はあまりしないけれど、やはり軍事への応用ですね。戦場で重い兵器を持っても大丈夫とか、ドローンの情報で山の向こうの戦車を透視できるとか。
最後は私が考える話ですが、技術による身体拡張は人類の進化を加速させるための必然だということです。
――といいますと?
人類史の大半で、飢え、明日死ぬかも知れなかった人類は、長期的なことより短期的な生存を考える性向が強くなりました。たっぷり食べられたときにエネルギーを脂肪としてため込む遺伝子を備える一方、エネルギーをたくさん使う脳はあまり使わずに眠るというのが、我々の体の構造、あるいは脳の構造なのです。人類はイノベーティブではなく、怠け者にできているのです。
目の前のコミュニティーも100人から150人ほどという歳月が非常に長く、それより多くの人とコミュニケーションをとる能力も必要ありませんでした。
それが、最近の数十年で『安心して明日を知れる』ようになり、ネットで世界中とつながるようにもなったわけです。
しかし、長期的なことを考える能力はすぐには身につかないし、150人を超える人たちのコミュニティーにも、なかなか共感できない。
ウイルスならば細胞内でコピーされるたびに遺伝子が変異する機会がありますが、我々は普通に生殖を繰り返して遺伝子を変えていくとすると、20年とか30年に1回しか世代が代わりません。
――なるほど。
2000年ぐらいたてば(進化して新たな身体能力が)身につくのかもしれませんが、急激に変わった世界に、2000年を待たずに我々を適応させるというのが、身体拡張技術がしなければいけないことなのだろうと私は思っています。
靴の研究をしていたときにある先生が言っていました。人類が靴をはくようになったのは、土や草の上を歩いてきた人類が、車輪に適した硬い道路を歩くためだと。たかだか何百年のことなので、我々は自分たちで変えた社会についていけない。だから靴を作って進化を多少、そこで吸収しているのです。それと似たようなことなんじゃないかと考えています。
――「超視力」や「超聴力」は使い方によっては、プライバシーを侵害しそうです。身体拡張にはさまざまな不安や心配もありそうですが、どのように考えますか。
プライバシーの侵害は比較的容易に予想される問題で、そうした技術を前提にして、映像や音声が外部に漏れないようにする対策が今後一般的になるかも知れません。
今まで我々はいろいろなテクノロジーを作ってきて、それは社会や生物としての我々にいろいろな副次効果をもたらしてきました。人間拡張でもその歴史は考えなければなりません。
負の影響が起きないよう最大限努力することは大切ですが、謙虚にみて、我々は副次効果を全て予測することはできないと考えています。人間拡張の技術は、人によっていろいろな使われ方をするでしょうし、それを許容しなければ技術も産業も発展しませんから。
その中で、やはり常にフィードバックしていく回路を作っていくことが必要だと考えています。
――具体的に、どうするのですか。
「えっ、こんな使い方をする人もいるの?」「こんなことも起きるの?」というような兆しをできるだけ早く発見して、それを制度設計や技術開発に戻していくサイクルを作っていかなきゃいけないというのが僕らの認識です。
そのために、北欧やドイツ、英国などの研究者らと、影響を常に議論できるように何をモニタリングして何を共有するか、というガイドラインを作ろうとしているところです。
人としてどうなのか、という倫理的視点だけでなく、経済的、社会的、身体的にもどんな副作用があるか、モニタリングしながら制度と技術にフィードバックする、そんな体制をめざしています。