「キュイーン」という機械音とともに、直径2ミリのノズルから出てくる白くて軟らかい物体。小刻みにノズルが動くと、少しずつ立体的な形が作られていく。別のノズルから出る赤色がしっぽやしま模様を描くと、10分ほどですしネタのエビが姿を現した。シャリにのせればエビの握りずしが完成だ。
山形県米沢市の山形大工学部ソフト&ウェットマター工学研究室(SWEL)では、「3Dフードプリンター」の研究開発が進められている。3Dプリンターはもともと3次元のデータを元にプラスチックなどを立体的に形作る装置だが、ここでは食材など軟らかい素材を扱っている。
出てきたエビの主原料は、ドロドロした魚のすり身などからできている。これに、設計図となるデータと出力する機械さえあれば、海外でも同じものを作ることができる。
建築の設計などに使われるCAD(コンピューター支援設計)で立体データを作り、その設計図通りに3Dフードプリンターが白と赤の材料を積み重ねることでできている。材料とデータを変えれば大トロやうなぎなどほかのネタはもちろん、ブロッコリーやカボチャなどの形をつくることもできる。
この技術の可能性に注目して、世界中で研究開発が勢いづいている。きっかけは2013年、米航空宇宙局(NASA)が3Dフードプリンターの企業に巨額の助成金を出したことと言われている。これを使えば、宇宙でも様々な料理が手軽に作れる。素材が粉状ならかさばらず、腐らないので宇宙食にはもってこいだ。19年には、国際宇宙ステーションに牛の細胞を持ち込み、イスラエルの企業などが3Dプリンターを使って培養する実験にも成功している。
3Dフードプリンターの強みはデータを遠くに送ることだけではない。多種多様な食べ物を一つの機械で作ることもできる。一人ひとりの好みや健康状態などに合わせて料理を手軽に作れる。山形大が注目したのは、介護現場の食事への応用だ。お年寄りの歯の状態などに応じて、必要なカロリーや栄養素、硬さなどを調整できる。
研究室を率いる古川英光教授(53)は「いままでの食品メーカーは、社会の大勢が好きになりそうな物を狙って商品化し、それを大量生産して安く売ってきた。3Dフードプリンターによって、失われた手のぬくもりや作った人の思いを表現できる」と話す。だしの味わいなどのように、土地の食文化に合わせることも可能だ。
古川さんらは21年、水に溶かした食材の粉にレーザーをあてて焼き固める3Dフードプリンターも新たに開発した。より複雑な造形が可能になっただけではなく、捨てられてしまう野菜のくずなども活用できる。「食品ロスを減らし、持続可能な社会をつくるのに役立つ」
近年フードテックへの注目度が上がり、食品や素材、工作機械などの様々な企業と研究者の連携が進んでいる。山形大の他にも、大阪大は島津製作所などと、牛の筋肉や脂肪、血管組織を3Dプリンターで作り、和牛のサシなども再現する培養肉技術の研究をしている。
古川さんはもともと液体と固体の中間的な状態であるゲルの研究が専門で、3Dフードプリンターに関わるようになったのはここ10年ほどのこと。「形作るのは自分たちの得意分野。原料の調達や味の工夫に、他の分野のメーカーや専門家を巻き込み、日本発のイノベーションを起こしたい」と意気込む。
古川さんが思い描くのは、3Dフードプリンターが各家庭に1台あるような未来だ。ボタンを押すだけで自分好みの味や体の調子にあった食事ができ上がる。「疲れて料理ができない時もある。掃除機や洗濯機によって家事から少しずつ解放されてきたように、料理の手間からも解放される日が来るかもしれない」
人々のライフスタイルを変え、宇宙で活躍する可能性を秘めた3Dフードプリンター。出力されたエビを「どうぞ食べてください」とすすめられて一口。見た目はエビに近いが、味や歯ごたえは「ささかまぼこ」だと感じた。それもそのはず、主原料は白身魚だという。見た目のみならず、味や香り、栄養などを思い通りにできるのか、研究はまだまだ始まったばかりだ。(目黒隆行)
※原材料やレシピなどは、一正蒲鉾、味香り戦略研究所、三和澱粉工業提供。制作は山形大工学部SWEL